やまがたでの日々の暮らし・自然・風景

やまがたでの日々の暮らし・自然・風景
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一昨日は少し雨が来たものの、このところは連日の晴れである。

犬っ子散歩コース脇の道端に生えている例の「ミチバタイチゴ」であるが、
お日様を浴びて、日に日に赤さを増しその数も増えている。

なんとか実になって良かった。

でも、そんな「ミチバタイチゴ」を、誰ぁーれも摘まないし、
見向きもしない。(毎日見てるのは私達だけかも;)

ところが・・・、

ちゃーんと「目聡いヤツ」っているもンだ。「カラス」である。

赤くなった実だけを狙って、上手いこと捥ぎ取って、
美味しそうな部分だけを突っついては、その辺に喰い散らかしていく。

こんな末路を見ると、「せっかく実ったのになぁ・・・。」などと
思ってしまう。が、しかし・・・
それは、人の欲みたいなものが、そう思わせているのに気付く。。。

イチゴにとっては、鳥などから食べられたりする事によって、
その種子を拡散して子孫を残すという事が、自然の営みだったのだ。

ちなみに、カラスの目と脳みそは、食べごろの果実を
ピンポイントで見付けられる様に、赤い色やオレンジ色が
特に良く見える様になっているそうだ。

ま、

この「ミチバタイチゴ」は、農家の作物から外れてしまった存在なので、
カラスとこのイチゴのナチュラルな関係に、誰も口出しは出来ない。

週末の朝は、犬っ子達と山行きであるのだが、
今週は来客があってちょっとお休み。平日通りの散歩コースとあいなる。


昨夕は、若干寒気も入ったのか?積乱雲も発達して夏の到来を感じさせられた。
(↓↓↓ 蔵王山系上空で急速に発達中)

(↓↓↓ 御所山上空辺り?の典型的な積乱雲。もう拡散気味かな?)


今朝は「ムクゲ」の花も咲き始めてました。

そんなこんなで、もう夏なんですね。

カエルでも狙っているのだろうか?

田んぼで「ゴイサギ(鷺の仲間)」」が獲物を狙っていた。

「ゴイサギ」は、東北以北では夏鳥で、
ザリガニやカエルを餌として、
獲物が近づいてくるのをじっと動かずに待ち伏せ、
一瞬の動きで嘴で捕らえる。

昨年よりも、この辺りの「ゴイサギ」の数が多い気がする。
今年だけの現象なのだろうか?
それともイワユル温暖化のせいなのだろうか?

そう言えば、やまがたにはあまり生息していなかった
「カワウ」なども移住して増えていると聞くし、
「アオサギ」なんかもかなり増えてしまって、
川の魚や、養殖してる魚などを食べてしまい、
金額的にもけっこうな被害が出ていると聞く。

本来的というか、自然界では、生き物に上下貴賎の別はない。
(同様に、食べ物にも上下貴賎の別はない。)

しかし、個人としての「好み」というものは、いくら努力しても、
どうしても拭い切れない部分もあるというのが現実なので、
どうか勘弁して欲しい事なのだが、

「ゴイサギ」・・・私は、正直、あまり好きとは言えない;;;。

快晴続きだったが、今朝は少し雲がかかって眩しさが和らいだ。

眩しさが和らぐと、これまで見えなかった小さな命が見えてくる。

あれっ? 「ヒバリ」が隠れたつもりになっている。女の子だな。


キク科の「カントウヨメナ(多分;)」が、なんとも清楚。


もうちょっと歩いていくと、「ノイバラ」達も良い香りを放っていた。

日課となっている<単なる犬っ子達との朝の散歩>とは言え、
なかなか素晴らしい風景を楽しませてくれるので、本当に有難い。

しかも全てが、嘘・偽・贋などではなく「ホンモノ」なのだ。

6月に入り、「山菜取り」や「タケノコ採り」に加え、「夏山シーズン」でもある。

そんな中、子々孫々まで末永く、自然というか、
山野で遊ばせていただくため、自分なりのルールを作って守っている。
とは言え、そんなに堅っ苦しいものではないし、けっこう身に付いてしまっている感もあるが。。。

そんなルールとかマナーみたいなものの中心に、<ロー・インパクト>という事を据えている。
ま、ざっくり言えば「出来る限り自然に影響を与えない」という事だが、
もう少し言えば、「出来る限り、自らの形跡を残さない」という事だ。

でも、それ以前に「山で人に会ったら、必ず挨拶をする」事にしている。
地元の方にももちろん同様である。

さて、今日は(その1)という事だが、

先ずは<緊急回避時以外には、原則:焚き火をしない事にしている。>。

「焚き火」をすると、どうしても灰や炭が残ってしまう。
(ま、アメリカインディアンの方法だと限りなく痕跡・形跡は残らないが、
いつか紹介出来る事もあるだろう。)

拠って、普段は上記のバーナーを使用している。

このバーナーは、白ガソリンのほか、灯油やガスも燃料とする事が出来るし、
着火にちょっと慣れが必要だが、ごく寒冷地でも使用可能で、
加えて、シンプル構造でほぼ故障知らずなので、ここ10年以上愛用している。

