まほろば天女ラクシュミー

まほろば天女ラクシュミー
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「こ、コレが、ラクシュミー・・・」
両手を顔の前に広げる。
手首に巻かれたひらひらのついたリストバンドから、視線を下にやると胸元にちょうちょうを模したような大きなリボンがついている。
着物のように腰帯で止められた上着はそでがついていないので動きやすそうだ。さらに視線を下にやると着物が太ももの辺りでスカート状にふんわりと別れている。あわてて確認したらスパッツのような下着をはいているようだ。
足元はブーツ、そして特徴的なのが羽衣のように背中についている大きなリボンだ。
くるくると回って衣装を確認していると頭が重い、その上ピンク色の髪の束のようなものがチラチラと目に入ってくる。まさかと思って頭をまさぐる。地毛だ。それもずいぶんと伸びたみたい。腰の辺りまであるようだ。
自転車に戻り通学かばんをつかむと中からかがみを引っ張り出す。
何度も何度も失敗して、どうしてもできなかったわたしの理想のお化粧。そこには、まさに理想どおりに仕上がった顔がかわいらしくうつっていた。
「衣装は気に入ってくれたッハ?」
「ちょ、ちょっとこどもっぽいかしら」
「そんなコト言って、顔がにやけてるッハ」
う・・・シンハは一言余計な性格のようだ。
「そ、そんなことよりさっきのやつ」
「そうだッハー、すぐに追いかけるッハー」
わたしが照れ隠しにそういうと、シンハはあわててふもとのほうを見た。
先ほどの紫の化け物はわたしとシンハのやり取りの間にずいぶんと先へと進んでしまったようだ。
まって、このまま行ったら学校の方に行っちゃう。もし新しい学校が壊されちゃったら・・・ダメ、そんなの絶対いや、もう古い学校になんて戻りたくない。
わたしは思いっきり大地をけって駆け出した・・・
と、思ったら、なぜか空の上にいた。
眼下に広がるのはわずかに雪の残る田んぼとぶどうのハウス。
高さの目算なんてまるっきり見当がつかないけど、滝商店の前に止まっている軽トラックがコンビニで売ってた缶コーヒーのおまけのミニカーくらいに小さく見えた。
じょじょに浮遊感がうすれてくる。
そして、垂直落下が始まる。
「いやぁああぁあぁぁぁあぁぁぁああぁぁぁああぁおぁわぁぁああぉぁあぁ!!!」
見る見る地面が近づいてくる。
死ぬ! 死ぬ! 死んじゃう!
わたしは必死で体をひねる。
「ーーーーーーーーっ」
がに股の恥ずかしい格好で、何とか両足で地面をとらえることには成功するが、足の裏からしびれるような痛みが頭の先まで何度も何度も往復する。
「なによこれ、力の加減がぜんっぜんわかんない」
シンハがよろよろと近寄ってくる。
「気を付けるッハー、今の君は普通の人の何百倍もの力を持っているッハー」
「そういうことは早く言ってよ!」
「言ったッハ!驚異的な身体能力が備わるって!」
驚異的にも限度があるでしょ・・・
足のしびれがいえると、少しずつ足を運んでみる。
歩く速度から早足、そして走る動きに。
少しずつ動きを早くすれば何とかコントロールできる。
何よりスピードが段違いに速い、まるで自動車の窓から顔を出しているかのような、そんな感触を頬に感じる。
ぐん、ぐん、ぐんと地面を蹴るたび加速していく感じもまた楽しい。
中学校が見えてきた、中から男女問わず悲鳴が聞こえてくる。間に合わなかったか!
校門の手前でフルブレーキ、砂埃を立てながら5メートルほどすべる。
少し戻って校門から校庭を見渡す。
化け物はまだ校舎にも生徒にも手を出していない様子だ。
間に合った、よーし、後はシンハの言うとおりに戦えば!
