ぢめんから、ようやっと、はな。
山形市郊外:田んぼ道の脇の地面から、よーやっと、花の便りです。 犬っ子ケンタ(兄9歳)も、お陰さまで、相変わらず元気です。 朝の散歩コース脇では、ネコヤナギが膨らんで、春を告げています。 当Blogで、毎年同じ事を書いてしまうのですが、 春って、「待ち遠しくもあり、待ち遠しくもナシ」・・・である。 春を待ち遠しく思う事は、おそらく誰しも同じだろうけども、 「ゆく冬を惜しむ」というか、 多分、雪の多い当地の様なところで育まれる感覚というか、 思考パターンなのかも知れないが、 一言でいえば、冬って「胎内回帰」みたいなモンなのである。 確かに、冬って、現象的には、「枯れ」、「死」とかという事もあるけど、 再生に向かっての、「胎内回帰」とか、「サナギ状態」かも。。。 おそらく、それって、森敦の小説「月山」に出てくる、 あの、「繭(まゆ)」・・・のニュアンスに近いかも知れないなぁ。。。 翻って、もしかすると、春って「痛み」かも知れない。 新芽は「鋭い」し、日光は「刺す(射す)」し、山菜は「苦い」し・・・などと、 季節は既に移ってもう春だというのに、妙に往生際が悪い自分に気付く。。 さてさて、味わいの世界で言えば、「春は苦味」だそうである。 当方、いくら還暦とは言え、「食べ物」の話になると<ゲンキンなモノ>で、 「フキノトウから始まるこれからの山菜シーズンが楽しみである。」などと すんなりと「結び」たくなる。
2015.03.09