獅子宿燻亭3

獅子宿燻亭3
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昨日、白鷹町横田尻高徳寺さんを会場にお借りして獅子頭展を開催致しました‥地区の方々が大勢訪れて獅子談義で盛り上がったところです

高徳寺さんの後ろの横越文殊尊の例大祭に仕上がった新調獅子頭の初の御披露目でもあります

獅子頭木地やコレクションなど36頭の獅子頭を展示いたしました

新調獅子頭の制作工程や完成までのプロフィール資料や白鷹町の地図に40ヶ所の神社や寺の獅子頭を重ね系統や類似性が分かる分布図も展示いたしました

将来、この分布図を東南西置賜全域まで網羅したいと考えています
 
激しい雨もカラッと上がり秋晴れの祭り日和
稲刈りも済んで長閑な集落に祭り囃子がこだまします
賑やかに子獅子舞い、笠踊り、伝統の獅子舞が地区を巡りました





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ニャンコ喜ぶの写真投稿で御座います
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獅子見てニャンコ喜ぶ訳ありませんよね‥


獅子頭を仕上げて自宅に持ち帰って反省会開催中です

テーブルに置いた真っ赤な獅子頭を見るやいなや寄ってきました

おっ?

興味あるのかこのニャンコ?

三女に何処からか拉致されたか保護されたか不明の

身の上でも至って脳天気です


しかしこの獅子頭の赤‥

じっと見ていると元気が湧いて来るようです

ニャンコも興奮したのでしょうか? 

闘牛じゃあるまいし









宮内で獅子頭を拝見いたしました

直感的に先頃ご紹介した川西町新山神社の赤獅子と似ていると感じました


幕付きの小ぶりな赤い獅子頭の箱には明治23年6月 

熊野大権現 の記銘がありました


このお宅の先代の名前が記され三代目が受け継いでいます

ひょんな事から宮内の菊人形の創始者でもある菊地熊吉氏の

話になりました

とある方が宮内の菊人形の歴史的資料の収集家が熊吉氏作の獅子頭を

所有されているとか

作風を拝見したいと電話して戴きましたが

不在の為、後日に・・残念


熊野大社のお祭りに市内旧家に伝わる獅子頭十数頭を

展示するというお話しを聞きました

是非来年拝見したいものです


南陽市の獅子舞は梨郷神社や暴れ獅子の赤湯烏帽子公園八幡神社

で行われていますが、今行われている西置賜の獅子舞系である総宮神社

の獅子舞とは違う系統の獅子舞文化が存在していたようです


川西町新山神社で見られるような黒獅子と赤獅子が混在し所有する地域が結構

あります

その獅子舞伝播の経過が置賜の獅子舞文化にも秘めらているのかと推測します


これからも獅子舞の様式や獅子頭の形に注目していきたいと考えます


長井市豊田小の西側‥白川橋の今泉側にひっそりと佇むように石碑があります
数日前から軽トラで茅場からの帰り
発見し気になっておりました

別に石碑は道路を跨ぐ反対側にもあり
以前見に行きました

また、ここから白川を渡り時庭地区にはブログで紹介した水天宮の石碑があります

その他‥南画家の菅原白龍の碑があったりと記念碑が目に入るようになった昨今です
10月21日(日曜日)
白鷹町横田尻字中舘9 高徳寺にて午前11時より2時まで(蕎麦屋の開催時間みたい)
渋谷正斗獅子頭展を開催いたします

こちらの文殊様のお祭りでは子獅子舞の披露と伝統の獅子舞の他
お休み処での笠踊りの演舞が予定されています
今年、私が制作し新調した漆塗りたての獅子頭も展示されます 

短い開催時間ですが、お時間あればご覧下さい


因みにお隣の地区では西高玉のお祭り、こちらの獅子舞もお勧めです!

写真は制作中の獅子頭で無関係です・・こちらも展示します



福島県いわきの伝統じゃんがら念仏踊りの太鼓バチを試作してみました

写真のバチは未完成で先っちょに馬のタテガミの毛が取り付けられます
その下にある毛は代用品で、本来兎の毛が取り付けられるようです

伊佐沢の念仏踊りとの関連などこれから解明出来ればと思います‥
じゃんがら念仏踊りは沖縄のエイサーの原形でいわきの僧侶が伝えたとか‥

いわきから沖縄
いわきから伊佐沢へ?
なんて事も有り?!?
恒例の茅刈りを開始しました

今年は気温が高いのか葉が青々としている様です

ちょっと動くと汗だく、体重増加と運動不足がたたっています

その為ツナギの作業着をLサイズからLLサイズにランクアップです

茅場は毎年刈り上げないと茅が倒伏し荒れ始めます

ツタや棘、山漆等の灌木類も侵出してきました

自然界では生存の為のせめぎ合いが静かに行われています



これから作業は初雪が降るまでボチボチ進みます
日曜日‥長井市のよさこいソーランのグループ、姫憂兎(きゅうと)さんと

えくぼ獅子舞クラブのコラボで仙台勾当台公園を中心に開催した「みちのくよさ

こいソーラン2012」に参加させて戴きました



姫憂兎さんは平均年齢20代・・・かな?