「シンハ!どうすればいい!指示をちょうだい!」
わたしは後ろを振り返る。しかしそこにはシンハの姿は無い。
そういえばよろよろしてて、さっきはまともに歩けなかったような・・・
やっちゃった・・・置いてきた・・・
顔からさぁっと血の気が引くのが自分でもわかる。
そうこうしているうちに化け物が校舎へと向きをかえる。そして両腕を組み高く掲げた。
まさか、校舎を壊す気じゃ、止めなきゃ、でも、一人でなんて・・・
化け物が間合いを計り、もう一歩校舎へと足を踏み出す。
「やめてーーーーーーーーっ」
わたしの絶叫に化け物も、そして逃げ出している学校のみんなもいっせいにこっちを向いた。
集中する視線に頭が真っ白になった。
「ほがなごどしたら、せっかぐ出だばっかのガッコぼっこれんべしたー」
(訳:そんなことしたらせっかく出来たばっかりの学校が壊れちゃうじゃない)
普段は努めてしゃべらないようにしている方言が飛び出るぐらいパニックだったと思う。
たぶん涙目だ。
こうなったらやるしかない。意を決してわたしは化け物めがけて突っ込んだ。
一気に間合いが詰まる。わたしは右手を大きく振りか、ぶっ!
またも力加減をあやまり顔面から化け物の胸あたりへと体当たりしてしまう。
しかしながら体当たりが功を奏して化け物は大きくかたむき、そして倒れる。
相当の重量があるのだろうか地響きが起きる。
どっ、とギャラリーから歓声が上がった。
・・・いける。
力加減はまだまだつかみきれないけど、
地に足つけて殴り続ければなんとかなるんじゃないかしら。
わたしは立ち上がると化け物に対して半身になって向き合い、こぶしを胸の前で構える。
化け物はうでを突っ張り必死に立ち上がろうともがいている。
わたしはまた突っ込んでしまわないように、すり足で化け物に近づくと、まだ低い位置にある頭をめがけて渾身の右ストレートを叩き込む。
化け物の頭がぐにゃりとへしゃげる。そして再び化け物は地面に倒れ付してしまう。
反撃に備えて再度構えをとる。
しかし化け物はひとみと口を閉じピクリとも動かなくなった。
「やっつけた・・・のかしら?」
そう思った瞬間、化け物の足の辺りから2本のムチのような器官が現れわたしの足に絡みついた。
そのムチに足をとられわたしは転倒してしまう。
次の攻撃に備えなきゃ、そう思って化け物を見る。
すると、腰の辺りに真っ赤な目が開いたかと思うと一気に隆起し、両の腕を高く持ち上げた体勢へと変化した。
「こんなのあり?」
思わず声が出る。
化け物の口が開き、にやりと笑う。
はずみをつけるために体をのけぞらせる。
やばい、やられる!
そのときだった、化け物が突然「く」の字に折れ曲がる。
逆光でよく見えないが、誰かが両方のひざでぶつかって行ったような・・・
化け物は再びどうと倒れ伏す。
しめた、今のショックで足が自由になった。
そのとき、わたしの前に大きな手が差し伸べられる。
みあげると、誰か大柄な男の人のようだ。
顔には覆面をしており逆光も合わせてよく表情が見えない。
ともあれ
「ありがとう」
とお礼を言って微笑むと、わたしはその手をとって立ち上がる。
すると彼はすぐにくるりと後ろを向いて、跳びあがったかと思うとその場から姿を消してしまった。
「あのひとは・・・」
姿を消してしまった彼を探すためあたりに視線を走らせる。しかし彼の姿は見つけられない。
そのうちに、みたび化け物の体がごもごもと隆起を始める気配がした。
「ラクシュミー」
どこかで聞いたような声がした。
「ラクシュミー」
シンハの声だ。追いついたんだ。
「ラクシュミー、トゥインクルロッドを使うッハー」
「トゥインクルロッド?」
また聞きなれない単語が出てきた。
わたしは化け物と間合いを取るとシンハにたずねた。
「チンターマニに手を当ててラクシュミートゥインクルロッドと叫ぶッハ」
わたしは言われたとおり、胸のリボンの中央についたチ・・・如意宝珠に手を伸ばし、
「ラクシュミートゥインクルロッド!」
と、叫んだ。
すると、チン・・・如意宝珠が胸からはずれ、柄のような部分が丸い側から生えてくる。
途中にちょうちょの羽ををあしらった飾りがついている魔法のステッキだ。
