食料補完計画

うきたむ(おきたま)再考
色々と興味深い記事を書かれている「In Deep」さんのブログで、何度か「33」や「33度線」にまつわる謎や不思議な現象の事が書かれているが「33」て何だろう。

いつもの「語呂合わせ」で気が付いたのが「33=みみ」、眠っていても危険を察知している凄いセンサーです。

「33=みみ=耳=聴覚」
「33=みみ=見視(味)=視覚」
「33=みみ=味見=味見=味覚」
「33=みみ=身見(味)=触覚」
「33=3×3=9=きゅう=嗅覚」
「33=3+3=6=ろく=第六感」
(み=味=味わう=なめる=古語では深く味わう=吟味・分析、みたいな意味も有る)

「観音=音を観る」や「香りをきく」や「触れる=振れる=変化を感じる」などなど、」細やかな感覚が格感覚を超えて連動している表現が有る、「勘=かん=感=間=関連性」だとすれば「第六感=相互間の協調から得られる意識」みたいなものでしょうか、額に集まる意識?は「前頭葉」で処理されているから?、それに「海馬」も脳の左右に有るので「左右で協議している」のかもしれないぞ。
「海馬」は「タツノオトシゴ=竜の落とし子」と形が良く似ている、「竜の子」である、何だかとっても有り難い気がする。

何故か「五感+第六感」まで「33」の語呂合わせが出来てしまいます、ただでさえ「3」は不思議な数なのに「33」はまるで「感覚器官」です。

もしかしたら「33」や「33度線」には「五感+第六感で不思議に気が付いて」とアピールしている様にも思えて来ます。

「聴覚=きく=効く」と言えば「効果がある、反応する」みたいなイメージが有り「命令」や「催眠術」を考えると「相手を意のままに動かす」効果もあります、神様が「始めに言葉ありき」と言ったのもわかる様な気がしませんか、耳が聞こえないと言葉を話す事も難しくなります「言葉」は「思考」も司っていますし。

「In Deep」さんの所では、災害や事件などが多く取り上げられていますが、もっと良く調べてみれば素敵な出来事も多く起きている可能性がありますね。

今日の記事はこんなタイトルでした

「「地球の人類はみな同じ言語を話している」 : 国際的研究で判明したこの衝撃の事実から、むしろ浮かび上がる「日本語」という存在の奇妙さ」

変な「語呂合わせ」や「駄洒落」にハマっている私としては大変興味深い内様です、いつも有り難うございます。
息子と買い物から帰ってきて、ガレージに車を止めて距離計を見たらなんと「77777」に揃っていた、つい携帯で撮影してしまいましたよ。

6月28日午後6時22分の出来事でした、隣の「十字架のイエス様」が何となく傾いて「どうだっ」て言ってるみたいです。

反対側の「イルカ」は「神はいるか?」って聞いてる、これは「偶然」じゃ無いぞって。

「隠れキリシタン」と「深い河」の話題を記事にしたばっかりでした。
いつもお世話になっているブログの方の記事に、遠藤周作氏の「沈黙」と言う作品が紹介されていた、私は読んだ事が無いのでWikiに載せられていた粗筋を読んでみて??、物語は「江戸時代初期のキリシタン弾圧」をテーマにした話である、そう言えば私が仕事をしている職場のすぐ近くには「切支丹生埋の地」と言う所が有って地蔵のお堂が祭られている。
この地域は、比較的大きな集落にも関わらず「お寺」が無い、不思議に思って聞いてみると「切支丹」との歴史的な関わりで「寺」が無かったらしい、現在も葬儀などは隣接する地域の寺で行われているとのこと。

また、町内には「切支丹」にまつわる史跡が残されている、過去には外国人の宣教師の方も布教に訪れていたとの記録も残っている、詳細はネットで「キリスト教 白鷹町」で検索してみると幾つかの記事が載っています。

佐野原村の布教を進めたのはフランシスコ会士であるフランシスコ・ガルベス神父とディエゴ・デ・ラ・クルス・デ・パロマレス神父。彼らは弾圧の強まる中を最上川で酒田に下り、日本海を通って、北海道に入り、さらに樺太を通って、シベリヤ経由で本国に帰ったそうです、約400年前の出来事との事。

ネットで検索すると「フランシスコ・ガルベス神父」本人なのかわかりませんが同じ名前の方が江戸で火炙りで亡くなった記事も有ります、同じ日本人同士でもかなり壮絶な迫害の時代が有った様ですね。

ガルベス Galvez, Francisco

1575?−1623 スペインの宣教師。
フランシスコ会士。ルソンで日本語をまなび,聖人伝を翻訳。慶長のなかばに来日。堺の聖アントニオ修道院長などをつとめる。慶長19年(1614)海外へ追放され,元和(げんな)3年再来日。ソテロの書簡を伊達政宗にとどける。のち江戸で伝道。鎌倉で捕らえられ,元和9年10月13日江戸で殉教した。48歳?バレンシア出身。


でも引っかかるなあ「切支丹=キリシタン=切りしタン(舌)=舌が切られて喋れない=口封じ」、偶然でしょうが「沈黙」ですよね、「キリスト教」は長い間何かが封じられてきた(秘密にされてきた)?のでしょうか。

