食料補完計画

「きてけろくん」とは
先頃、「聖母マリアの秘密」と言う本を読む機会が有った、そして以前から気になっていた「松任谷由実 人魚姫の夢」の歌詞や「スカボローフェア」の歌が再び頭の中をグルグルしていた。

ユーミンの歌を聴いていると、デビュー当時から40年間ずっと同じ様なテーマがついて回っている感じがする、それが最もストレートに出ているのが「人魚姫の夢」ではないだろうか。

「いつか あなたはやってくる 深い涙の底へ 私を目覚めさせる為に やがて 薔薇色の朝になり あなたはささやくのよ 哀しい夢だったと」

「心身の神癒」でキリストは「心の一番深いところの声(父なる神の声)を聞き、そのみ手にとどまる事」が出来る方法をアドバイスしているのではないのだろうか?。

「ヨモツヒラサカ」で別れ別れになってしまった「イザナギ」と「イザナミ」の誤解を解き、心をヤワし、「再び会いまみえる事が出来る」方法とはこの事ではないかと思ったりしています。

そんな気がする今日この頃、そう言えば今頃が「スカボローフェア」が開かれていた時期ですね。

Wikiより
「スカボロー・フェア」(スカーバラの市、Scarborough Fair)はイギリスの伝統的バラードである。この歌の舞台は中世末期まで遡るが、当時ヨークシャー地方(現:ノース・ヨークシャー州)の北海沿岸のスカーバラはイギリス中の商人の重要な交易拠点だった。そこには道化師や手品師が集い、8月15日からは45日間の巨大な長期間の市が行われていた。これがタイトルになっているScarborough Fair(スカーバラの市)である。市の期間中は、イギリス中や大陸からも人々が交易のためにスカーバラへ集まった。」

明日、9月22日は「秋分の日」です、皆さんはどう思いますか?。
山形や宮城県の地図を見ているうちに、何故か「38度線」が気になってきた「38度線」と言えば第二次世界大戦で朝鮮半島は「北・朝鮮民主主義人民共和国と南・大韓民国」に分断され70年経った現在も続いている。

38度線は、日本における「金の一大産地」で有ったらしい、ネットで検索しているとこんな記事をみつけました。

「秩父・仙台まほろばの道
 秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。」さんのブログ
「北緯38度線の黄金」

http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/6ced34c004465d0b76238b890b9b3c14

そう言えば「北の指導者」も「金」さんですね、何か深い繋がりがあるのでしょうか?。

「北緯33度」も「北緯38度線」謎だらけですね、調べてみたら「ネバダ核実験場(Nevada Test Site)は、アメリカ合衆国エネルギー省が管理している核実験場。」のある「ネバダ州」も有ります。

「北東」と言えば鬼門として「丑寅の金神様」が祭られています。
南陽市宮内には熊野神社が有ります「宮内=38内=体(体は神の寄り代)内=体内=胎内」繋がりでしょうか?、同じ緯度には「胎内スキー場」が有り、住所は「胎内市熱田坂」?「熱田=熱田神=ヤマトタケ=ソサノオ」様です、そこには「川合神社」が有ります(胎内川と鹿俣川の合流する川岸の宮久に鎮座)二つの川の縁結び「熊野」つながり?、でしょうか。

「熱田坂で合流縁結び」と聞くと「イザナギとイザナミのヨモツ平坂での別れ」を思い出します、早く誤解が解けて再び仲睦まじい夫婦の戻ってほしいものですね、もしかしたら「丑寅の金神様」が二人の仲を取り持って下さる、そんな気がしませんか。

何故「38度線」なのでしょうね「朝鮮半島の分断」?、金神様が和合に挑戦(朝鮮)して下さる?「朝鮮=鮮やかな朝(夜明け)」は東から黄金色の光が差し込む??。

「熊野神社」は「縁結び」の神様として有名です、それに兎(ホームページのトップの項目が三羽のうさぎ」になっています??)にも縁がある様です。

「熊野大社の本殿裏に、うさぎが三羽隠し彫りされています。いつ頃からか定かではありませんが、うさぎを三羽見つけた人が次々と大成功を収めたことや、恋や願い事が成就したことから、「願いが叶う」「しあわせになれる」と言い伝えられています。」