胸の前に浮かんでいるそれを右手でつかむと頭の中にトゥインクルロッドの使い方が流れ込んでくる。
どうやらこの杖は、空間に魔方陣のようなものを描くための道具らしい。
魔方陣を描く動作はまるで踊りのようで、くるりくるりと体を回転させるたびに体に力が満ち満ちてくるような感覚に包まれる。
体中にたまった気がおなかに集まる、そしてその気の固まりは胸をとおり、右手に流れ込み、トゥインクルロッドの先の宝珠へと凝縮されていったようなかんじがする。
わたしは化け物へと向き直る。

次にいうべき言葉が自然と頭の中に浮かんでくる。
「ラクシュミー・トゥインクル・ファウンテン!」
声を発すると同時にトゥインクルロッドの先からきらきらという光の奔流がまるで噴水のようにあふれだし、化け物へと向かって降り注いだ。
「ダ・・・ダ・・・ダデーナァアァアアアァァァァアアアァァァ・・・・・・・・」
輝く光の泉の中で、化け物は体をねじらせ、ゆがめて、ちぎれ、そして消えていった。




「・・・だでーーなぁーーー・・・・・・」
化け物の声が小さくなっていく。
「どうやら行ったみたいね・・・・・・ったく、なんなのよもー」
わたしは顔を上げ、ずり落ちてきたメガネをなおすと化け物の行ったであろう方を向いた。
木立にかくれてよく見えないが声からするとだいぶ下へといったようだ。
腕の中でもぞもぞという感触がする。あの緑の犬が目を覚ましたようだ。
犬は腕の中から這い出そうと手足をばたつかせたり突っ張ったりする。
「だめよ、あなたケガしてるじゃない」
わたしは犬をしっかりと抱きしめた。
「・・・でも、ぼくはこの町を守るためにあいつを倒さなきゃならないッハー」
え?
誰かの声がした。この場にいるのはわたしだけのはず。
なんだか怖くなって犬を抱く腕に力をこめた。
「いたい!いたい!いたいッハー!」
犬が手足をばたつかせながらそうさけんだ。
犬がさけぶ?
いやどう考えても声の出どころはここしか考えられない。
わたしは恐る恐る視線を下にうつす。
「いい加減に放すッハー」
犬はそういいながらなおも手足をばたつかせる。
わたしは気味が悪くなって犬をほおり投げた。
突然体を宙に投げ出された犬は受身をとれずに顔から地面に落ちる。
「っつつ、ひどいことするッハー」
犬はうらめしげな声を上げるとこちらを振り返る。でもこっちはそれどころじゃない。
だって、
「い、犬がしゃべった・・・」
んだもの・・・
「僕は犬なんかじゃないッハー。文殊菩薩様の使いで、この高畠町を守る守護聖獣、唐獅子のシンハだッハー」
わたしの声を聞いて犬が少しむっとした顔をしていった。
「しゅご・・・せいじゅ・・・え?唐獅子・・・?」
「高畠を守る守護聖獣のシンハだッハー!そんなことよりあの化け物が町に悪さをする前に何とかしなきゃならないッハー」
とまどうわたしに再度名乗ったシンハは、くるりと振り向いてふもとのほうへと駆け出そうとするが何歩も歩き出さないうちに地面へと突っ伏した。
「ちょ、だいじょぶ?」
犬(の様な動物)がしゃべる姿はなんだか気持ち悪いけど、こうもボロボロだとなんだか心配だ。声をかけずにはいられなくなる。
シンハはゆっくりとわたしの方を振り向くと震える声でこういった。
「君の力を貸して欲しいッハー」
「わたしの、力・・・」
わたしは思わず聞き返した。
「そうだッハ、天女ラクシュミーに変身してあいつと戦って欲しいッハー」
「・・・・・・」
シンハの言った事が何一つ理解できない。きっとわたしはそんな顔をしていたのだろう。
シンハはあわてて説明をはじめた。
「僕がこの町を守るようになったのは今から千二百年前くらいだッハ、でも僕一人の力だけじゃなかなか思うようにこの町を守りきれなかったんだッハー」
シンハはなおも言葉を続けた。
「そのとき手伝ってもらった女の子がラクシュミーだッハ。ラクシュミーに変身すると驚異的な身体能力と、明晰な頭脳、そしてたぐいまれなる美貌が手に入るッハ。どうやら君にはその素質があるみたいだッハー」
「素質っていったって、そんな絶対無理無理ムリムリ!」
わたしは全身で拒絶を表現する。驚異的な身体能力っていったって、たぐいまれなる美貌っていったって、明晰なずの・・・明晰な頭脳・・・明晰な頭脳!
