獅子頭の内部に「村上大町 工治平」と記名があった話である。
早速、新潟県村上市の堆朱塗りの組合に問い合わせし、「おしゃぎり会館」の館長さんをご紹
介戴いたので記名の写真と獅子頭の写真、村上市の長井町の獅子頭とを比較した写真を見て貰
ったのだ。
![](http://samidare.jp/shishi5/box/IMG_0036-2.jpg)
梨の礫なので諦めかけていたが先ほど返事が届いた。
こうである・・村上の獅子頭で古い小国町(村上市の)の頭に「村上大町 治平作之」とある
そうである。
治平(はるひら?)の作の意である。
米沢長手の獅子頭の「工治平」の「工」は工人、または大工、木工等の工匠の意味。
同じ「治平」という彫り師の獅子頭と判明したのだ。
また館長さんから、
「本来、大工は規矩、建築、彫刻が出来て一人前の大工と言われていましたので、
その大工の系譜の中から彫刻の名工と言われている人が輩出しています。
おそらく「治平」もそうした一人であったのではないかと思います。」
・・という説明を戴いたのである。
解説文と共に村上七夕祭りの出演各町内の獅子舞いDVDも同封して戴いた。
拝見すると以前、えくぼ獅子舞が村上七夕祭りのイベントに招かれ共演した獅子舞いもあり
その時気づかなかった特徴も見えてきた。
村上の獅子頭はいずれも赤獅子で、山形県でも見られる神楽獅子なのである。
両手で和紙で作ったシデ「ぼんでん?」と巫女舞で用いられる様な鈴を持って、獅子頭は軸棒
を噛んで被って舞う。また次のシーンでは獅子頭を持って激しく舞う。
村上と置賜との結びつきは古くからあり、越後の大工が置賜の神社を手掛けている。
また開拓民として置賜に移住し根付いて交流しているのだ。
京都文化の影響が濃い村上の獅子頭と白鷹で見られる赤い獅子との関わりは、白鷹でも行なわ
れていた神楽系の獅子舞と関係がありそうである。
白鷹町でも浅立、鮎貝、黒鴨に神楽獅子があり、長井の総宮神社でも神楽の獅子舞が行なわれ
ていた記録もある。
関西の伊勢などの神楽獅子舞いが東北に伝播し、置賜のある場所では修験道と融合して独自な
獅子舞になったり、長井の獅子舞の様に発展したのではないか・・・。
これから村上の獅子舞と置の獅子舞の関係を探ってみたいものである。
瓢箪から駒が出た!