やまがたでの日々の暮らし・自然・風景

やまがたでの日々の暮らし・自然・風景
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っという句を作ったのは、10年以上も前になる。
キャッチコピーやタイトルコピーづくりの訓練を兼ねた句会に
何度かハメられた折であるが。

今朝は、濃霧に包まれた稲刈り後の田があった。
濃霧は、その先が見えないので不安な気持ちにもなるものだ。

もしも山で濃いガスに包まれてしまって、方向が分からなくなってしまったら、
とりあえず、留まって晴れ出すのを待つしかない。

<稲刈り後の大広間>というコトバからは、
広大感というか広がり感」と共に、虚無感にも似た空白感も存在し
その感覚は、物理的・視界的には見通しがあるにも関わらず、
濃霧に包まれた様な時に似ている気がする。

霧の先、藪の先、見通しが建たない近未来、
何が飛び出すか分からないっといった恐怖を伴う様な
<魑魅魍魎感>とでも言うのだろうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

サトイモが、未だ収穫されないでいた。

夏の猛暑・酷暑が祟ってしまい、放置・放棄されているのだろうかと思いきや、
なんでも・・・・収穫時期が奥手で、この近辺だけで栽培されている在来種の
「アクトイモ(悪戸芋)」だそうで、肌(皮)も綺麗で、とても柔らかく・身のキメが細かく、
口の中でトロケル程の美味しいイモだそうだ。

ん。

運良く入手できたら、改めて「イモ煮鍋」で一杯だ。
...もっと詳しく

毎朝欠かさない、犬っ子達との散歩。
他の住宅とはちょっと離れて、田んぼの中にポツンと一軒の家がある。

なんでも、以前は中間山村に住んでいたそうなのだが、
息子さんやお孫さんの仕事などの都合で、街の方に降りて来たのだそうだ。
でも、「楽しみ」という事で、家族のために小さな畑を淡々と耕している。

そんな優しいおばあちゃんのところを通ったら、ムシロ上に何かを干していた。

あ、小豆(あずき)だ。

もう少し乾燥させたら、棒で「小豆叩き」をして、
そして、「冬至かぼちゃ」にしたり、正月には「あんころもち」にするのだそうだ。

よく見ると、殻から飛び出した元気の良い小豆が、
<これがホントの小豆色だよ>と、つやつや光っていた。

ちょっと間違って咲いてしまった、春の雑草「ヒメジオン」も、

そろそろ盛りを過ぎた「クジャクソウ」も、


みんなみんな・・・、秋の、今だけの、素晴らしい贈り物である。

週末に大変お世話になった「くま仙人志向さん」から、
携帯で撮っていただいた画像を送っていただいた。

そこには、山で興じてる<Shidareo>の、「オヤジ姿」が。。。(汗;)

  おっ、マツタケ発見!  でかい!

  っというより、「山のヌシ(?)」である「くま仙人志向さん」から
  見つけていただいたのだが。。。


  すかさず、GET !(要は、華を持たせていただいた。) 
  ・・・その後、掘った穴は埋め戻す・・・っと。


  山から戻って、さっそく「クマ仙人さんとその奥さんの手料理」と、
  山形の「ビオ・アプローチ・ワイン」での夕べ、とあいなる。
  ご覧の通り、採って来たマツタケは「まんまホイル焼き(ミディアム・レア)」となった。

  いっただきまーす!


 そして・・・・話は、夜更けまで止めどなく続く×続く・・・・・・・・・・。

  今度は、「ヤマでクジラでも仕留めようか。」という勢いであった。。。(軽い冗談ですけど。)

毎朝恒例の犬っ子達との散歩である。

コース脇で栽培されているウドの実(種)が黒く実りはじめ、
その白と黒のボンボコが、和紋様のモチーフになりそうな感じで
思いのほか綺麗だ。


「もしもピアノが弾けたなら♪」という歌があったが、
もしも日本画が描けたなら・・・書いてみたい気がする。
こういうのをモチベーションというのだろう。
でも、ま、私はとりあえず<Photo−Shooting>という事で。。。

話はいきなり逸れるが、

モチーフ、モチベーション、ムーヴ、ムーヴメント・・・と、
それぞれに段階というか次元が違う・・・というか、
或るモノゴトと、それを捉える人の心の状態、
そして、それらを契機としての個人的〜社会的な動きという
一連の状態と動きの事を指すのだろうが、
サウンド的にはすべて<M>と<FもしくはV>が、とても順序良く並んでいる。

おそらく、語源的な共通性があるものなんだろうと、私は思っている。

推論的にかなり無理があるという人もいるが、
例えば、「ダッタン」と「タタール」と「タルタル」と「タタキ」は
語源的に共通性があるのではないかとも思っている。
第一、「タルタルステーキ」と「カツオのタタキ」は、肉と魚の違いこそあれ、
形状的にも、喰い方的にも、あまりにも似過ぎている。