「・・・ねぇ、シンハ・・・くん」
「ど、どうしたッハいきなり」
シンハは突如変わったわたしの声のトーンに戸惑いを見せた。
「明晰な頭脳ってことは、そのらく・・・らく・・・」
「天女ラクシュミーだッハ」
「そう、そのラクシュミになれば、勉強ができるようになるのかしらん」
正直わたしはそれほど勉強ができるわけではない。とはいえ中の上くらいの成績はとれてると思う。
家族からは成績の面でいろいろ言われることはない。しかしながら、希望する進学校に入って、なるべくお金のかからない国公立の大学となるとまだまだ努力が必要みたいだ。
人並み以上に机に向かってる時間はあると思う。去年の夏からメガネをしなければならなくなったほどだ。でもなぜか結果が付いてこないのだ。
「中学生の勉強なんてじょさ無くできるッハー、高畠を救えるのは君以外にいないッハー」
シンハは興奮気味にそう答えた。しかし答える前の一瞬、半ばあきれた表情をしたのをわたしは見逃さなかった。
「勝算はあるの」
「いうとおりに戦ってくれれば楽勝だッハー」
よーし、これでわたしの夢がかなうなら、ちょっとの危険なんてへでもないわ。
「どうすればいいの?」
「これを使って変身するッハ」
シンハは首から器用に宝石のようなものを取り外すと、わたしに渡した。
「なに、これ?」
ちょっとつぶれた水滴型、わかりやすくたとえるなら某有名RPGのスライムみたいな形をした透き通った玉だ。
「それは変身アイテムのチンターマニだッハ、それを高くかかげてオン・チンターマニ・ソワカとさけぶッハ」
「よーし、オン・チンター・・・・・・って、どさくさにまぎれて女の子になんてこと言わそうとしてるのよ!この、セクハライオン!」
その気になって意気揚々と腕をかかげるが、途中ではっと気がついた。
「な、何をいうッハ!この状況でそんなこと思いつくほうがどうかしてるッハ」
シンハがあわてて言い返す。
「チンターマニは如意宝珠、願いをかなえる宝石っていう意味だッハ。このチンターマニにはこの高畠町を守りたいっていう僕の願いがこめられているッハ。お願いだッハ、その真言を唱えてラクシュミに変身して欲しいッハ」
シンハは真剣な目をしてわたしを見つめる。
「でも・・・」
その「ことば」には・・・抵抗がある。
「大丈夫だッハ、誰もいないし僕しか聞いてないッハ」
ちっきしょう。何プレイだよコレ。
わたしは意を決して、チ・・・如意宝珠を高く掲げる。
「オ、オン・チ・・・・・・オン・チンターマニ・ソワカ!」
目をつぶりその言葉を発すると、わたしは開放感に包まれた。
如意宝珠を持ったその手から暖かさが伝わり全身にひろがっていく。まるで温泉に入っているような心地よさだ。
つぶっていた目を開くとわたしは金色に輝く空間の中に一糸まとわぬ姿で浮かんでいた。
不思議なことに恥ずかしいとかそういった感情はまったく感じない。
メガネをつけていないのにはっきり物が見える。
どこからか、ピンクとも紫ともつかない色のもやのようなものがただよって来て体にまとわりついてくる。
体にまとわりつき密度を高めたもやは一瞬強い光を放つとひらひらのゆったりとした衣装に変わる。
からだ、あし、うで、あたま。衣装が次々体中をおおっていく。
不意に金色に輝いている空間に天頂からさらに強い光が差す。まるでそこからこの空間が裂けてしまうように。
わたしは強い光に再び目をつぶった。

気がつくと、わたしは再び元の亀岡文殊堂、伊藤売店の裏に立っていた。
シンハが尻尾を振ってうれしそうにわたしを見つめている。
「ラクシュミー、誕生だッハ!」




「文殊様、今日から新しい学校生活がスタートしました。がんばって勉強しますので、いい高校に入って、いい大学に進学できて憧れの雑誌編集者になれますように・・・」
 賽銭箱にふんぱつして五十円を入れた。
 放課後、学校帰りに亀岡文殊へよってみたのだ。
 亀岡文殊堂は平安時代、九世紀のはじめごろに建てられたお寺で、学問の神様を祀っている。
