獅子頭の記名の撮影から今度は獅子彫りの撮影です
県からの依頼で獅子頭制作映像の撮影取材がありました
獅子頭制作の一通りをご紹介するため、まずは丸太をチェーンソーで伐るシーンから
快晴の初夏の日差しですぐ汗ばんできます
そしてチェーンソーでさばく粗彫り・・・・今日はここまで
撮影後スタッフさんの獅子舞い体験のシーンを逆取材をさせて戴きました
お二人共獅子頭を手に持ったのは初めて
獅子頭を頭に乗せて、口を開きバコンと歯打ちするのも新鮮な体験だったようです
さくらんぼのお土産大変美味しく戴きました・・・
初物の初夏の味ごっつおぉ様でした~♪
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浮かぶ文字の下に文字が・・
獅子頭を撮影した赤外線カメラ写真の解析をしていると、文字と文字の間隔に割り込む
文字に気がつきました
明治25年の塗り替えの記名以前の新調した時の記名で、現在の塗膜の下の下ということになります
なかなか不明瞭で判別が難しく、近距離からより強い赤外線を照射するように再撮影が望まれます
写真は見えやすくするように画像を反転してみました
成田の獅子頭について地元の若者が詳しく教えてくれました
獅子頭は寛政年間(1789年~1801年)に作られたという文書があるらしいのですが
平吹市之丞が生きていた時代を想定すると寛政六年か文化三年、文政元年あたりに絞られてくるとい
う事です
何時獅子頭が新調されたかは・・いまだ謎
獅子頭に残された大昔の記録は、まだ獅子頭の頭の中に隠されています
成田の獅子頭についての謎はまだ有ります
成田の獅子頭とお大般若600巻が南陽市宮内の熊野大社へ譲渡されたという記録が有ります
以前熊野大社にて置賜の獅子頭展を開催した際にその成田のお大般若600巻が一緒に展示されたので
す
成田村から譲渡されたという文言もあり確かなものですが、残念ながら獅子頭は行方不明
昨年8月に開催された旧の七夕の伝統行事の復活に市内から集めた個人所有の獅子頭30点
の中に小振りな成田風の獅子頭もあり、その獅子頭の事であった可能性も考えられます
この獅子の眉毛は成田より飯豊の椿の獅子に似ておるような気が致します
文字に気がつきました
明治25年の塗り替えの記名以前の新調した時の記名で、現在の塗膜の下の下ということになります
なかなか不明瞭で判別が難しく、近距離からより強い赤外線を照射するように再撮影が望まれます
写真は見えやすくするように画像を反転してみました
成田の獅子頭について地元の若者が詳しく教えてくれました
獅子頭は寛政年間(1789年~1801年)に作られたという文書があるらしいのですが
平吹市之丞が生きていた時代を想定すると寛政六年か文化三年、文政元年あたりに絞られてくるとい
う事です
何時獅子頭が新調されたかは・・いまだ謎
獅子頭に残された大昔の記録は、まだ獅子頭の頭の中に隠されています
成田の獅子頭についての謎はまだ有ります
成田の獅子頭とお大般若600巻が南陽市宮内の熊野大社へ譲渡されたという記録が有ります
以前熊野大社にて置賜の獅子頭展を開催した際にその成田のお大般若600巻が一緒に展示されたので
す
成田村から譲渡されたという文言もあり確かなものですが、残念ながら獅子頭は行方不明
昨年8月に開催された旧の七夕の伝統行事の復活に市内から集めた個人所有の獅子頭30点
の中に小振りな成田風の獅子頭もあり、その獅子頭の事であった可能性も考えられます
この獅子の眉毛は成田より飯豊の椿の獅子に似ておるような気が致します
赤外線カメラで浮かぶ文字
先日行った赤外線カメラによる獅子頭の記名調査のデータが届きました
パソコンにて成田の八幡神社の獅子頭の内部の塗りつぶされた記名を確認してみると確かに見えます
さらに鮮明に浮かび出すよう操作してみると、あぶり出しの様に見えてきました
漆の層を赤外線は透過して奥の層の文字を浮き出してしまうのでしょうね・・すごい威力
懸案の獅子頭の作者も明記してありました
伝説とおり平吹市之丞 作と有ります
当時の総代や角力獅子頭 小頭 獅子連の名前が連記されています
明治25年と大正6年、その後昭和29年塗り替えと記され、その後塗りつぶされて
記された記名が残っています
所々に突き出た白く丸い物は獅子のタテガミを植えた痕
そのタテガミで見えない名前が有りますが、タテガミは記名を書いた後に取り付けられたのでしょう
か? 工程的には記名が最後になるのですが・・・はて? 疑問です
その他にも撮影した二頭の中にも隠れた記名が見つかりました
こちらは記名を塗りつぶす前に下地調整の為、紙ヤスリをかけたのか鮮明には写らず残念
只今あの手この手で炙り出し中です
赤外線で写真をよーーーくご覧下さい 記名が浮かんでくるかも
再度撮影を試みたい所です
訂正 獅子頭新調は明治25年ではなく塗り替えられた年でした
パソコンにて成田の八幡神社の獅子頭の内部の塗りつぶされた記名を確認してみると確かに見えます
さらに鮮明に浮かび出すよう操作してみると、あぶり出しの様に見えてきました
漆の層を赤外線は透過して奥の層の文字を浮き出してしまうのでしょうね・・すごい威力
懸案の獅子頭の作者も明記してありました
伝説とおり平吹市之丞 作と有ります
当時の総代や角力獅子頭 小頭 獅子連の名前が連記されています
明治25年と大正6年、その後昭和29年塗り替えと記され、その後塗りつぶされて
記された記名が残っています
所々に突き出た白く丸い物は獅子のタテガミを植えた痕
そのタテガミで見えない名前が有りますが、タテガミは記名を書いた後に取り付けられたのでしょう
か? 工程的には記名が最後になるのですが・・・はて? 疑問です
その他にも撮影した二頭の中にも隠れた記名が見つかりました
こちらは記名を塗りつぶす前に下地調整の為、紙ヤスリをかけたのか鮮明には写らず残念
只今あの手この手で炙り出し中です
赤外線で写真をよーーーくご覧下さい 記名が浮かんでくるかも
再度撮影を試みたい所です
訂正 獅子頭新調は明治25年ではなく塗り替えられた年でした