まほろば天女ラクシュミー

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4話 二人はラクシュミー



「ごっめぇーん わすれてたー」
 千代ちんからの電話を切ると、急いで身支度を整え、シンハを自転車のかごに放りこむと初夏の日差しの中へとこぎ出した。
「そんなにあわててどうしたッハー?」
 前かごの中からシンハがのんきな声でたずねてくる。
「・・・取材よ取材、・・・新聞部の」
「いったい何があるッハ?」
 全力疾走中に、質問ぜめは、つらい。
 どうせ遅刻だ、とわたしはスピードを落とす。
「ふぅ、えっとね高安の犬の宮のところでペット供養祭ってのがあるんだって・・・」
高畠町の高安地区、そこには日本でもまれな動物を神様として祭る祠がある。
昭和の終わりころからその祠で毎年7月の後半の土曜日に、ペット供養際というイベントを町の観光協会が始めたのだ。
話を聞きつけた愛犬家や愛猫家たちが日本全国から訪れお参りし、亡くなったペットの霊を悼むのだ。
「そこをこないだの緑道のときみたく・・・あぁぁ予習忘れた・・・」
 わたしは目をつぶって天を仰ぐ。
「わぁ、ぼたん!ちゃんと前見て走るッハ!」
 小石に乗り上げたショックでかごから放り出されそうになったシンハがわたしをたしなめる。
「あ、そうだ、ちょうどいい生き字引がいるじゃない」
「何だッハ、生き字引って!」
 シンハがむっとした声を上げる。
「ねぇねぇ、犬の宮と猫の宮のお話ってどんなんだっけ?」
「ファインのソーセージ2袋だッハ!」
「ちゃっかりしてるわね・・・」
 わたしは首をすくめる。
「犬の宮は、タヌキに化かされていけにえになる村の子供を、旅のお坊さんがおかしいぞと思って甲斐の国から犬を連れてきて助ける話だッハ。猫の宮は、飼ってる猫が奥さんに呪いをかけてると思った旦那さんが猫に切りつけるんだけど、実は猫がヘビの化け物から奥さんを守ってたんだよってお話だッハ。」
 シンハは前を向きながらそっけなく言った。
「えーっ、それだけでソーセージ2袋!ぼったくりよー」
「ちゃんと予習をしておかないぼたんが悪いッハ」
 シンハがちらりと振り向く。その瞬間ハンドルを操作してわざと小石に乗り上げてやる。
「うわぁッハ」
 と、シンハが足を突っ張る。
「もうぼたんなんか知らないッハ」
 どうやらシンハを怒らせてしまったようだ。
「アラ、ごめんなさいねぇ。で?ホントにそんなコトあったの?」
「何がだッハ?」
「その、犬の宮と猫の宮の話」
 あやまりついでに気になったことをたずねてみる。
「さぁ、わからないッハねー」
「何よ、感じ悪いわねあやまったじゃない」
わたしはハンドルを小刻みに揺さぶってやる。
「ちょー、危ないッハ。あの話は僕がこっちに来る前の話だからよく知らないッハー」
「へ、そうなの?」
「そうだッハ。僕がこっち着たのは大同二年、犬の宮は和銅のころの話だッハ」
「ちょ、ちょっとまってよ。西暦で言ってくれなきゃわかんないって」
「まったく、大同二年は西暦807年、和銅は大体708年ごろの話だッハ」
「へー1300年も前の話なのねー」
ずいぶん長生きなんだなこのコ、と妙なところで感心してしまう。
「はい、ここで中間テストの復習だッハ。和銅年間に起こった一大イベントといえば?」
「え、え、わどう、わど・・・?え?」
「ヒント、なんと見事な・・・」
「平城京?え、あ、そのころの話なんだ!」
「後は古事記や和同開珎、国産の貨幣ができたのもこのころだッハ」
「へぇー」
知ってる年号と当てはめるとえらく古いころの話なんだなぁとなんとなく実感がわいてきた。
「犬の宮の話だけど、役人に化けたタヌキが人年貢として都に子供を連れてくといって、お坊さんがそれはおかしいっていうんだけど、なんか感じないっハ?」
「え、なにが?」
「なにがじゃないっハ、奈良時代はどんな風に納税してたッハ?」
「えぇと、ちょっと待ってよ、口分田と租・・・庸・・・調・・・だっけ?」