日本三文殊のひとつに数えられるそうだ。
 学問の神様にあやかって、かどうかは定かではないが、新しい中学校はこの近くに建てられたのでせっかくだからと足を伸ばしてみたのだ。
 毎年正月には合格祈願の参拝客で2キロ四方の道路で大渋滞を起こすこのお寺も、受験シーズンも終わって、年度初めの平日の夕方、観光客の姿はまるで無い。
 長い石段の上、太くて高い杉の木立に囲まれた亀岡文殊堂はいまだ雪囲いの板で囲われていた。林の中の日のあたらないところにはまだ溶けきらない雪が見える。
 と、しんと静まりかえってしかるべき文殊堂の林の中に、似つかわしくない音がズシーンズシーンと響いてきた。どうやらお堂の裏手のほうからその音は聞こえてくるようだ。
 工事でもしてるのかな?と、私は好奇心に駆られて音のする方へと歩いていった。
 異臭がした。
 次に、信じられないような光景が目に飛び込んできた。
 木立の奥に見えたのは、高さ3メートルはあろうかという毒々しげな紫色をした有機質の円錐形の物体であった。
下から八分目ほどのところから生えた丸太のように太い腕のような器官でしきりに地面をたたいている。
その紫色の物体が叩いているあたりを緑色の小動物のようなものがちょろちょろしていた。耳がたれ、もこもことした体毛におおわれたそれは座敷犬のように見えた。
 座敷犬は、紫の周りを駆け回りながらしきりにほえたり跳びかかったりを繰り返していた。 
そうするうちに紫の円錐形をした物体はグニャグニャと体を波打たせながらわたしの方へと向きを変えた。
「ひいっ」
 とわたしは息を飲む。
円錐形の頂上部分には半月上に見開かれた、つりあがった赤い目のような器官と、ぎざぎざの牙を模した口のような器官がついていた。
「!?」
 わたしの声に反応したのか緑色をした座敷犬が動きを止めてこちらを振り向く。
 紫の円錐形はそのスキを見逃さなかった。化け物は丸太のような腕をすくい上げるように座敷犬に向かって振りぬいた。
座敷犬は放物線を描いてこちらへと向かって飛んできて、
すぽん
 と、わたしの腕の中におさまってしまった。
 座敷犬はぐったりとした様子で頭をたれている。
打ち身や擦り傷などでひどく怪我をしているようだ。
ちょっと待って、この子がこっちに飛んできたっていうことは・・・
わたしは視線をチラッと上に移す。
最悪だ、化け物と目が合ってしまった。
紫の化け物はゆっくりとおぞましく体を波打たせながらこちらへ向かって向きを変える。
その間わたしはヘビににらまれたカエルのように身動きひとつ取れずにその動きを見つめていることしかできなかった。
化け物の動きが止まる。
腕をゆっくりと持ち上げながら、化け物は真っ赤で大きな口をさらに大きく開く。
「だぁーーーーーでぇーーーーなぁーーーーー」
化け物がそう叫んだと同時にわたしも我にかえる。
あわててスカートをひるがえし駆け出した。
お堂の横を走り抜け、広い境内を突っ切って、石段の前まで出て後ろを振り返る。
化け物は見えない。
午後の日差しの下に出ると今までのことが白昼夢の中のことのようである。
しかし、ズシン、ズシンと規則正しく響いてくる振動が、先ほどまでのことが現実であることを物語っている。
お堂の影から化け物が顔を出す。見知った建物と比較すると、その大きさのリアリティが笑っちゃうほどよく伝わってくる。
「なんなのよ、なんなのよ、なんなのよもー」
突きつけられた現実から逃げ出すために、わたしは階段をかけおりた。
先ほど見た感じでは化け物は円錐の形状から足を二本、短いながらも生やしたようだ。
短足で腕が長い、まるでゴリラのように変体した化け物の足が遅いのが救いだ。
わたしは何度もすべって転びそうになりながら全速力で階段を駆け下りる。犬を抱いてるから両方の腕が使えないが、それでも転ばないバランス感覚は我ながら感心する。
しかし悲しいかな運動不足、売店にたどり着くころには下りとはいえ横っ腹が痛くなる。