話はもっと逸れる。

「ヒナ祭り」とか「ヒナ人形」というものがあるが、
この文化は京都から伝播した・・・事が通説である。

しかし、「女ご衆の祭り」である事や、ご神体(ヒナ人形)の基本形態が
「棒に布が巻かれてる」事から、あまりにも東北の「オシラサマ」に似ている。
それに、「オヒナサマ」と「オシラサマ」では、訛ってたらほとんど区別がつかん。

加えて言うなら、

雅(ミヤビ)の京の人たちが、自分たちの祭りをあえて「雛(鄙・ヒナ)祭り」と呼ぶだろうか?
そんな粋(イキ)な美学は、江戸以降の話である。

ヒナ祭り・ヒナ人形は、おそらくは、
交易継続の副産物である相互理解の中で生まれた京文化であり、
そのルーツはもしかすると「オシラサマ」ではなかろうか?

仮にそうであれば、「やまがた紹介」のひとつの「雛人形」とか「雛の道」の有り様が、
もしかすると、ホントは、とても大きな「片手落ち」をしているのかも知れない。

以上は、すべて私個人の妄想である。

・・・・・・・・・・・

犬っ子達との朝散歩。

コース脇の「ナツメ」の実も、色付き・乾き始め、

いかにも×決定的に・・・「ナツメ」って感じに、結実していた。

秋もずいぶん深まってきたな。

今朝は蔵王雁戸からすが、眩しくも清々しい陽が射してきた。


15℃〜20℃程の過ごしやすい温度帯になると、何故かふと花なども咲き始める。
秋の花はもちろん、狂い咲きと言われるが、春や夏の花なども咲いてしまったりする。

おやおや、朝顔だ。


こちらではブロッコリーが美味しそう;


ん〜、もちろん嵐の日なんかもあるけど、
こんな自然環境や現象から、素晴らしい「もてなし」を受けて、
私達は日々生かされてるんだな・・・って感覚が、嬉しい。

ところで、

この週末は、犬っ子達2匹私とで、
当<samidare.jp>でも人気Blogを運営されている、
くま仙人志向さん<http://samidare.jp/jo7uuc/>のところに
遊びに行って来ました。

っというか、

奥さまはじめお子さん達からも、大変なおもてなしをいただきまして、
この場をお借りして、改めて感謝申し上げます!(ありがとうございました。)

先ずは、くま仙人志向さまの先導と案内で近くの山を探索。もちろん犬っ子達も連れて・・・。
お陰さまで、山の幸にも恵まれましたが、それに増して、直登コースや柴厚い尾根歩き等など、
久々に少し気合いの入った山歩きが出来て、とても楽しい時間を過ごす事が出来ました。
本格的な秋冬に向けて、脳みそと身体にスイッチが入ります!

もちろん、その後は<呑み会>。

今日採ってきた山の幸はもちろん、手料理の数々、
ワインは無農薬・無添加のビオ・アプローチ・ワインなどなど。

そして話題は、野生動物や自然環境と人との関係への想い、
有機農業などの事、猟やフライフィッシングの事、政経の事、
田舎という事・・・・などなど、夜更けまで止めどなく続く×続く・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・

お子さん達からは、うちの犬っ子達まで歓待いただいて、
翌朝の散歩の先導案内までいただいてしまった。
(>おチビさん、お嬢ちゃん、ありがと。 また行こうね!)

自然環境やそれらの現象から<もてなされ>、
くま仙人志向さんのご家族の皆さんから<もてなされ>て、
日々は、カミさんはじめ、友人・知人その他たくさんの方々から
直接・間接的に<もてなされ>て、生きてる(生かされてる)んだよなぁ〜と、
とても嬉しく、そして、改めて有り難く思った、ちょっと特別な週末だった。

朝の犬っ子達との散歩コース脇にもたくさんの柿の木があり、
今頃になると、色付いた柿の実を見る。

以前から言われている事だが、柿の実が放置されている事が多い。
報道などから察するに・・・だが、
不人気フルーツの代表格の地位を不動のものにさせつつある。

確かに・・・例え上手に渋抜きしても、
微かに渋さは残るし(子供の舌なら尚更である)、
イチゴやバナナ、メロンなど、いわゆるメジャーなフルーツと比べれば
フレッシュ感とか香り立ちとかも鈍い感がある。
実際に、私も子供の頃から得手な食べ物ではなかった。

しかし、いつ頃だったか忘れたが、
干し柿の甘さと香りの良さに感激した事があった。
多分、年齢のせいかも知れない。
特に、美味しい抹茶との組み合わせは見事という他ない。