「そのうちの庸は?」
「確か都で兵役に・・・あ!」
「人年貢だッハ」
「なるほどねー、じゃ、タヌキの言ってることおかしくないじゃない」
「そうだッハ。もうひとつこの時代に東北でどんなことがおきていたかっていう話だッハ」
「どんなっていうと・・・?」
「和銅2年に庄内に出羽柵(でわのき)って言う砦が作られたッハ。大和朝廷による蝦夷地征伐が行われていたんだッハね」
「和銅って言うと、あ、犬の宮の話のころか」
「その後、和銅5年に最上と置賜が出羽の国として陸奥の国から分離されたッハ。このときに高安にあるハプニングが起きたんだッハ。」
「なによハプニングって?」
「高安は陸奥の国から出羽の国になったんだけど、出羽の国では高安がまだ陸奥の国だと勘違いをして年貢を取るのをしばらく忘れていたんだッハ。」
「ちょ」
「しょうがないからまとめて重い税をとろうということで、租庸調のうち、兵役を出した家は破産するとまで言われていた庸を重点的にかけたッハ。」
「へぇ、そんなにひどかったの、その庸って?」
「当時の兵隊には食事が支給されなかったッハ。食べ盛り、働き盛りの男をその家族が支えなければならなかったッハ。子供が一浪したあとに、私立大学に入った親みたいなもんだッハ」
たとえが痛いよシンハ・・・
「それともうひとつ、移民政策もこの話には影響を与えていると思われるッハ」
「移民政策?」
わたしは首をかしげる。
「朝廷は出羽の国を整備しようとして、いろんな国の人を無理やり連れて来て住まわせたんだッハ。その中に甲斐の国から犬を連れてきた人がいたかもしれないッハ」
「はぁ・・・」
「こういった社会の背景の中、役人のミスで重い税を押し付けられた不条理から少しでも気を紛らわすためにこういった話が生まれたんじゃないか、と思うんだッハ。」
ホントかどうかは知らないがなんだか妙に納得してしまった
「どうだッハ、奈良時代の復習。コレでソーセージ一袋は安いっハ」
「えー、まだ続きあんの?」
正直もう頭がいっぱいだ。
 たかはたこども園のわきを通り過ぎ、そろそろ高安地区へと入る道が見えてくる。
と、突然ドーンという大きな音とともに高安地区から大きな土煙が上がるのが見えた。



「何?」
自転車のブレーキをかけ、土煙の上がったほうをながめる。
「やだ、犬の宮のほうじゃない・・・千代ちん・・・」
「ガス爆発とかじゃないみたいだッハね」
再度ドーンという音とともに2本目の土煙が上がる。
わたしはシンハと顔を見合わせる。
「シンハ、如意宝珠出して!」
「もう変身するッハ?」
「自転車より変身して走ってった方が早いわ」
わたしは自転車を高安の入り口にある火葬場まで走らせそこに止める。
普段人気の無い奥まった火葬場は変身するには絶好の場所だ。
「オン・チンターマニ・ソワカ!」
光がわたしを包み込み、ラクシュミーの衣装を身にまとう。
「いくわよ!シンハ」
言うなりわたしは駆け出した。
橋を渡り、高安の集落に近づくと何人かの人が悲鳴を上げながらこちらへ向かって走ってくる。
なるべく目立たないようにわたしは青く茂った田んぼのあぜへと入る。
わたしの姿は何人かの目に入ったはずだが誰もそれに気を止めるようすは見えない。
時おり後を振り返りながら必死になって何かから逃げているようだった。
また、ドーンと音が鳴り響いた。
「何だか知らないけど急がなきゃ・・・」
わたしは再び土煙の上がった方に向かって駆け出した。
猫の宮を囲む木立の向こうにお祭りを知らせる背の高いのぼり旗が見えてくる。
犬の宮はその向こうの小高い丘の中腹にある。
その丘のふもとに50台ほどとめられる駐車場が整備されており、今日はとめ切れないほどに車が並んでいる。
異常なのはその車のうち何台かが腹を向けてひっくり返っていることだ。
「なにこれ・・・」
つぶやいた瞬間また奥の方でドーンという音と土煙が上がった。
その土煙の上のほうに赤い影が見える。
あれは・・・何度かわたしを助けてくれたあの覆面の人だ!