「ズートピア」の主人公は「兎」さんでした、「キツネ(お稲荷さん=御意成りさん)」と力を合わせて願いを叶えました、ご利益なのかもしれません。感謝

そう言えば「松島」が入ってますね、松尾芭蕉さんが余りの絶景に「ああ松島や 松島や」としか詩が出なかったとか??。

「松島=まつしま=真津島=真理が寄せる島=真理が寄せる島国=日本」芭蕉さんには何が見えていたのでしょうね、この島国の未来のに何を待っていたのでしょうね。

「ああ松島や 松島や=吾ア(あ=兆し)真津島ヤ 待つ島ヤ=神の兆し真理の寄せる島国の民 真理の訪れを待つ島国の民」

松島って何だろう??。

それにしても気になる地名が多いなあ。

38度線、国道113号線沿いは??
東から
「山本」
「角田」
「白石」
「七ヶ宿」
「高畑」
「南陽市」
「今泉」
「飯豊町」
「小国町」
「鷹の巣温泉」
「関川」
「胎内」
「荒川」
入院して薬を飲み始めてから映画の「マトリックス」が気になっていた、先月末に退院後暫くしてから検査があり、薬の種類減って2種類に減った、その時から「カプセル」の色が「オレンジ+赤」から「青+赤」の色に変わったのです。

随分と首の筋肉も凝っているな、そんな事を考えながら記事を書いていてふと思い出したのだが、マトリックスでは「首の後ろにコネクター」が付いていた、山形県の形にも「仙台からの国道48号線が後頭部に繋がっている」それも「いろは四十八=言葉のデーターケーブル」である、このケーブルは何処に繋がっているのだろう、まるで「マトリックスのネオ」みたいじゃん。

マトリックスの映画の中ではモーフィアスが「赤」と「青」のピル、どちらかを選択する事で

「青を飲めばここで終わる。 ベッドで目が覚め、後は好きに。
赤を飲めばこのまま―― 不思議の国の正体をのぞかせてやろう」

とネオに選択を迫るシーンがあるが、私の場合は「一つのカプセルが赤と青の2色、分離は不可」であった、私に選択の余地はない、「赤と青」二つを一緒に飲んだとしたらいったい何が起きるのだろうか、二つを足せば「ベッドで目覚めながら不思議の国(紫の世界)を覗く」事にでもなるのだろうか、これってヤバくない?、何だか実験している様な変な気分である。

誰か、試してみた方はいませんか。

「赤と青」と言えば幾つか浮かんでくるのが
1、キカイダーの体 (01=0と1、が気になる、良心回路入ってる)
2、不思議のメルモちゃんのキャンディー(懐かしいアニメです)
3、体内の血液循環
4、ボクシングのコーナー (どうして同じ様なパンチ 何度も食らっちゃうんだろう)
5、立体メガネ (何が見える)
6、マトリックスの薬 (一緒に飲んでも良いのか)
7、三原色の赤+青+で紫

などなど、沢山でてくる。

「白と黒=善悪」「赤と白=男女」などが有るが「赤と青」は何の対立概念なのだろう。
旧約聖書で二人が食べた「知恵の木の実と命の木の実は赤と青」だったとか?、「安全と危険=青と赤」、「顔色がいい赤、顔色が悪い青」「未熟な青、熟れた赤」トマトみたいだ、何だか「命」に関わる様な概念、そんな感じがする。

ハートの形は林檎を連想させるのでしょうか、青い林檎もありますね。

マトリックスでは「現実と仮想」のイメージだが、両方飲んだら「立体視」となって違った世界が見えてくるなんて事もあったりして、ちょっと怖いが覗いてみたい気もする。

面白いのは「血液の循環」だ、ちょうど「毛細血管」の部分が「むらさき色」になっている、この部分が一番重要な働きの場所であり、太い血管は血液を運んでいるだけである「むらさき色」の部分では何が起きているのだろうか。

先の「じゃがいもの紫の花」と繋がっている様な「青と赤」の不思議である。

今暫く飲み続ける事になるが、飲み終わった頃に私はどうなっているのだろう、生まれ変わった私、「人造人間」はちょっと嫌ですね、「メルモちゃん」は微妙です。こらっ!