だめ、もう走れない。
人のいるであろう場所にたどり着いた安心感もあって急に足が重くなる。
あそこに、あそこにさえ逃げ込めば助けてもらえる。という希望はベージュ色のシャッターによって打ち砕かれた。
「だでーーーーーーなーーーーーーー」
化け物の声が近づいてくる。とにかくかくれなきゃ。わたしは売店のうらへと回ると体を丸めてぎゅっと目をつぶった。



桜の花が舞い散る中の入学式なんてテレビやマンガの中だけの話だ。
日差しこそ穏やかになったものの、自転車をこぐと風が頬に冷たい。
遠く吾妻の山の頂に残る雪を眺めながら、わたし、冬咲ぼたんは中学校へ向かって自転車を走らせていた。
 ここは山形県東置賜郡高畠町。山形県の南東部に位置する人口約2万5千人の町だ。一応新幹線も止まるし、町としてはそれなりな規模かもしれないが、刺激に乏しい退屈ないなか町だ。
最近珍しく起きた事件のようなものといえば駅においてある赤鬼と青鬼のオブジェが突如消えてしまったことぐらいだ。何者かによる窃盗と見られている。
この町出身の童話作家 浜田廣介の代表作品「泣いた赤おに」をモチーフに十数年前の中学生が作ったものらしいがあんな2メートルを超えるような張りぼてをいったい誰が?何のために?まったくわけがわからない。
 この町もごたぶんにもれず少子化で、今年度から町内4つの中学校が統合されることになった。
ほかの学区の生徒たちと一緒になるのは少し不安、でも今までの古い校舎から新築の新しい校舎になるのはうれしい。だって新しいものに触れるとなんだか進んだところにいるような気がするじゃない。
 校庭の周りに張りめぐらされた緑色の金網が見えてくる。その中に移植されたばかりの桜の木が頼りなげに風に揺れている。
 校舎へと向かう自転車の数が増えてきた。女子は紺のブレザーに男子は詰襟の学生服、制服はほとんど代わり映えしないが、見知った顔もいれば初めて見る顔もある。
いよいよ新しい学校なんだなぁと感じながら校門をくぐった。
ま新しい校舎は鉄筋コンクリート二階建て、特にこったような特別な意匠は無い。
二年生の教室は二階にあるようだ。リノリウム張りの階段を上がっていく。ベコベコしてない、ただそれだけでうれしい。
事前に配られたプリントによればわたしは二年三組の出席番号29番。
教室に入ってイスを引くと突然誰かが
「ぽちっとなー」
と、髪でしっかりと隠したはずの、襟足にあるほくろを寸分の狂いも無く人差し指でつく。
ぼたんと言う名前と絡めて、中学校にあがるまでさんざっぱら繰り返されてきたコノいたずらに思わず「ひやっ」と首をすくめる。
しかし、ほぼ一年ぶりの今日のそれにおどろきこそすれまったく不快感は無かった。
なぜならその声。
振り返ると予感は的中。
そこには、さくらんぼのように真っ赤なボンボンつきのゴムで髪を頭の両サイドでかわいらしく結わえた、少し小柄な女の子が立っていた。
「ちーよーちーん」
「もー、千代ちんはやめてっていってるのにー」
千代ちんは唇を尖らせた。
でもそんなこというなら「ぽちっとな」もやめてよね。
この娘の名前は竹田千代、お母さん同士が姉妹、つまりわたしのいとこだ。
お父さんの仕事の都合で転勤、それもうらやましいことに都会暮らしが長かったそうだ。
今年からここ高畠で暮らすことになったと聞いていたが、
「まさか同じクラスだとはねー」
「ねー」
千代ちんはにっこり微笑んだ。
「でも、すごくほっとしてるの。だって新しいお友達作るの心配だったから。ね、誰か知り合いの娘いない?」
言われてわたしは教室をぐるりと見渡した。
すると、教室の後ろのほうで男子がなにやら言い争う姿が目に入る。
「なにガンくれてんだ!ゴルァ」
「あぁん、おめぇどこ中よ」
丸刈りが数人、おそらく野球部だなありゃ。
さっそくサル山のボス争いが始まったようだ。
「やーよねー、男子って」
「ねぇ、都会の男子もあんな感じなの?」