覆面の人は受身を取れず、アスファルトにしたたかに体を打ちつけた。
その彼にむかってジャリッ、と歩みを進めるものがいる。
体長3メートルはあろうかという熊?・・・いやタヌキの化け物だ!
タヌキはゆっくりと口を開き動けない彼へと狙いを定める。
「たぁーーーーーあぁ!」
そのタヌキに向かい横からとび蹴りを食らわせる。
ゆっくりと崩れ落ちるタヌキと覆面の彼の間に入り、彼をかばうように身構える。
「だいじょうぶ?」
チラリと彼を見て安否を尋ねる。
「・・・あぁ・・・」
そういうと彼は何とか立ち上がった。
顔を正面に向けるとタヌキもまた起き上がっていた。
タヌキは大きく息を吸い込む。
みるみるおなかが膨らんでくる。
「くるぞ!」
覆面の彼がさけぶと同時にタヌキがパンパンに膨らんだおなかを叩いた。
ドン!
衝撃波が襲う!
バッシャーーーーーーーン・・・・・・
わたしたちの後ろにあった「ため池」から衝撃波を受けて水柱が立ち上る。
彼のおかげですんでのところで避けることができたが、もしあれを食らっていたらと思うとぞっとする。
と、視界に見覚えのある影が見えた。
だいぶ離れた場所にいるが、こっちに向かってカメラを構えているのは千代ちんだ!
「はやくにげて!」
向こうへ行けと彼女に手を振る。と、千代ちんがこちらを指差す。
「へ?」
と思った瞬間、横から強い力で押されわたしはその場から弾き飛ばされる。
振り返ると今わたしがいた場所には覆面の彼が横たわっており、その足にはタヌキの腕が振り下ろされていた。
わたしはすぐにタヌキに向かって飛び掛るがタヌキはそれをヒョイとかわし間合いを取る。
「ぬ、おぉお・・・」
背後からは彼の辛そうなうめき声が聞こえてくる。
「ごめんなさい!」
今度はスキを見せないよう、タヌキから目をそらさないようにして彼に声をかける。
「とにかくアイツを彼からひきはなさなくちゃ・・・」
わたしはタヌキのふところに飛び込み、2、3発パンチをおみまいして、覆面の彼と反対側に回り込む。狙い通りタヌキはこちらへと注意を向ける。
「さぁ、来い!」
とかまえる視線の先、先ほどのため池から見えているだけでも5メートルはあろうかという大きなヘビが鎌首をもたげて覆面の彼を狙っているのが見えた。
覆面の彼は足を押さえて動けない。
「もう!」

殴りかかってきたタヌキを跳び箱の要領で飛び越し、再び覆面の彼の元へと寄り添い大ヘビをけん制する。
前には大ヘビ、後ろには化けタヌキ、足元には動くことの出来ない覆面の彼。
絶体絶命のピンチだ!