山形県の横顔は「キリスト、きてけろくん、モアイ、ネオ」などなど随分と色々な「顔」を持っている、「赤と青=あかあお」から共通する「あ」を取ったら「かお=顔」になっているのも面白い、「ヤマガタ=ヤ真型=真の人の形」もまんざら駄洒落ではないのかもしれませんね。

追記、そう言えば「エヴァンゲリオン」も「首の後ろにエントリープラグ」が有りますね、このブログでそれを忘れちゃ行けませんねえ。

神様は色々な「顔」を持っている、そして古人曰く「身土不二」と、そして「救世主とは人類そのもの」なのかも知れませんね、今まで勘違いしていたんだぞ、って、そう思いませんか、いったい誰が何の為に山形県をこんな形にしたのでしょうかね、もし誰かに「神様はいると思うか」って聞かれたらなんて答えようか、「しんどふじ=振動不死=振動は死なない=波は永遠=変化あるのみ」あれ、仏さんも言ってたぞ、いったい何役こなしているんだろう。

興味のある方は「きてけろくん」も覗いてみて下さいね。

「神様を見た事はないけれど」と「トップをねらえ2」の「ノノ」は言っていた、「神様は働きだから直接見る事はできない」らしい、でも「見えるものだって神様なんだ」としたら「いつも一緒」でもある、息子に聞かれた時に「見えない神様と見える神様がいて一緒に守ってくれているんだぞ」と、答えてみた、わかった様なわからない様な返事、でも彼はもっと大切な事を知っていてここへやって来た、そんな気がする、今日から新学期の始まりだ。感謝

嘘みたいなI love you「待ちきれないよ 後半スタート」また一歩前進したのかな、後半はいったい何処からスタートするんだろう。

思い出してみると「入院中は肩こりが治っていた」、退院してパソコンを使い始めたとたん「肩こり」が始まった、上目遣いでモニターを見るのが原因のようである、外にはもっと素敵な景色が展開されている、きっと自然が呼んでいる、そんな気がしてくる陽気である。

こんな歌詞があったぞ「テレビ消して 私の事だけを見ていてよ」。
...もっと詳しく
今日は節分、山形ではこの時期になると「でん六豆に鬼の面」がセットになって販売されている、「でん六豆」の画像をを見ていたら「緑色でデコボコして所々白い=地球」にソックリに見えてきた、割って見た構造まで似ている、「でんろくまめ=伝録マメ=マメに記録を伝える」、豆に込められて伝えられた記録とは一体が何だろう、でん六豆を食べながら考えてみた、「ポリポリ=堀り堀」と音がする。

1、「株式会社でん六」は1924年(大正13年11月)に菓子製造(おこし、米を膨らませて固めたお菓子)で「鈴木傳六」さんが創業者となっていた、「13年11月にお越し」?、確かに私は「2013年11月に白鷹町から山形市へお越し(入院)になった」笑、時を同じくして「かぐや姫の物語」も公開(起こし)された。
「おこし」には何が込め(米)られているのか、「おこし=起こし=起こし=ヲ子(個)始=バラバラになっていた者を纏め始める」、「おこし」には、何かが始まり何かが生まれ分裂していたものがまとまる、一体何がおきるやら。

2、それよりも創業者の名前が凄い「鈴木傳六、すずきでんろく」さんである、「ホツマツタエ」で「スズキ」と言えば「スズキ=アメノマサカキ=長い間暦の基準になっていた木、6万年の寿命がある」とても重要な存在である、そして「傳六=伝六」、数秘術では最も有名な「完全数」である6 という数は、神(1)・男(2)・女(3)を含む「世界」を表現しているので、完全数と呼ぶらしい。