私がこの地で仕事をしながら、「EDEN」のタイトルでブログを立ち上げて今日に至るのも何がしかの御縁を感じずにはいられません。


...もっと詳しく
家に持ち帰った「藤の花」をおばあちゃんに見せたら仏壇に飾ってくれた、昔習った藤の花の歌を思い出した。

 正岡子規の短歌です。

「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」

ネットで探すとこうなっているけれど、うろ覚えの私は何故かこう覚えていた。


「瓶にさす藤の花ぶさみじかくばたたみのへりにとどかざりけり」と、何でだろ。


何故かこの歌が浮かんで来るぞ

「ゴンドラの歌」

いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ少女
いざ手をとりて 彼(か)の舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ少女
波に漂(ただよ)う 舟の様(よ)に
君が柔手(やわて)を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを
散歩の途中で、「うこぎ」が食べごろになっているのを見かけたのでそのまま畑に寄り道、ビニールの袋を探して「うこぎ摘み」、帰りに竹林が気になって竹の子が出ていないか探ってみた、何と程よく育った竹の子が4本とちっこいのが一本、散歩の途中なので持って返れずバイクで出直す事にした。

バイクに積んで帰る途中、咲き始めた「藤の花」に気が付いた、途中でバイクを止めて数本の房を持ち帰ることにした。

今日の賜物は「筍」「うこぎ」「藤の花」、藤の花も「チヂミ風パパピッツア」の具材になる、初夏の恵みは有りがたや。

気になっていた「不思議のメダイ」、デザインが啓示された時の様子を探してみた、微妙に内容が違う記事が有ったが、この記事が一番詳細に描かれている気がする。

後日、もう少し掘り下げてみたい。
今日2月14日は「聖バレンタインデー」である、今朝方嫁さんに貰った「ベルギー直輸入」のチョコレートを食べながら久しぶりの記事、調べてみると「不思議のメダイ」にまつわる数奇な物語が有る様です。

ある方のブログで「不思議のメダイ」なる物が紹介されていた、そのデザインとそこに描かれた「M」の文字がどうも気になる、その方のブログにコメントさせて頂いた内容から思い付いた画像をネットで集めてみた、「M」が有ることで、このメダイは色々なメッセージが詰まった不思議なデザインになっている気がします。


さて、問題の「M」ですが、良くは判りませんが不思議な感じがします、 例えば。(あまり真面目に考えると変ですけど)

「M=む=無」何も無い
「M=む=夢」夢です
「M=む=務」お勤めです
「M=む=武」
「M=む=霧」先が見えにくい「無」と似てる
「M=む=矛」
「M=む=六=6=ろく=録(録音、記録)=禄(授かり物)」数秘学では完全数のようです
「M=むっ」何か力が入ります
「M=ま=真」
「M=ま=魔」
「M=ま=間」その他「ま」も濃いです
「M=み=身」
「M=み=観」その他「み」も濃いです
「M=め=目」
「M=め=女」あれっ、女になったぞ
「M=め=芽」始まりだ
「M=も=藻」繁栄
「M=も=最」最高 「も」も濃いです
「M=えむ=笑む」これは良いですね(これしか変換出来る単語が無い)
「M=長さの単位」
「M=質量」
「M=男性」
「M=月」
「M=山」
その他色々「M」が関わる言葉は奥が深い様に思えますね。

不思議のメダイ(ふしぎのメダイ、フランス語: Médaille miraculeuse、英: Miraculous Medal)も「MM」ですし。

ダヴィンチの「モナリザ Monna Lisa」とか。

本当に「M=Miraculous=ミラクル=未来来る?羊が来てる??」って事でしょうか、羊飼(キリスト)いが働く?みたいな。
それとも「Miraculous=ミラクル=ミラー来る=鏡が来る=自分を見る=自分を知る」自分が何ものかを知る事になるのでしょうか、それとも変態(Metamorphosis:変成転換)?「大天使ミカエル(ヘブライ語:מִיכָאֵל [Mîḵā’ēl])、身変える、M帰る?」。

「M」が「土」に絡んでいる、逆さで「A」に見える?「アダム=AだM=MはAだ?」何でしょうね、「アダム=土=M=男」、何だかもやもやな感じですが、「AM=あむ=編む=編み上げる=結びつける」?「I AM」つながり?。

「人にはMが絡み付いてる」不可分な関係?

「胸の谷間」と言えば、以前「母音=ボイン」の話が有りましたね、「ちち=乳=父」は「ちち=遅々」はずっと待たされてる?。

「渋谷」も「谷間が渋滞」で待たされてる「遅々」でしょうか。

「M=笑む=得無」「無、無限、を知る(悟?)事は微笑みに至る道」なのでしょうか、昨日の「禅を聞く」が効いてる?「不思議のメダイ」は不思議ですね。

「M」は本当に不思議ですね「M=笑む=微笑みは心を開く鍵」と言う事の様でしょうか?、いつも「しかめっ面」ばかりしているからでしょうか。

「M」の事を色々と考えていたらこんな事が浮かんで来ました「ホツマツタエ」って「ホツマツタエ=発真(M)伝え=Mの発動を伝える」みたいな?「道(M、みち)の奥」って「未知の奥」道の探求?本当に「ミラクル」ですよね、この世界。
アインシュタインさんは仙台で「強力な磁石(マグネット)を発明した「鉄の神様」と呼ばれた「本田光太郎」博士に会っています、不思議な力で引き寄せられてるぞ!「M」。

「この体 鬼と仏と あい住める」、「鬼は外 福は内」はもう古い?

