獅子宿燻亭2
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明治八年の長井は勿論今の道路事情とは 全く違う事が読み取れます。 ただ横道、裏道といったその時とは変わらない 道が残っていました。 曲がりくねっている川の形も 手がかりになり、現在の住宅地図と重ねて 見ることができて、実におもしろい! 古い地図にあった 本町の御殿通りあたりの 呼び方が・・ 御蔵 御蔵内 御蔵前 という地名の元になった蔵の場所も 特定されようとしています。 蔵に御とをつける事はただの蔵ではないし 御蔵内と前という地名からして かなり大規模な蔵ではなかったか 上杉藩の領主が年貢の米の状況を 視察しにきた殿様の逗留した建物が 御殿のようだったというで 御殿通りと呼ばれるようになった話・・・ また 蔵自体が豪奢で御殿のようだったことなどとも 想像できます。 来週 むかし蔵守だったという長老に お話を聞くことになっています。 まだまだ面白い話が秘められてようです。
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