3、ちなみに、原子番号6番は「炭素」である、炭素といえば「地球の命の象徴、緑色は植物の光合成の色」である、「でん六豆の色は緑の大地に雨を降らせる雲の組合せ」だったのである、何故「傳六」さんがこのデザインを思いついたのか、きっと光のせいだと思う「E = mc2、Cの自乗=Cの事情=光の事情」ごめんなさい。

4、「すずきでんろく」さんは、「世界の秘密(未来)を伝える暦(子世見)」に深く関わる名前だった、だとすれば「でんろくまめ=伝六真目=世界の秘密を伝える真実の目」?
何だか「真実を見通す目」みたいになってきたぞ「でん六まめ」っていったい何者、深すぎるぞ。

5、豆のお菓子を作っていれば、節分の豆撒きと繋がってくるのは当然かもしれない、しかし、長年に渡り「赤塚不二夫」氏デザインの鬼の面を選んだところは流石である、「あかつかふじお=開塚富士(不死)夫=塚(墓、黄泉の国)に封印されていた不死の神が開かれる」である、とんでもない名前なのだ。

6、鬼の面、この頃「鬼」のイメージが変わって来た、色々と考え合わせていくと「鬼=おに=負う荷=荷物を背負う=辛い役目を引き受けた存在=汚れ役」ではないかと、大本教の教祖だった「出口王仁三郎」は「おに=鬼」が嫌で「王仁」と付けたらしい、もしかしたら「出口王仁三郎=出口負う荷三労=出口に向かうための三つの苦労を背負った者」であ。
「鬼」とは「人を出口に導くためにあえて汚れ役を引き受けたもの達」であるとすれば、西洋におけるサタンもまたそうなのかも知れない、「日月神示す」では「悪もお役であると」と言っているのはこの事だろうか、「身心の神癒」でキリストも同じ様な事を語っているのだ、「闇は種の成長を促す」と。
「鬼の面」、面とは「素顔を隠している」とのヒントかも知れない。

7、「でん六まめ=伝六豆=伝六(無)真目=無の歴史を真実の目で見る=人類の歴史の中で無がどの様な影響を与えて来たか正しく認識する」、人はいつから何故「無」を恐れるようになったのか、「む、6」の本質が鍵になっている。

8、鬼は外、福は内、「日月神示」では「福も祓い鬼も祓う」と言っていた、この世界は「都合の良いいとこ取りはできない」ものらしい、自分にばかり富が集まると格差が広がってしまう、「何事も丁度良い」処があるようだ、体は栄養が足りなくては具合が悪いが多過ぎるのも良くない。

9、2014年、今年の鬼の面のデザインは「未来に向かって明るく元気にジャンプ」である、「飛躍の年」、スキーでジャンプ、頬っぺたの渦巻き模様も「右巻き左巻き」金色の光のバックには「六角形の雪(幸)の結晶、「あか=開か」の鬼、カッと開いた眼(まなこ=真名呼)、二本(日本)の角、ヘアースタイルまで雪の六角「六芒星」。

10、「でん六」の会社が有るのは「山形市清住町」、「やまがたのきよすみ=ヤ真形の清澄=人の真の姿は清く澄んでいる=人の本当の姿は地球の浄化システムの一部=人は罪の子にあらず」、「かぐや姫=香しい人の秘密=人は本来香しい(輝かしい)存在」、おっ何だか繋がったぞ。

「でんちゃんの手紙」届いたかな、これでいいのだ〜これでいいのだ〜赤塚不二夫(開塚不死男)なのだ、今日は節分なのだ、感謝なのだ!