「子の体 負う荷と反解けと 愛澄める」?「子の体(神の一人子、キリスト、人類)の体は、負う荷(苦労の体験)と仏(相対への理解への苦悩? 、もしくはほっとする気、安らぎ)と(を)愛で清めている」??、子供の成長?。

「子供の成長とは、善と悪を愛で清める事である」みたいな、「愛は、相対性のバランスを取る働きが有る」?

飴と鞭で子供を育てている?「飴=天」と「鞭=無知」?真理を知るには「神様」のアドバイスと「無知の経験」が必要なのでしょうか、子育の悩みですね。

「M=笑む」と言えば「恵比寿様」です、コトシロヌシはにっこりとエミス顔(恵比須様の語源)で問題を解決しています、これもある意味「magical=マジカル=マジに刈る=真面目に刈り取る=真剣に解決に当たる」ですか?、顔は微笑んでいても目はマジだったりして。
迷子の羊を本気で集めて(探して)いるのでしょうか?。

「M」を横倒しにすると「シグマ Σ」に見えませんか、Microsoft Excelなどの表計算ソフトでは、合計を計算する関数を登録するボタンの表記にΣを使用している。
物理学において、座標系(system)を表す記号として用いる。

羊の合計?集める、今いる座標?居場所。

「M=男」ひっくり返すと「W=女」、「ウーマン=産まん」


「土に絡まるM」は「宝珠」のデザインと似ていますね、十字架の下の球(地球)は「Matrix、子宮、産み出すもの、MOTHER、マザー、母なる大地、母星、母性」、12個の星は「イチダースの星=位置出すの星=位置、居場所を示す星=星(点、・)の導き?」に「十字架と地球」は包まれている?。

「十二使徒」を現す12の星は「十二使徒=じゅうにしと=自由に人=人を自由にする」って読めないか?「人を自由にする為に使わされた使徒」に囲まれてる、やっぱり「導き」では無いのか。

「十と一で土(男、アダム)、十と二で王(キリスト、神、星の導き)、十と◯で♀(メス記号、宝珠)女」?変な組み合わせですね、三位一体もメダルのデザインに入ってる?。

茨に縛られたハートと、剣の刺さったハートを見ていると

「心身の神癒」
第十四話
34 人は幾度も幾度も人によって傷つけられ、自分自身の愚行によって十字架につけられて始めて彼は、神の分霊(キリスト)を通してすべてのものが「大いなる一体」であることに開眼する。

が浮かんで来ます、ハートは他人からは「茨(いばら=異腹=他人)」で傷つけられ、自分自身の「剣(天の逆矛、自業自得)」で傷つくのでしょうか、でもそれは「気付き」に必要なことだと、不思議なデザインですね。

何だか「ハートがリンゴに見えて来る」、そして「Appleのジョブズ」さんと『無原罪の聖母の騎士』の著者で「不思議のメダイユ」に関わりの深い「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父」が良く似ている様にみえる。

ネットで見つけた「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父」縁の教会で。
「不思議のメダイ差し上げます」
マリア様からの贈り物を差し上げます!
メダイは一切無料で差し上げております

キリスト教徒と言う訳では有りませんが、申し込んでみたくなりました。


チョコレート、とても美味しかったですよ。感謝


おまけ、「心身の神癒」から「死後」について引用です。

第十三話  
41 たいていの人々は死といわれる体験を恐れている。しかしこの体験を通過してしまえば、自分自身がこれまで以上に、生々とした、生ける、呼吸(いき)する魂である事に気づく。呼吸(いき)をするのは肉体ではなく、魂だからである。

42 死は、神我すなわち神の中において成長しかつ咲き出(いで)る花の、より大いなる拡大への関門にすぎぬ。自分自身がそれまで以上の生ける、生々とした、呼吸(いき)する魂であることにに気付くと、圧倒される程の感銘を受ける。(その時に思う)一つの願いは、自分の愛する人々の許に帰り、自分が発見した驚くべき栄光の真理を聞かしてやりたいということである。

43 (そのような次第で)多く(の霊たち)があなたたちの許に一旦は帰ってきたものの、あなたたちの耳は聞かず、目は盲(し)いていたのである。あらゆる人々がこれと同じ体験を経なければならない。このことは、いわゆる死の体験を通過した人々にとっては歓喜である。あらゆるものが体験することになっているこの歓喜(よろこび)は肉体感覚では理解しえないものである。

44(死後の世界では)一層生命の自由を意識する。魂が肉体を越えて呼吸(いき)するからである。

45 肉体はみ霊の神殿である。霊的生命は久遠である。あなたたちは、(霊界では)自分が本当だと思うことがすべてその通り実現するのに気付く。

46 心の中で愛する人々との再会を描くと、実際に彼らと面と向かって会うようになる。まことにあなたたちに告げるが、それは現実の出来事なのである。あなたたちを傷つけた人々でさえ、そして又あなたたちが自分の無知から傷つけることになった人々も、あなたたちとの再会に喜ぶのである。

47 このことはみ霊の久遠の法則、神我(キリスト)の展開である。意識がこの内なる生命を自覚するにつれてある変化が意識の中に起こり。これらすべての憎悪は消える。故に、あなたたちとしては、地上にいる間にこのことを理解するのが賢明である。

どうもこの頃は、キリスト教の世界が騒がしい様である、年末年始にかけて幾つかの映画が公開予定になっている。

どうも「キリスト教」をテーマにした作品が色々とリメイクされている感じがする、また今年テレビで放送されていた「ワンス アポン ア タイム」は幾つもの物語が組み合わせられて出来ている。