ほっぺたをタラリと汗のしずくがつたって落ちる。
「とにかく動けるようにしなくちゃ」
わたしは覆面の彼を抱き上げる。いつかの反対、逆お姫様抱っこだ。
重さは何とかなるが、大きいので動きづらい。
「気をつけろ!来るぞ!」
彼の声に振り向くとタヌキがまた衝撃波を放つ準備をしていた。
「避けろ!」
彼の叫び声に合わせて飛び上がり何とか衝撃波をやり過ごす。
しかし、そのタイミングにあわせて大ヘビがアタマをぶつけてきた。
「キャァアァアアァァァ・・・」
空中から叩き落されたわたし達は離ればなれになって地面へと叩きつけられる。
彼は気を失ったのかピクリともせず倒れ伏している。
ズルリ、ズルリと大ヘビがため池から這い出してきた。そしてその長いしっぽをわたしへと伸ばしてくる。
「逃げなきゃ・・・」
と思うが、叩きつけられたダメージで思うように体が動かない。
ついにヘビのしっぽはわたしを絡めとると、ぐるぐる巻きにしてそのまま宙に持ち上げた。
「ラクシュミー!」
シンハの声がする。
見ると離れた場所からシンハがこちらを見上げて声を張り上げている。
「・・・シン・・・ハあぁあああああぁぁぁあっ!!!!」
大ヘビがわたしの体を締め上げる。
みりみりと体中に激痛が走る。
「ラクシュミーーーー!」
さけぶシンハに千代ちんが駆け寄ってくる。
シンハは千代ちんに抱き上げられて保護されたみたいだ。
シンハが暴れて千代ちんは押さえつけるのに必死だ。
そのとき大ヘビが再びわたしを締め付けるために力をこめた。
「あ゛ぁぁぁあ゛ぁぁぁあぁぁぁーーーーーーーーっ!!!!」
あまりの痛みに目がかすんでくる・・・
その時、千代ちんの体が強い光に包まれた。



ゴウッ!
ゴウッ!っと、激しい風きり音とともに真っ赤な炎がヘビへと向かって飛んでくる。
大ヘビの頭は炎に包まれ、たまらずわたしを取り落とした。
ドンッ!
と、タヌキが衝撃波を炎の飛んできたあたりに放ち、土煙が上がる。
するとその場所から一瞬早く緑色の影が飛びあがり、空中から火の玉を打ち出した。
火の玉はタヌキの足元に炸裂し、炎の壁ができる。
緑の影は空中で一回転すると、倒れている私のそばにふわりと舞い降りた。
「だいじょうぶ?ぼたんちゃん・・・」
やさしく手を差し伸べる彼女は
「・・・千代ちん・・・」
だった。
差し伸べられた腕の手首には真っ赤な丸い飾り布で覆われている。
見上げると萌葱色でノースリーブのミニ丈の浴衣、という表現が果たして適切かどうか、それをベースに妙に立体感を増した胸元に、如意宝珠を埋め込んだ鳥を模したような飾りがついている。
背中にはかわいらしい鳥の翼が天使のようについていた。
千代ちんのトレードマークとも言える真っ赤な髪飾りはソフトボールほどの大きさにふくらみ、その先のツインテールはそれぞれ三つの束に分かれ逆立っている。
「ラクシュミー!」
シンハもわたしの元へと駆け寄ってきた。
まだ思うように立ち上がれないわたしに向かってシンハは前足をかざすと、何か呪文を唱え始めた。するとシンハの前足から何かあたたかな波動のようなものがわたしの体へと流れ込んできて痛みがだいぶうすらいでくる。
「ぼたんが文珠を取り戻してくれたおかげでだいぶ力が戻ってきているッハ」
「ありがとう、シンハ、千代ちん」
まだふらつくがようやく何とか立ち上がる。
目の前の炎の壁の向こうに見えるタヌキの影が大きくなった。

「来るわ、千代ちん」
シンハを抱き上げながらわたしは言った。
ドン!