株式会社「でん六」の皆さん、好き勝手に書いてすみません、イメージダウンになるようでしたらコメントにご一報下さい。管理人

病室でパソコンが使えるようになった、今までアイフォンでブログを更新していたが文字の打ち込みが面倒で億劫になっていたのだ、インターネットにはアイフォンを経由し3G回線で繋いでいるので快適とはいい難いが十分使えるレベルである。

同級生が今年立ち上げた旅行コンサルティング会社のホームページを久しぶりに覗いてみた、旅行関係のサイトにしては地味すぎる内容だったのであまりアクセスしていなかったのだが珍しく内容が更新されていた。

募集情報

●職種
山形DC事業PR隊。「きてけろくん」着ぐるみ演者。
山形DC事業PR隊。「きてけろくん」司会兼マネージャー。
山形DC事業PR隊。プロモーションディレクター。
事務担当者

●仕事内容
平成26年6月14日〜9月13日の期間開催される、山形ディスティネーションキャンペーンの観光PR隊の仕事です。県のマスコットキャラクター「きてけろくん」の着ぐるみを活用し、県内、県外の観光イベント、物産展、式典などの催し物に出演します。


ん、「きてけろくん」とはいったい何者なのか、気になって調べてみた、今流行の「ゆるきゃら」である、テレビでは「くまもん」や「ふなっしー」を見かけない日がないくらいだったが地元にもいたのは知らなかった、それもこのブログでも何度か取り上げた「山形県の形」が使われているではないか、気になって調べてみた。

第一印象は「イースター島のモアイ像」である、調べていくうちに色々と面白い事が分かってきた、こんなに突っ込み所の有るキャラだとは思っていなかった。

1、3693
今年の初め頃募集、全国から寄せられた3693件の愛称案から選ばれた。命名の理由は「県民の思いが率直に伝わるように、『来てください』という意味の山形弁を使から。

全国から寄せられた応募が「3693=みろくさん」である「弥勒」と言えば仏教では高位の存在であり「56億7千万年後に人類を救済するために現れる」と言われている、キリスト教の「666」と共に「日月神示」でも「ミロク」は重要なキーワードになっている。

2、モアイに似ている
世界の不思議アイテムの一つ「イースター島のモアイ像」形が似ているだけならあまり驚かないのだが「イースター」とはキリスト教の「復活祭」の事、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭とされている、正確なクリスマス、イースターには諸説有るが、私には年末のこの時期のイメージが強い、例えば「生と死は等価である」を暗示しているようには思えないだろうか。
「心身の神癒」の中でキリストは「生命に死は無く、状態の変化が有るだけ」と語っている、キリストもミロクも「復活」繋がりだろうか。

3、きてけろ
「きてけろ」とは「来てください」の意味、来てほしいが強制はしていない、相手の自由意志を尊重しながらお願いしている、「日月神示」の「どんなに良いことでも強制すれば曲がってしまう」と言っていたのを思い出す、「求めよされば与えられん」神様は、強制はしないけれど気がついて欲しいと願っている、地獄や悪魔を持ち出して不安を煽る誘い方も良くないと。

4、山形県はキリストの横顔
これは上手く説明が出来ないが、以前の記事で書いたので参考にしてほしい、一言で言うと「キリストとは無と有の間を繋ぐもの」とでも言うのだろうか、「神の数式」の中で極小の世界の理論と極大の理論が、それぞれに見ると完全に見えるが二つを統一して一つにすることが出来ない、これを実現するには「多次元」が必要でありこの世界が10次元ならば説明できるらしい、何と「多次元」も今の物理学者の中では常識になりつつあると、世界の意識は変わりつつあるようである、今まで散々無いと言って来た事が揺れている。

最先端の物理学では「見えない世界」の存在を無視しては説明が出来ない所まで来ているらしい、かつて「エーテル」や「暗黒物質」と呼ばれ、「ホツマツタエ」では「アメノミオヤ、ウツホ」、キリストが「父なる愛の力」と呼んでいたものとなにやら良く似ている、見えないものが見えるようになるとき、その二つを取り次ぐ「何かが」今現れようとしている、らしい。