今年気になったのが「ディズニー」の「アナと雪の女王」「マレフィセント」そしてジブリの「思い出のマーニー」、いずれも主人公は女性でありダブルヒロインな感じで「男性の存在感が薄い」作品に思えた。

今回取り上げた作品は、「旧約聖書の出エジプト記」を題材にした物語と、何故か共通する新しいヒーローである、「モーセの十戒」と言えば有名な言葉に「汝殺すなかれ」と言うのが有るが、何故キリスト教では戦いが繰り返されて来たのか疑問でもあった、そして「英雄」と言えば男達の世界でもある。

数日前、テレビで「ディズニー」の新作アニメの制作現場を紹介していた、タイトルは「ベイマックス」何と「戦わない癒し系ヒーロー」である、それでも彼(ヒロ)を全力で守ると、ヒーロー史上最もシンプルなデザインンと思われる「白い風船」に「神社の鈴が顔に見えたから」と作られたこれまたシンプルな「頭」、世界のアニメで「日本の神様もコラボ」なのだろうか、でも「戦わないヒーロー」である。

もう一人の「戦わないヒーロー」と言えば「イエスキリスト」さんだと思う、「右のほほを打たれたら左のほほを出せ」とは言ってはいなかったらしいが「元祖癒し系の救世主」では無いだろうか、この二つが同じ様な時期に公開される、子供から大人までカバーしている様だ。

今回の「イエス」さんは「イケメン過ぎる」と話題になっているらしい、弾圧する為政者達は世の女性方を敵に回す可能性も考慮する必要が有るのだろう。

「ベイマックス」の主人公は「ヒロ」事故で死んでしまう、兄は「タダシ」である、二人の名前を合わせると「タダシヒロ=正しいヒーロー」とも読める、「戦う流血のヒーロー」から戦わない「無血の癒し系ヒーロー」へ、時代は動いているのだろうか。


「“優しさ”で世界を救えるか?」
「イエス、すべての物語は、ここから始まる」
「汝、殺すなかれ」

弓も刀も使わない「生かす戦い」が少しづつ広がっていくのかも知れない。

もうすぐ公開です。
近頃見かける花達を集めてみました、散歩で新しいのを見つけるのが楽しみですね。
今日は白鷹山のお祭り「高い山の日」である、朝は小雨が降っていたが昼頃には程よく晴れて来た、昨年に引き続き今年も登ってみる事にした。

病み上がりで体力に自信が無いので、一番楽そうな石段コースの「大平側登山道」を選択、参道入り口まではバイクで行く、入り口に「知恵の泉」なる水場が有ったので一杯頂いた、とても冷たくて美味しい、何だかイケそうな気がして登り始めたらあっという間に息が上がった、今回は何度も休みながらの山登りである。

山頂に着いてみると桜がまだ見頃である、今年も小さな売店が出ていた、顔見知りの地元の消防団員に出会って話を聞いたら、今年は「上杉鷹山公の伝国の辞」の除幕式が有ったらしい、真新しい石碑が建っていた。

登った時間が遅かったので沢山いた子供達は下山してしまった、ちょっと人気の無い画像、本堂の屋根に修復の後がみられる、正面には「桐の紋」、中には「日の丸」も見える。

お参りをしてから売店で「わらび汁」を購入、本堂の石積みに腰をかけて山々を眺めながらの昼食となった、帰りに売店で「玉こんにゃく」を買った、思いの他美味しかったのでもう一本追加、そう言えば例年見かけた「お祭り男」の姿が見えなかったぞ。

「わらび汁=笑美知る=笑い顔の美しさを知って欲しい」
「わらび汁=環螺美知る=螺旋の循環の真意を知って欲しい」
「わらび汁=笑日知る=今日は笑顔で」
「わらび」は随分色々な意味が有るなあ。
「わらび汁」の材料は
1、「わらび=笑美=笑顔が綺麗だ=えびす顔?」
2、「ニシン=二神=二親の神=イザナギ、イザナミの二神」「身欠きニシン=磨き二神=輝く二神?」
3、「油揚げ=吾婦裸挙げ=女神の復活」「I Love You=吾裸婦言う」みたいだ
4、「みそ=観素=本質を観る」
5、「水=自=自分」
6、「お椀=窪=壷=腹=子宮」

まとめてみると「二神の意味を良く知る(磨き輝く)事は、自分の本質を知る事でもある、女神(母性、地球)が復活すれば笑美(えびす顔)を知る事が出来る、地球は女神の子宮なのだ」と言っているのかも知れない。

売店で売っていたもの
1、「わらび汁」
2、「焼きそば=ヤ貴側=高貴な人の近く」虚空蔵様の側か?
3、「缶ビール=感美入る=美しい感覚が入る=美意識が高まる」
4、「玉こんにゃく=霊根若=霊の本質は若さである=若は和歌で心が若返る」
3個のコンニャク(三種の神宝、トリニティ)を貫く串、そしてぴりりと辛い「からし=枯らし=悪の御役」良い事ばかりじゃ学びにならない、「鼻にツンと来て目を覚ませ」と言っているのかなあ。