その他、TPOに応じて、極小サイズの軽量ガスバーナーや
仲間でのわいわいキャンプ用の大きなツー・バーナーも利用している。

仮に焚き火をしたかったならば、「焚き火が許可されているキャンプサイトのみ」としている。

ちなみに、コッヘル類はチタン製の使うことが多いが、熱伝導率が高すぎるので、
のんびりクッキングには向かない。これも用途による。

何も「焚き火の楽しみ」を否定している訳ではない。

しかし、これからも山野遊びを存分に楽しむためにも、
時代の要請的にも、無闇な焚き火は自ら控える事にしている。





空気も乾燥し、朝から快晴。

真っ青な頭上に「カルガモ」が勢い良く突っ込んでくる。
遠くからスピードに乗って大きく旋回しながらの降下で、
まだ足をたたんでいるんで、けっこうな速度だ。

さくらんぼを狙ってだろうか?(時期的には早いかな?)
食害を及ぼすという意味での嫌われ者「ムクドリ」も飛び出した。

(追いかけ切れなくて、ちょっとピンボケ;)

ところで、スピーディな飛翔の後に、なんともスローな話に「すっ飛んで」恐縮だが、
実は・・・「タニシ(田螺)」も非常に気になっている。

どこの田にも同じように居るかというと、そうでもない様だ。
生息している田と、全く見かけない田がある。何故なんだろう?

それに「田螺長者」という昔話もある様に、
人(の生活)とけっこう密接な存在だったハズなのに、
今はほとんど振り向きもされない。

比較食文化的に・・・だが、
「米の飯」が「パン」なら、「味噌」は「チーズ」だ。
その観点からすると、幼い頃に食べた(・・・られた;)「田螺の味噌炒め」は、
ブルゴーニュ名物「エスカルゴのパイ包み」であろう。(短絡過ぎかな?)
それなら、地酒とも合うハズだ。

ともあれ、「タニシ(田螺)」は、どうも気になる存在なのだ。

午後2時30分頃、蔵王山系:雁戸山・竜山上空に、
まるで絵に描いた様な雲が・・・ぽっかり。

やまがたには珍しく、深く澄んだ青空である。

東北の裏日本・・・しかも内陸盆地に位置している自分にとっては、
こんなにパーッと晴れてしまうと、水平線しか見えない海の真ん中とか、
360°が砂漠・・・とかに、突然に放られたみたいに、
なんだか落ち着かなくなるのは、私だけなのだろうか?

真夏を感じさせるが、でもそれは思い込みとか期待値が働くからだろう。。
基本的に高温多湿の当地では、真夏に晴れたとしても、
光が空中の水蒸気に乱反射してしまい、
こんな深く澄んだ青空は、めったに見られない。

こんな当地の6月の青空には、やっぱ白が似合うと思う。

今朝も晴天となり、朝露が降りていた。

こんな光には、<白>が冴えるなぁ〜とつくづく思う。

海の白い波、山沿いの白鷺、月山の残雪、田のカルガモの白い飾り羽も。
そして、白いウディングドレスも、きっと。

ジューン・ブライド・・・とは、よく言ったもんだ。
ま、人の都合で6月が多いのかも知れないが、
とにかく、白が冴えるし・映えるしで、綺麗なのだ。

いや、私にはすでにカミさんもいるし、息子は嫁さんいるし、
娘も孫もいないので、個人的にはとりあえずは良い事なのだが、
もしもこれから白いウディングドレスを着る機会のある方は、
6月の天気予報を探りながら日取りを決めるか(ムリムリ)、
地中海沿岸とか沖縄とかの自然光だと、綺麗だろうと思う。

そんな事を思いつつ犬っ子達と散歩をしてると、デビュー仕立ての
秋田犬のハナちゃん(女の子:3ヶ月)がやってきた。真っ白だ。


その辺の「さくらんぼ(非営利用?)」も

そして、あの「ミチバタ・イチゴ」も、

なんとか実を大きくしつつある。

ともかくも、やまがたは、今日も良い日和だ。

今朝は、初夏の光が降り注いでいる。

犬っ子達と散歩に出る時には、晴天だけど少し寒いかなぁと、
ペンドルトンの薄手ウールシャツを羽織って出かけたが、
かなり日差しが強くて、途中から腕まくりしてしまった。

今日の光に、白が冴える。
まるで、洗濯用洗剤の大手メーカーのCMに出てくる様な空と光だ。
耕作放棄された畑に蔓延る帰化種「ハルジオン」の花が眩しかった。

藪の緑も勢力をどんどん増している。


梅雨時期まではこんな日和がけっこう楽しめるのも当地の特徴だろう。

P.S

「藤の花」の天ぷらは、美味しかった! サラダの彩りにも良かった!
冷酒に良し、白やロゼワインにも良しである。
当地の食文化のひとつとして、お洒落に積極的に利用すべし、である。

P.SのP.S

ヤバイ! 今朝になって右耳に若干の耳鳴りがあるのに気付いた。

以前にもこんな感じの後に、右耳突発性低音部難聴と診断された事があった。治療可能なのは、発症より2週間以内で早ければ早いほど良い・・・が、今の治療法や保険制度では、仮に治らなければ諦めるほかない。。。

突発性低音部難聴は・・・何故かほぼ原因不明とされている事が多く、悔しいがなんとも仕方ない。ちなみに、大音量とか加齢・老化が原因での難聴は病症が高音部難聴から始まるので、突発性低音部難聴とは明らかに異なる。

皆さまも、なにかとお気を付けください。

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