5、イースター島のモアイ君
「イースター=星の意識、星の想い」「モアイ=最愛=最上の愛」「母愛=母の愛=母なる存在の愛」「母会い=母性と出会う、母なる存在に出会う」、駄洒落で「イースター島のモアイ」からは「星の想い=天の父の想い」と「母なる大地の愛」が感じられないだろうか、「父なる母なる神の復活」に相応しい名前である。
イースター島の歴史はそんな「親神」の心配を伝えようとしているみたいに思える。

wikipediaに載っているイースター島の歴史は
1)人が住む前は豊かな緑に溢れた島だったらしい
2)最初は1人の酋長の下、1つの部族として結束していた
3)代を重ねるごとに有力者が分家し部族の数は増えて行った
4)島の至る所に、それぞれの部族の集落ができ、祭壇やモアイも作られていった。
5)少なくとも10世紀〜17世紀の800年もの間モアイは作られ続けた、祭壇の上に建てられたモアイの中で最大のものは、高さ7.8m、重さ80tにもなった。
6)モアイを作り、運び、建てる為には大量の木材が必要で、大量伐採によって森が失われ[要出典](森を破壊したのはネズミであるという説も存在する[3])、その結果、肥えた土が海に流出し、土地が痩せ衰え、人口爆発[4]と深刻な食糧不足に陥り、耕作地域や漁場を巡って部族間に武力闘争が生じるようになる、その後モアイは破壊されていった。
7)森林伐採は結果として家屋やカヌーなどのインフラ整備を不可能にし、ヨーロッパ人が到達したときは島民の生活は石器時代と殆ど変わらないものになっていた。

昨日放送された「風の谷のナウシカ」や「未来少年コナン」は、このイースター島の歴史が今の地球上の歴史と重なりはしないかと言っているようだが、考えすぎであって欲しいものである。

「きてけろくん」は私に「弥勒」、仏教を学べと言っているのだろうか、言われてみれば家には仏壇もありお墓参りもしてきたが今までお世話になりながら自分から学んだことは殆ど無かった、、世間で言うように「葬式仏教」といった具合だろうか、「理由は良く分からないが何やらお金がかかる様だ」である、「仏壇、墓石、お布施、院号」お宝探偵団を見ているようで金額に見合った値打ちと言うのががよく分からないのである。

「きてけろ=貴手けろ=貴方(人)の貴い手を貸して欲しい」、本当の(真言)の母(パパ、ばば、親)からのメッセージだったのである、マツリビト(祭人)募集のサインの様にも思える、2013年は準備の年、2014年は実行の年になるのだろうか、「神頼むぞよ」である?、「きてけろくん」は山形県の宣伝を装いながら「世界復興計画」を目論んでいるしたたかなやつである。

おまけ
NHKの「神の数式」を見た、感想は意外な物だった、最先端の物理学の世界は宗教の古典とよく似ている、のである、「数式の無い物理学」みたいな感じと言えば良いだろうか「聖書の創世記」よりも「ホツマツタエの宇宙創生」に近いように思うのは私が日本人だからだろうか、たぶん両方が補完しあうようになっていると思うが、仏教には何処から手をつければいいのだろう。


何故かパソコンで更新しようとすると度々ログアウトしてしまう、せっかく打ち込んだのが消えてしまう、一休みしろと言う事か。
フラワー長井線とその沿線を舞台にした映画「スウィングガールズ」をご存知の方も多いと思う、「置賜」「フラワー長井線」「スウィングガールズ」色々と想いを巡らせてみるとたどり着くのは何故か「日本神話」なのである、確かに以前から長井線沿線の駅名には「しろうさぎ」「おりはた」「こぐわ」などの地名が有り面白いとは思っていたが、この機会に少し掘り下げてみたい、あくまでも私の思い付きなので学術的な価値は有りません、あしからず。

いきなりで申し訳ないが「台風28号カニステル(エッグフルーツ)、日本名?くだものたまご」が、神話の中の「河に捨てられ 拾われた昼子姫」だと書いたが、もう一つ「台風28号の28は女性の排卵周期と一致する、「日月神示」の最初の「岩戸閉め」で黄泉の国に下ったイザナミの神が卵を産んだ話が有る、以前は母神が一人で産んで不完全だったのだが、もしかしたら今度は夫婦力を合わせて産んだ「卵」で有って欲しい、「ホツマツタエ」が面白いのは古事記、日本書紀では?な処がなにかしら納得できる物語になっている為でもある、偽書であっても凄い事だと思う。