その後は、それなりにハマるもので、
柿の和菓子(特に柚子柿)などは特筆できる。
酒を嗜む際もなかなか良いものだ。

でもそれは、日頃から人工的な香料はじめ、食品添加物、
甘過ぎたり、オイリー過ぎる食材に慣らされた舌では、
きっと美味しくもない食べ物に感じるだろう。

今年は、どんな柿に巡り合えるか、楽しみである。

赤ワイン醸造好適品種:ブラック・クィーンの収穫をするよ、という事で、
写真を撮りにタケダワイナリーさんの畑にお邪魔してきた。

9時30分に来て下さいという事だったのに、到着した時にはすでに作業が始まっており、
セオリー通り、「あ、おはようございまーす!お邪魔しまーす!」っという感じで、皆さんの中へ。

おーっ!、たくさんのブラック・クィーンがタワワにぶら下がっている。

すでに樹齢50年の古木だそうである。

この畑は無農薬との事で、草刈りはされているものの、
ブドウ棚の下は草がけっこう生えていて、今日は特に天気も良く暖かだったせいか、
蝶や蜘蛛などの昆虫類が元気だった。

ま、田んぼにイナゴやカエル、ドジョウなどが住んでいる事の方が
本来の姿なのだろうが、それと同じと考えれば、気持ちが良いものだ。
ちなみに、以前と比べて畑の周囲は住宅地などに囲まれてしまった感があるが、
そのお陰で、今年流行の「クマ」の出没はないそうだ。

ひと房ずつ丁寧に手で採って、

一粒ずつ眼で確認して、痛んだ粒を避けて、コンテナに収穫。

この後、仕込みの段階でも更に眼で確認して、痛んだ粒はハジク。

要は、健康な粒だけを撰んでワインに仕立てるのだが、
これが、すべて人の眼と手で執り行われている。

ワイン造りには<醸造技術云々>という部分もあるが、先ずは、
その<原料であるブドウを粒単位で撰ぶ>という、基本中の基本になる工程であり、
ワイナリーの基本姿勢とか理念、そして個性が出る部分でもあろう。

写真を撮り終わり、みんなで一服した後は、私も鋏をお借りして、
このブラック・クィーン(古木)の収穫を楽しんでまいりました。

家の庭(玄関脇)に、推定樹齢200年程のゴヨウマツ(五葉松)がある。
先代が当地(現住所))に移り住んでから、まだ35年ほどなのだが、
訳あって、先々代以前の親戚筋から譲り受けたものらしい。
(Photoは、その先っちょの枝部分である。)

その他、赤松も数本あるが、それも同様に譲り受けたのだそうだ。

ちなみに、赤松とマツタケは共に同じ生態系にあると聞くが、
残念ながら、家の庭にはマツタケは出ない。

ま、先々代以前の方々にどんな想いがあったのか詳しくは分からないが、
いずれにしても、人間よりもずっと長生きな事は確かな様だ。

こんな松がある事により、パッと具体的に思い浮かぶ喜ぶ顔は、
先ずは、出入りの植木屋さん、次に、セミやキジバトやヒヨドリである。

翻って、肝心の我が家の家族には、先ずは植木屋さんへの謝礼、
加えて、日々の庭掃除などの具体的な負担が生じる。

それでもなお、松を切り倒してしまわないのは
数値的負担を超える<何か>があるからなのだろう。

世の中には、近代的、科学的・数値的・合理的と言われるもの以外にも
いろんな事があるんだよと、日々世知辛い世に生きてる我々に
あえて教えてくれる存在だから、無碍には切れないのかも知れないな。

朝霧の隙間から、秋の青空と絹雲が広がっていた。


さて、連休も終わり、いよいよ秋も深まる頃・・・と言いたいのだが、
昨日は夏日だったし、予報では今日も24℃程になるらしい。

例年ならば、あと一週間程するとハクチョウが渡ってくる頃となるのだが、
この調子だと、どんな冬が訪れるか分からない。

そんな中ではあるが、蕎麦の実が色付いて、いよいよ黒くなってきた。
収穫は11月頃だろうか?

その頃から、新そば粉で打った蕎麦が出回るので楽しめるのだが、
寒を過ぎる頃までもう少し寝かして、落ち着いた頃の蕎麦が自分的には良い・・・、
などと、分かった風な事を口走てみたりもする。

犬っ子散歩コース脇の畑に、不思議な立て札を発見した。

いや・・・不思議じゃないと言えば全然不思議じゃないのだが、でもやはり、不思議だ。

それには、「やまわさび(ホースラディッシュ)」と書いてあり、
まさしく、それが植えられている・・・・・だから何も不思議じゃないハズ。


「盗むなかれ!]とかならば話は分かる。
またエコツアーの観光客でも訪れる畑なら更に納得がいく。

でも・・・自分の畑に自分で植えたものならば、忘れてしまったりはしないだろうから、
あえて立て札まで掲げる必要もないだろう。

それじゃ、誰に何を伝える為の立て札なんだろう???

・・・・・・・・・・・不思議だ。  (あ、写真を撮って欲しかったのかな?)
...もっと詳しく

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