ご覧の通り若々しく綺麗な方ばかり華やかですねぇ



一方・・えくぼ獅子舞クラブは辛うじて40代でしょうか

まぁ・・わたくしは最年長で平均年齢の足を引っ張る存在ですが

落ち着いた雰囲気を醸し出しておりました



不慣れな仙台駅前周辺の場所を替えて四回の公演

地下鉄で行ったり来たり・・・歩いた歩いた

こんなに歩いたのは昨年の獅子宿のお祭り依頼でした

サプライズやハプニングもありました・・


おしっさまのご利益で楽しい思い出がまた刻まれました



先週土曜日‥伊佐沢小学校で蕎麦打ち体験教室の講師を務めました


学年で栽培している畑を見に行くと蕎麦が実っていました
なんとその実から根が伸びています
地面に落ちる前の準備でしょうか?


今回は親子で蕎麦打ち体験です
こちらが萩野の大日堂の獅子頭です

あくまでも個人的な印象ですが・・・






こちらはご近所の獅子二頭・・・目と眉毛が似てるでしょ?




こっちの方が近いかな?

さっそく宝珠と耳を試作しました

大型ヘビー級の獅子頭ですから宝珠と耳も大型

大変でした・・・

宝珠は木工旋盤で木屑のシャワーをかわしかわし制作

その形は玉ねぎの様な形ですが、軸穴の周りにあった擦れた跡の直径を

元にこのプロポーションを想定しました


耳の制作はなかなか大変です

丸みがあって固定しにくいのです


制作には固定金具を駆使しますが、チェーンソーの反動で固定金具が外れ

ズドンと足にめがけ落下するのです・・・慣れとは怖いもので

固定金具の落下をかわす習慣が身に着きました


ははははは

見事寸前に避けて

ヤッターーー!!!って


さてさて・・宝珠耳無しの赤獅子はとりあえず部品が揃いました



ゼペット爺さんはピノキオを眺めて美味しい晩酌を楽しむのであります

今日は芋煮でした


やっぱり萩野の獅子に似てる・・・・





見事な半纏の絵柄です

背中に鯛を釣り上げたお馴染み恵比寿尊が生き生きと描かれています

その他 七福神 宝尽くしが所狭しと時代を経た渋い輝きを放っています


昨日、長井市丸大扇屋の所蔵品を拝見する機会がありました

染めの技法の筒描きと肉筆で描いた逸品です


こういう逸品を見るとレプリカを制作し復元したくなります



だめ?




今日もまた良い顔の獅子頭が訪れました

川西町では現在の黒獅子の文化以前に赤獅子の文化がありました




そう・・この獅子はポツリポツリと語り始めました

昨日アップした黒獅子と同じ神社の古老獅子

一切この獅子の詳細は不明です

高畠町や米沢市、川西町内でもわずかに残っている角付けの獅子と思われます

神社領内の厄払いで若者たちが獅子を担ぎ走るか、練り歩き一軒一軒訪れる




黒獅子の様な舞の様式は薄れていたため長井の黒獅子の様式を取り入れ

伝統化していったのだろうと推測出来るかと思います


耳と宝珠は行方不明で耳には縄がかけられていました

警固かかりの稽古で使われているのですが、重い為に耳の穴に縄をかけて上か

ら吊って補助するのだそうです


忘れ去られ、少し悲しい余生の獅子はそんな悲しみを微塵にも見せず

怖い顔を保っています


それで・・・おせっかいですが

ゼペット爺さんのごとく所在不明中の宝珠と耳を

作ってあげようかと考えています


どんな形にするか周辺の親戚獅子を調べ傾向と対策を検討中です

内緒ですが、密かに長谷部吉之介作獅子ではないかと・・・まさかね


んーー??

萩野の獅子にも似たり??(写真なし)


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古くて珍しいお獅子にご来訪戴きました

二つの獅子の奥の方・・明治3年(西暦1870年) 今から142年前の作

記名は消されて不明ですが私の見立てでは梅津弥兵衛の作

梅津弥兵衛は長井市大町の指物大工でもある獅子彫り名人

総宮神社の獅子頭を始め、長井周辺の神社の獅子頭を数多く制作している


1878年夏にはイザベラバードが東北を巡る旅で小松を訪れているので

ひょっとしてこの獅子を見たかもしれませんね・・



この獅子パッと見て驚きました

白目が描かれています!!!

しかも金ではなくて銀箔・・腐食して黒っぽくなっていますが


依頼主に以前・・同町の神社の獅子頭に同じ白目が描かれていた事を

お話しすると・・なんとこの獅子頭をモデルにしたとか

獅子舞もこちらから習ったというお話です


白目有りの獅子頭を診察すると満身創痍の修理跡だらけ

激しい割れと擦過傷・・



顎も頭も真っ二つの跡が生々しく伺えました

その修理跡をご覧ください



弥兵衛名人の修理はその指物師の腕を発揮し芸術的



長井市の草岡の獅子頭を修理した時にも精巧な修理跡と出会った事を

思い出します


依頼主からこの獅子の武勇伝をお聞きしました

とにかく暴れ獅子で、二階から見下ろす町民を見つけると石を投げて罵倒

したり、獅子の道を塞ぐ消防車にはボンネットに獅子頭を叩きつけ凹ませた

り・・川に落ちるのは日常茶飯事

昭和15年のお祭りでは終戦の知らせを聞いて激昂した獅子振りが松の根っこに

獅子頭を叩きつけたとか・・・その真っ二つの割れは、その時の傷だそうです


写真の下の獅子を新調した昭和51年(渡部 亨 作)まで明治大正昭和と100

年以上長く務め上げた功労の獅子だそうです

顔中の傷はその激動の歴史を物語っているようです



さぁ〜今宵は一緒に酒でも酌みあって昔話をお聞かせ下さい