獅子宿燻亭2

▼久々にわくわく

明治八年の長井は勿論今の道路事情とは
全く違う事が読み取れます。

ただ横道、裏道といったその時とは変わらない
道が残っていました。

曲がりくねっている川の形も
手がかりになり、現在の住宅地図と重ねて
見ることができて、実におもしろい!

古い地図にあった
本町の御殿通りあたりの
呼び方が・・
御蔵 
御蔵内
御蔵前
という地名の元になった蔵の場所も
特定されようとしています。

蔵に御とをつける事はただの蔵ではないし
御蔵内と前という地名からして
かなり大規模な蔵ではなかったか

上杉藩の領主が年貢の米の状況を
視察しにきた殿様の逗留した建物が
御殿のようだったというで
御殿通りと呼ばれるようになった話・・・
また
蔵自体が豪奢で御殿のようだったことなどとも
想像できます。

来週
むかし蔵守だったという長老に
お話を聞くことになっています。
まだまだ面白い話が秘められてようです。


●2009.10.03
●御殿ファン
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