「虚空蔵様は満福で恵比寿顔、でもちょっと舌に辛い伝国の辞」きっと黄色い辛子は金神様からの気遣い(親心)なのかも知れませんね。

「知恵の泉」の効果は?だけど、今日は気持ちの良い一日を有り難うございます。感謝
今朝、散歩の時に気が付いた、先ごろ切り倒された柳の丸太から新芽が沢山出ていた、植物生命力は大したもんだ、切り株からも芽が出ている、また新しい成長が楽しめるぞ、切り倒された時は寂しい気もしたが新しい変化の始まりでもある。感謝
いつもお世話になっている方のブログに「放蕩息子」と「案山子」の話が有った、ようやく何処かでつながって来たぞ。

聖書には有名な「放蕩息子」のお話が出て来る、昨年末にNHKで放送されていた「スペースシップアースの未来」を見ていると「資源を浪費し、環境を破壊する人類はまるで放蕩息子に思えて来る」、はたして放蕩息子(人類)とは神(親)にとってどのような存在なのか考えてみた、聖書の様に「財産を使い果たし着のみ着のままで帰って来る」息子、そう言えば「ほうとう」と言う「うどん」に似た食べ物が有るが二つは微妙に違う、「放蕩息子の帰還=放蕩息子の期間=人が放蕩息子になってしまう時期」その謎に迫ってみたい。

今日は「夏も近づく八十八夜」、もうすぐ「母の日」も近い、「放蕩息子」は親にとっては気苦労の種では有るがこんなにも愛されていたのである。

「聖書」にある「放蕩息子」の話は長くなるので興味の有る方は自分で探して下さいね。

ほう‐とう〔ハウタウ〕【放×蕩】
[名・形動](スル)思うままに振る舞うこと。特に、酒や女遊びにふけること。また、そのさま。「―な息子」「―したあげく身代を潰す」

その他の説
「放蕩」については「空いた手間と時間で放蕩することができるために、ほうとうという名称になった」とされるが、出処不明であり根拠は全くない。

でも微妙に関係が有る様ですね。

「ほうとう」Wikiより
調理・具材
ほうとうの生地は木製のこね鉢(民俗語彙では「ゴンバチ」)で水分を加えた小麦粉を素手で練り、出来上がった生地はのし棒を使って伸ばされ、折り重ねて包丁で幅広に切り刻む。うどんと異なり、生地にはグルテンの生成による麺のコシが求められず、生地を寝かせる手法は少ない。また塩も練り込まないため、麺を湯掻いて塩分を抜く手順が無く、生麺の状態から煮込むところに特色がある。その為、汁にはとろみが付く。

「ほうとう」と「うどん」を比べてみると

「ほうとう」      「うどん」
 使う    小麦粉    使う
 使う     水     使う
 使わない   塩     使う
 練る     練り    十分練る
 寝かせない  寝かせ   寝かせる
 弱い     麺のコシ  強い
 未生成    グルテン  生成
 いらない   塩抜き   必要
 溶け易い   身持ち   溶けにくい
 短時間    調理時間  長い
 少ない    手間    多い

こんな違いが有る様だ、「エデン的」に解釈すると「ほうとう」は

1、「塩=えん=縁」が無い、信仰心が弱いのだろうか。
2、「あまり練らない」人生で揉まれていない。
3、「寝かせない」成熟していない。
4、「コシが弱い」忍耐力が弱い、切れやすい。
5、「グルテンが未生成=グル(指導者、導き)の・が無い=・が無い」○に・が無い。
6、「塩抜きがいらない」灰汁、個性が無い。
7、「溶けやすい」身持ちが悪い。
8、「短時間」で調理出来るので時間が節約出来る。
9、「手間がかからない」手早く熟練を必要としないので誰でも作れる。

意外にも「放蕩息子」の要因を満たしている様に思えないか「ほうとう=放ト有=トと有を捨てた=神様を捨てた=父を忘れた」のだろうか。

次に「うどん」

1、「塩=えん=縁」が有る、信仰心が有る、「怨」も経験している。
2、「十分練られている」足で踏まれたり丸太で潰されたり、経験豊富。
3、「熟成している」経験豊かで成熟している。
4、「コシが強い」粘り、忍耐力が有り冷静である。
5、「グルテンが有る=グル(指導者、導き)の・が有る」○に・で⦿になっている。
6、「塩抜きが必要」程よく灰汁が抜けている、良い意味で個性的。
7、「溶けにくい」身持ちが良い、信頼出来る。
8、「時間がかかる」十分な練りや熟成が必要で前もって用意が必要。
9、「手間がかかる」熟練の技を求められる場合が有る、玄人向きか。

となって来る、名まえも「うどん=うとん=有トをゴクンと飲み込んでいる」「うどん=有がどんと落ち着いている」、「神様を受け止め、整っている」状態である「うどん=有どん」さんですね、「ほうとう=放ト有」「ほうとう=法倒=道に乗らない」とは対照的なのがおもしろいですね。

「ほうとう=方問う=行き先を探している=目的が見えず迷っている」青春時代の葛藤が有るのでしょう、意味も無く荒れている訳では無いと、自分探しは大変ですね。

「ほうとう」が一方的に「劣っている」訳では無い、「ほうとうにはほうとうの良さも有る」が成長する過程では何事も経験が大切な様である、「ほうとう」から「うどん」へ、両方とも同じ「麺=めん=Men=男」、男は色々な経験を積んで揉まれて熟成して・が入って一人前になって行く、「塩=縁」も大切な要因なのだろう、「ラーメン」も男の物語だったが「ほうとう、うどん」もこんな物語を隠していた。