と大きな音が響くと炎の壁が吹き飛んだ。
衝撃の余波は跳びのいてかわす。
「なるほど・・・空気を吸い込んで衝撃波をだすッハね・・・千代!あいつの回り全部を炎の壁でつつむッハ!」
「オッケー!」
言うなり千代ちんは飛び上がり、空中からタヌキへ向けて手のひらから炎を打ち出す。
シンハの言うとおりタヌキは炎の壁につつまれた。
「だめよそんなことしたって、さっきみたいに衝撃波で消されて終わりじゃない!」
「大丈夫、もうあいつは衝撃波を出せないっハ」
自信満々のシンハだが、タヌキを見ると再びそのおなかを大きく膨らませようと・・・
あれ、膨らまない?それどころかのどを押さえて苦しそうにしている。
ついにタヌキはその大きな体をどうと横たえてしまった。
「炎の檻の中は空気が薄くなっているッハ。 おまけにせっかく吸った空気も熱くなっててタヌキののどを焼いたんだッハ。 ぼたん、今がチャンスだッハ!」
「ようし」
わたしは如意宝珠に手を触れると中からトゥインクルロッドをつかみ出す。
くるりくるりと舞うように空中に曼荼羅を描き出す。
ようし気力充実!と、そのときわたしの上に影が落ちた。
見上げるとさっきのヘビがいつの間にかわたしの頭上に大きな口を広げていた。
「ぼたんちゃん危ない!」
千代ちんが大ダヌキのそばに駆け寄り、まるでサッカーボールを蹴るように蹴りつけた。
タヌキはほんとのボールのようにやすやすと蹴り上げられる。
そして、わたしを狙うヘビへとたたきつけられた。
ヘビとタヌキはもつれるようにからまりあって地面へと落ちた。
わたしは向きを変えるとトゥインクルロッドを2匹めがけて振り下ろす。
「ラクシュミー・トゥインクル・ファウンテンッ!」
光の噴水が杖の先からほとばしり、2匹の体をつつむ。
『ダデェエェエエエェェェェナアァアァアァァアァーーーーーーーーーー!!!!!!』
虹色にかがやく光の中からヘビとタヌキの絶叫があがる。
その光が叫び声とともに小さくなる。
そして完全に光が消えると、そこからシンハくらいの大きさのタヌキと、1メートルほどのアオダイショウがこそこそと藪の中へと逃げていった。
シンハが2匹のいた辺りへと駆け寄る。
「お、4つも文珠があったッハ、そりゃ苦戦するはずだッハ・・・」
とつぶやいた。
「そうだあの人!」
さっきまで一緒に戦っていた覆面の彼を探す。
確かヘビに叩きつけられて動けなかったはず。
しかし、彼の姿はどこにも見当たらなかった。



「いやー、しっかしまさかぼたんちゃんがあのコスプレの人だったとはねー」
高安からの帰り道、自転車を押している千代ちんは上機嫌だった。
「コスプレって言わないでよ・・・」
わたしはヘビの締め付けのダメージが抜けきらずにへとへとだ。
シンハはちゃっかり千代ちんの自転車のかごに乗っている。
「あれはラクシュミーって言うッハ」
「へーラクシュミーねー、インド系? あれ、亀岡文殊って神社じゃなかったっけ?」
「違うッハ、大聖寺ってお寺だッハ!」
千代ちんの勘違いにシンハがむすっとした声を出す。
「それよりシンハ・・・どうして、どうして千代ちんまで巻き込んだの・・・」
わたしの質問に千代ちんは足を止めた。
「・・・ああでもしなければぼたんはやられていたッハ。 しょうがなかったッハ」
「だからって、もしもっと強い敵が出てきたら千代ちんもこうなっちゃうかもしれないのよ」
「ぼたん・・・」
シンハがしょんぼりした顔でわたしを見上げる。
そのとき、千代ちんがわたしの肩にぽんとやさしく手を置いた。
「大丈夫だよ、ぼたんちゃん、二人でやれば平気だよ」
「千代ちん・・・」