わたしが千代ちんにそうたずねた瞬間、教室の引き戸が威勢よく開いた。
教室中の視線が入り口に集まる。
そこに現れた詰襟には首が無かった。いや、首から上が引き戸の上に来るぐらい彼の身長が大きかったのだ。
しん、と静まり返った教室。
視線が集中する中、彼はゆっくりと身をかがめながら教室に入ってきた。
やや赤みがかり荒々しく逆立った髪の毛、頬には大きな傷跡。規格が間に合わないため、七分そでの短ランのようになってしまっている詰襟。
前のボタンはとめられず、真っ赤なTシャツが見えている。
彼はおもむろに坊主頭の一団に近づくと、腰をかがめ手に持っているプリントを見せ指をさす。

先ほどまで威勢のよかった坊主頭の一団は一言も発せず、ゆっくりと震える指先で廊下側の前から3番目の席を指さす。
巨漢の彼は立ち上がり、入り口を見やると指で合図を送る。
するとそこには彼ほどではないが背の高いメガネの男子が立っていた。
彼は猫背でやや天パの入った髪が肩まで伸びている。神経質そうな面立ちで、偏見を承知で言わせてもらうとオタクっぽい容姿だ。
オタクっぽい彼は廊下側の一番前の席、巨漢の彼は三番めの席に座った。
巨漢の彼が席に座る姿はまるで幼稚園のPTAに参加する父兄が園児のイスに座らされているようだった。
いつしか彼らの周りには誰も立ち入れないような空間ができていた。もちろんわたしも千代ちんもその空間には立ち入れない。
「・・・青木君と赤木君って言うみたいよ・・・」
「・・・なんだか、近寄りがたいよね・・・」
黒板に書き出してある席次表を指差して誰かがつぶやいた。
出席番号2番の青柳君とは同じ中学だった。
教室を見回してみると、気の弱い彼は案の定すみの方で青い顔をしていた。

プロローグ

ギャァ、ギャァとカラスがけたたましい鳴き声をあげて飛び立ったのは、夕闇が迫り薄暗くなった杉木立の中。
雪解け水でぬかるんだ林の中を、この現代日本に似つかわしくない、まるで中世ヨーロッパの魔法使いのようなローブに身を包み、フードを目深にかぶった猫背の男がひとり杖を突いて歩いていた。
「この辺にするか・・・」
 男はそうつぶやくと、杖で地面をつつく。すると杖を中心にマンホールほどの大きさの地面がまるで沼のようにどろりと変化した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 男は何か呪文をとなえながら、杖で沼と化した地面をこおろこおろとかき回し始めた。すると、沼の中から鈍く紫色の光が放たれ始めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 男のとなえる呪文が次第に大きくなりはじめる、それにあわせて沼から放たれる光も次第に強くなっていく。
 男はローブの袖から直径一センチほどの珠をつまみ出した。そうしてその珠を光を放つ沼の中へと落とす。
 珠が沼に落ちると同時に沼からの光がより強く放たれた。
 沼は次第に泡立ち始め、波が立ち、ついには隆起した。
 高さはおよそ二メートル五十、その形はまるで出来損ないの泥人形のようであったが、おおよそ自然界には存在しないような毒々しげな紫色を呈していた。
荒々しく荒れていた肌が、次第に滑らかになっていったかと思うと、頭部と思しき器官に半月状のつりあがった真っ赤な目が開く。
そうしてソレは、丸太のような腕を高々とあげると目と同様に真っ赤な口を開き、
「ダデーーーナーーーーーーーッッッ」
と、大きく叫んだ。
ローブの男はその姿を見ると小さく笑いを漏らした。
「くくく、いいぞぉ、これでわれらの悲願がかなう。この町の住民たちを、恐怖のどん底に突き落としてやれるのだ!ふふふふふ・・・・・・はぁーっはっはっはぁーーーーーっ」
男の笑いは、いつしか哄笑へと変わり、うす暗い杉木立の中に響き渡っていた。


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