「塩」の役割
一般に、うどん、ひやむぎといった小麦麺の場合は、小麦粉と水だけでなく、塩を加えてつくる。その理由はいくつかあるが、最も大きな理由は、小麦粉のグルテンを引き締め、生地の弾力性を増加させることである、また熟成時の分解を抑制しているらしい。

やっぱり「塩=縁」である「しお=志ヲ=志をまとめる=団結する=コシが強くなる」、人と人を結びつけ、団結させる「神様の愛」みたいですね。


「伊勢うどん」
麺は極太で、直径1cm前後のものが多い。非常に柔らかく、もちもちしており、一般的なうどんとはかけ離れた食感を持つ。そのため、博多うどんのように、柔らかいうどんが好まれる地域の人には受け入れられやすいが、讃岐うどん、五島うどんのような「コシが大事」という考え方の人には好かれない。極太麺であるために、麺を茹でる時間が非常に長く、通常のうどんが15分程度であるのに対して1時間弱ほど茹でる。コシがないと評されることも多いが、打ち立ての麺にはグルテンによるコシがあり、それを柔らかく茹であげているのであって、コシのない麺だと1時間近くも茹でると溶けてしまう。店や料理人ごとに手法は異なる場合もあるが、それぞれが伊勢うどんの特徴である表面はふんわりとしていて、中はもちっとした麺の食感を出すべく工夫している。
伊勢うどんは、ゆで続けているため、すぐに提供できること、また、汁がないため、すぐに食べ終わることができる。お伊勢参りで混み合う客を次々さばくのにも適したメニューともなっている。

「伊勢うどん」は「わざと長茹でしてコシを抜いてある」、お伊勢参りに行った両親にはあまり評判が良くなかった、これを「うどんの発展形」と考えるのか「良い事も過ぎたるは何とか」と捉えるのか色んな解釈が出来るが、一度食べてみたい。

「ひっぱりうどん」
概要
山形県内陸部、特に村山地方におけるうどんの食べ方の一つ。茹で上がったうどん(主に乾麺を用いる)を釜や鍋からすくい上げて、そのまま納豆やサバ缶などで作ったタレで食べる(かける・つける・絡める)スタイルのうどんである。
「ひっぱる」の意味は、釜からうどんを引っ張るから、納豆の糸をひくからなど諸説ある。他の名称として「ひきずりうどん」「ひっぱりあげうどん」「つっぱりうどん」などがある。

私の地域では「ひぎずりうどん」と呼んでいる、刻んだネギも欠かせない、「ひきずりうどん=引きずり有トン=強引に神様に従わせる」のだろうか、食べる時は豪快にすするのがコツ、「啜る=主素る=スの神様を引き込む」のである、あながち間違いでもないと思うが。

何だか「案山子、かかし」、さだまさしさんの歌が思い出されて来る「放蕩息子」の話を考えているうちに「初めてのお使い」とダブるのは何故だろうか、「父なる神」は「風林火山」のごとくどっしりと構えて我が子(人類)を見守っている、そして「十字架に掛けられたイエス」にも心を配っている、「案山子」は「十字架に掛けられたイエス」にも見えないだろうか「キリストは神の一人子」である。

「本当にイエスは父に見捨てられたのか」
①マタイ福音書27/46
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
という意味である。

また別のところでは
③ルカ福音書23/46
イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
こう言って息を引き取られた。

ともある、真相はどうなのだろう
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4っの福音書から言える事は、十字架上の言葉は、イエスが実際に言った
言葉ではなく、それぞれの福音書編者がイエスの受難をどの様に捉えたか
を示している。

らしい、そして「復活」する事に大きな意味が有るとすれば「死ぬ」事が必要だった?

Wikiより
「風林火山(ふうりんかざん)は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如し、侵掠(しんりゃく:おかしかすめる)すること火の如く、動かざること山の如し)の通称である。」

バラエティ番組の「初めてのお使い」とダブるなあ。
一人息子(娘)が家元を離れて世間に出て行く、ましてや世間知らずの「放蕩息子」である、親の心配は人一倍強いものが有るのだろう、それは「父なる神」も同じなのかも知れない、人生経験にと人類を世に送り出してはみたものの気になって仕方が無い、深い学びになる様にと少々手荒な就職先に放り込んでみたが、手放しでは放っておけずに陰から手回(縁)ししてみたり、ばれない様にアドバイス(筆)をしたりと一時も休まらない、でもぐっとこらえてはらはらしながら見守っている、やがて時は過ぎまた春が来る「せめてお袋だけは忘れないで欲しい」と、「母親にとって子供は幾つになっても我が子」である、この辺りが「父と子」とは何かしら違う気もする。

「案山子」はやっぱり「父なる神」父ちゃんからの歌だなあ。

変な話だが、もしかしたら「全知全能」の神様も「子育ては初めて」何じゃないかと思う事が有る、「究極神」は別にしても「地球と人類」を産み出した神様は色々と苦労をしている、そして苦労はしているけれど掛け替えの無い喜びも感じている、苦労が深い分だけ情も深くなって行く、これって「中島みゆき」の世界みたいだぞ、おいおい。


元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか 寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る

手紙が無理なら 電話でもいい
「金頼む」の一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる
おふくろに聴かせてやってくれ

寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る♫


明日から連休です、実家に帰る方々も多いかと思います、何が起きるか楽しみですね、「5月5日の端午の節句」は男の子のお祭りそして「5月11日の母の日」ももうすぐだぞ、「ソサノオのクマを命をかけて祓った母イザナミの想い」と「満身創痍の今の地球」が重なる「不動の父」と「放蕩息子の帰還」が望まれているみたいですね、何だかタイムリーなお話でした。