「ぼたんちゃん一人でしょい込まないでよ・・・一人であんな大変なこと・・・だめだよ」
「・・・千代ちん・・・」
やさしく微笑む千代ちんを見て、なんだか涙がこみ上げてきた。
思わずわたしは千代ちんに抱きついた。
はずみで自転車が倒れ、シンハがかごから放り出される。
千代ちんが「よしよし」とわたしの背中をなでる。
「二人でラクシュミーだよ、ぼたんちゃん・・・あれ、そういえばそんなアニメあったよね、むかし、二人はナントカっての・・・」
湿っぽいのがいやな千代ちんは話を変えようとする。おっけ、わかった終わりにしよう。
「・・・あぁ、あったねそんなの。なんだっけ?」
わたしは涙をぬぐって笑顔を作る。
「そんなことより、二人ともラクシュミーじゃわかりづらいッハねー」
田んぼのあぜ道へ投げ出されたシンハが首を左右にひねりながら這い出してきた。
「ラクシュミーナントカってつけろってこと?」
千代ちんがシンハを抱き上げながら言った。
「ぼたんは正体がばれるのいやだッハ」
シンハが自転車を引き起こしているわたしをチラリと横目で見る。
「だってそうでしょー、ばれたら大変だよーいろいろ」
「東京のどこかの大学に一芸入試とか出来るんじゃない?」
「そんな入りかたしたくないわよ」
わたしは肩をすくめる。
「でも、まぁやっぱり必要よね・・・決めた、私はミレニアム!」
千代ちんは人差し指をつきたててそういった。
「え〜、中二病くさいし言いづらそうだよ〜」
いってわたしは自転車のハンドルを千代ちんにわたす。
「いいじゃんホントに中2だし・・・じゃぁぼたんちゃんなら自分になんてつけるの?」
「わたしは〜・・・んんん・・・ピオニィ・・・」
言うなりシンハが吹き出した。
「どうしたのシンハ君?」
「ぼたん、じつは前から考えてたッハね、普通そんな単語とっさに出てこないッハ」
「なんて意味なの?」
「花の牡丹だッハ」

「どうしたんだ、いつものお前らしくないぞ・・・」
あばら家の六畳間、せんべい布団に横たわっている赤木に湿布を張りながら、青木は言った。
「文珠一個のダデーナーなら余裕だったじゃないか。昨日のリハーサルだって危なげなく勝ってたのに・・・」
そういってもう一枚、湿布であざを隠す。痛みのためか冷たさのためか、赤木は声を上げる。
「日本中のお客さん相手にあがっちまったのか?」
言いながら湿布を張る青木にまたもうめき声で答える赤木。
言葉だけ聞けば青木の台詞は嫌みったらしいが、その口調からは赤木を心配する様子がにじみ出ていた。
「・・・なぁ・・・」
「ん?」
赤木が口を開いた。
「・・・今日のタヌキ・・・本当に文珠1個だったのか?・・・」
青木に目線だけを動かし赤木が尋ねる。
「あ、ああ、昨日までの文珠が37個だったろ、タヌキに一個、ヘビに一個使って、えぇと5かける7で・・・ほら、ちゃんと35個ある」
「・・・そうか・・・」
青木の広げた文珠を横目で見ると、赤木は目をつぶった。
「日本全国からお客さんが来るなんて聞いて奮発したんだがな、ま、こんな日もあるさ」
青木は文珠をジャラジャラと巾着袋へとしまいこんだ。
「まずはゆっくり休んで早くよくなってくれよ、友達が増える前にお前にもしものことでもあったとしたら俺は・・・俺は・・・」
「だいじょうぶ、俺たちは一緒だ・・・どこまでも・・・な・・・」
赤木は瞳を閉じたまま答えた。
青木はしばらく赤木の顔を見つめていた。
やがて赤木がやすらかな寝息を立て始めると、立ち上がり、となりの部屋へ移り、
「おやすみ、赤木・・・」
といってふすまを閉めた。

まほろば天女ラクシュミー 4話 了