御一読有り難うございます。


おまけ

放蕩息子の話に出て来る「放蕩息子」は次男坊である、もう一人の息子は長男だが長男は弟に甘く見える親父に対して不機嫌になる、私も「長男」でありわかる様な気もする、でも「父」はもっと偉大であった。教訓

ネットで見つけた「放蕩息子」の解説です、一部を引用させて頂きました、もっと詳しい解説が続きますよ。

 実は、この譬え話には放蕩息子だけではなく、そのお兄さんと、これら二人の息子をもつ父親が登場します。それぞれに興味深い人物像をもっているのですが、この譬え全体の中で中心となっているのは、放蕩息子でもなく、まじめな長男でもなく、父親だといえます。ですから、この譬え話は放蕩息子の話ではなく、「二人の息子をそれぞれに愛しておられるお父さんの話」という方が正しいのではないかと思います。昔から「放蕩息子のたとえ」として知られていますから、それはそれでいいのですが、内容的には父親が中心なのだということを理解しておいてほしいと思います。

 さて、比較的長い譬え話ですから、最初に簡単に内容をご説明しておきたいと思います。ある父親に二人の息子がありました。しかし、ある日、次男坊は父親から遺産の分け前(生前分与)を受け取って遠い国へと出ていってしています。そして、お金と自由を得た勢いで放蕩の限りを尽くし、とうとうすべてを失ってしまうのです。墜ちるところまで墜ちたとき、彼は初めて自分の過ちに気づきます。そして、合わせる顔がないと思いつつも、謝罪の気持ちと救いを求めて、かつて飛び出したお父さんの家に帰ってきたのでした。

 彼はどんなに叱られても仕方がないと思っていたでありましょう。しかし、父親は帰ってきた息子をしっかりと抱きしめて、「死んだ息子が生き返った」と喜んで、盛大な祝宴を開いてくれました。この譬え話で最も感動的な部分がここにあります。

 ところが、それを聞いた長男は釈然としない気持ちにかられます。自分は何年もお父さんの言うとおりに忠実に働いてきたけれど、あんな風に祝宴を開いてもらったことは一度もないことを思うと、怒りのようなものさえこみ上げてきます。この長男の様子を聞いた父親はすぐにとんで行き、「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」と、長男を宥め、二人の息子がそれぞれに父の愛を受けていることを諭したというのです。

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日本神話の国産み、イザナギとイザナミが「余れるところと欠けたるところ」を合わせ(ミトノマグワヒ)て国を生んだと有る、「ミトノマグワヒ」が気になっていた「ミト=体と心」でもある、何だか「水戸」にも関係が有りそうである、そして「スカボローフェア」の歌詞にある「茨の木」、茨城県も、茨城県のマークは「右上がりの渦、オシテのア」でもあり「回転する国産モーター発祥の地」でもあるらしい。

色々と思い浮かぶがどう書いていいかわからない、でも皮肉にも「原子力発祥の地」でもある、「茨の柵」とは「近づく事の出来ない放射能」の事だったのだろうか、「ああ人生に涙あり」、水戸光圀は日本で最初に「ラーメン」を食べたらしい、「水戸黄門」が伝えるものとは何だろう。

「原子力」のマークと「葵の紋」が似て見える、日立の国に茨と渦と「糸引き納豆=意図引き成十」、納豆と言えば「大豆=大頭=頭でっかちな人類」「大豆=大主=大神さま」でもある、「大豆=大図=大きな図面=大きな計画」か、「大豆=ソイビーンズ=素意美引主=主の神様は根源の意思を美しく引き出す」、だから「花」だったのでしょうか。

「水戸黄門=身戸黄門=自分自身の扉は金神の門=人は金神の入り口=輝く自分を知れ」なのかな?「藁=わら=笑い=えみす=恵比寿」に包まれた「昔からの納豆」、これは神様からの喜びの贈り物だ。感謝

そう言えば「納豆のネバネバで浄水剤」を発明した人がいた、納豆は海外でも人助けしている、納豆の笑いは大きな力、ネヴァーネヴァーギブアップなのだ。

あれ?お前は出来が悪いからまだ終わらない、のですか「水戸黄門=未到校門=学校の入り口に届かない」ひえ〜卒業どころか学校にも入れて無かった、お前の人生には涙が足りない?それはあんまりです〜。

お前今日は何の日だ
えーと午後から息子の授業参観が有ります
息子は何年生だ
今小学二年生です
じゃあ言ってる事が解るだろう、楽しみはこれからじゃ、まだまだ続くぞ
そうですか
何の為に生まれて来たのか、気が付いたらそこが校門だ、金色に輝いておるじゃろう
そうなんですか、有り難うございます。
本当にわかっているのか
何となくです
まったく随分と手間のかかる奴だな
すみません、何が足りないですか
思っている事と言っている事が大分そろって来た、後は行動じゃよ
行動ですか
そうだ、どうも笑が足りない
笑ですか、ではどうすれば良いのですか
深刻ぶらない、追々わかって来るだろう
そうですか?

「ああ人生に涙あり」!
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いつもお世話になっているブログで、「丸木舟」が話題になっていた、「丸木舟=丸き舟=地球?」ちょっと考えてみた。


「丸木舟=まるきぶね=まるき(私の地元では束ねるをまるくと呼びます)舟=皆を束ねる船=宇宙船地球号」ですかね、「まるきぶね=まるき富音(根)=言葉を束ねれば豊かになる、一つの根っこで纏まれば豊かになる」、色々なものを束ねる、「まるきぶね=円気舟=皆で仲良く船に乗るには気持ちを円く」、言葉は違っても心は一つで船に乗る。

Wikiから
水上での最初の乗り物として、太古の昔より用いられたものであるが、モノコック構造であり(特に単材刳舟は)壊れることが無く、水に沈むことも無いので安全性が高く、後に大型の船舶が登場しても一定の役割を担い続けてきた船である。

モノコック構造の船体とは、単純化すると「球」になります、船の場合は「くぼんだ所」に乗っていますが「中」では無く「表面」です。
これって何かに似ていませんか、大き過ぎて実感が有りませんが「地球」ですよね、「宇宙船地球号の乗客はモノコック構造の球体の表面に乗船しています」そして宇宙の海原を「どんぶらこ」、球形は最も丈夫な形態ですね。(実際は地球の中が溶岩やマントルであり、重力で球形になっているとすればモノコックとは呼ばないのかも知れない?地殻で支えている訳ではないだろう、卵の殻ならOKかな、突飛な話では「地球空洞説」が有る、これだったら本当にモノコック構造になるのかも)笑

いったいしきこうぞう【一体式構造 monolithic construction】 「一体式構造=全ての要素が一つになった構造=地球、この世界」に似ていますね。

「丸木舟」
…木の幹を刳りくぼめて作った舟。刳舟ともいい,独木舟とも書く。舟のなかで最も原始的な形をとどめるもので,世界各地で用いられたことが知られている。…

最も根源的な形、転覆しても沈まない、?は「人(人類)が根源を取り戻せば船(地球)は沈まない(安泰)」みたいですよ。

「天の岩船=地球は本体が岩(祝、言)で出来ている船」も「ノアの方舟=方向を知っている舟、=目的のを持った舟」も時空を旅する「宇宙船地球号」の事じゃないかと思うこの頃、日頃意識してないけど宇宙空間をもの凄いスピードで移動してるらしい、だけど「宇宙の中心」は確定出来ないらしいので「何処へ向かっているのかは?」、これって「自分が中心」でも問題ないって事でしょうか。

「水は低きに流れる=行き先は神様(船、地球)に御任せして問題無し」だったりして。

まだ「地球の日」続いてる。感謝



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洗ったばかりの車のドアミラーに、鳥の糞が沢山付いていた、車は洗ったばかりなのにどうした事だ、天気のいい今日も車の車内でお弁当を食べていると、犯人発見、キセキレイがやってきてドアミラーに止まった、後でネットで調べてみたら同じ様な記事が見つかった、見た目はかわいいが、おいどうしてくれるんだ。

どうやら「ドアミラーに映った自分の姿に喧嘩を売っていた」様です、何でしょうね「自分の影に怯える」、まるで「幽霊の正体みたり枯れ尾花」ですか、人類は人類自体の影に怯えていた」人類の戦いの歴史の影にはこんな理由もあったのかも知れない「自分自身を知れ」はこの呪縛から解放される為の学びであろうか。

「キセキレイ」(黄鶺鴒、学名:Motacilla cinerea)は、スズメ目セキレイ科に分類される鳥類の一種。主に渓流などの水辺に棲息する。

「キセキレイ=奇跡例=奇跡の一例」奇跡じゃなくて「糞」だろう、喧嘩売ってんのか!
「キセキレイ=奇跡レイ=奇跡の光」近頃スピ系で話題の「光のパワー」ですか、「キセキレイ=奇跡霊=奇跡の霊力」、「キセキレイ=喜世来霊(光)=喜びの霊(光)の世界が来る」。
「キセキレイ=軌跡霊=霊の歴史」は「スカボローフェア」や「創世記」「元開け」、「あの世とこの世の関係」の繋がっている気がする。

「キセキレイ」の体色も面白い「黄色、白、黒、灰色」の4色が基本になっている、「黄色=金色=金神」黄色人種の日本人「キが元じゃ」が気になる、そして「白と黒とグレイ=善と悪と中間=光と闇と影」も「日月神示」で語られている。
「キセキレイ=人の心の中に有る光と闇と影と、それを包む根源の輝き」を現しているみたいである、「キセキレイ=軌跡霊=霊界の軌跡=光と闇から生まれた影(グレイ)」、「グレイ」、宇宙人の正体は何だか「光と闇の混じり合ったもの=光と影、二元を繋ぐもの=人間=人の心」が産み出しているものなのかも知れない。

何だか「キセキレイ」は「奇跡の様な光と霊の時代がやって来る」みたいな凄い意味だけど、何故「うんち」何でしょうか「鳥の糞=十理の噴=真理の吹き出し」、トリ、最後の仕上げみたいなものでしょうか。

「鳥の糞=トリノ噴=トリノの聖骸布が噴=キリスト教が吹き出す」だとしたら「バチカン」も大騒ぎか?キリスト教で何か起きるのかな、何で私はいつもキリスト教に絡むのか不思議です、「スカボローフェア」も「キリスト教の歴史と刈り取り、収穫の時期」だったし。

「キセキレイ」の鏡の中の敵との戦いが漸く終わる、「自虐の時代」の終焉であって欲しいと思う。
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