「スウィングガールズとは妊婦たち、である、女性が身ごもる事を妊娠と言う、震える女性たち、スピリチュアル的に云えば、波動を生み出す者だろうか」映画の劇場公開初日は2004年9月11日(何故かツインタワー11と重なる)主人公は「落ちこぼれ学生だった友子ら13人の女子生徒」、スウィングジャズビッグバンドは山河高校1年生の女子生徒16名と男子生徒1名、合計17名で構成されている。
あれから9年の妊娠期間のあと13年の今年に出産なのだろうか、人は1から7歳までは「ヒナ=人になる前」、「9はここ、子供の意味」であり「満で9歳は数えで10歳、人は1から10でひとになる」とすると「満の9歳は子供から大人になる」事になる、物語で語られる年齢は「数え年」の方がしっくりしているのは「古来日本では受胎が生命の始まりと考えられていたため」だと思う、出産が人生の始まりだと考えてしまいがちな今の「満年齢」では、産まれる前の子供に向けられた想いが薄いのではないのだろうか、「妊娠の中絶」が増えたのはこの様な生命観の変化による影響が有る様な気がするが。

映画の「スウィングガールズ」は落ちこぼれ(夏休みの補習仲間)の女の子たちがひょんなことから吹奏楽部を結成することになり、さらにひょんなことからビッグバンドジャズをやることになって、猛特訓。16人の女子と男子1人からなる「スウィングガールズ」は右往左往しつつ結束を固めていき、晴れ舞台を踏む、こんなストーリーである。

目標に向かって奮闘する彼女達を見ていると、「ホツマツタエ」の序文に有る歌
「しわかみの こころホツマと なるときは はなさくみよの はるきぬらん」を思い出す、またばらばらだったメンバーの気持ちが纏まって行く様子は「君が代」の「さざれいしの いわおとなりて」なのだろうか、取り組んでいるのは「吹奏楽」、呼吸が大切なポイントであり基本的に吐き(吹き)ながら演奏する、吸いながらは演奏できないが最初に吸わなければ音が出ないとすれば、ス(吸う)の神様はこんな所にも関わっているらしい。

そう言えば映画の中にパソコンの「Mac」が出てくる、主人公の彼女は家に有った「Mac、一体型のiMacだった」を売り払い中古の楽器「テナーサックス」を買ってしまうのだ、私も長い間「Mac」にはお世話になっているが近頃は以前ほどパソコンの出番は無くなってきている、そろそろ新しい事にチャレンジする時期かもしれない。

「スウィングガールズ」も突っ込みどころ満載なのだが、「フラワー長井線」に話を戻してみよう。

長井線の始発、赤湯駅から駅名を順を追ってみると。

「赤湯駅」
奥羽本線と接続、「あかゆ=吾光涌=神様の光が沸き出す所」、白竜湖と言う湖が有るが、「龍は流であり粒」でもある、最も根源的な自然の働きが「ながれ、変化」だと思う、「白=城=全ての色が含まれた強い力に守られる」、場所ではないだろうか。

「南陽市役所駅」
1988年(昭和63年)10月25日 - 山形鉄道フラワー長井線開業と共に設置。

「宮内駅」
駅から歩いて10分の所に、熊野神社(くまのじんじゃ)がある、旧社格は県社。正式名称は熊野神社であるが、通常は、熊野大社(くまのたいしゃ)の通称の方が用いられている。日本三熊野の一つとされている。
ウサギの駅長がいるが、「2010年8月1日の再有人化に際し、人間の駅員のほか、同社および同駅に縁の深い動物であるウサギの駅長・駅員も勤務することになった。同社社員のひとりの母校である置賜農業高等学校で同年5月に生まれた3羽であり、駅長が「もっちぃ」、駅員が「ぴーたー」「てん」である。近所の蕎麦屋のクサガメ「かめ吉」も非常勤助役となった」とある。

「宮内=みやうち」とは「神の生き宮としての身体とそこに宿る神」の事ではないのだろうか、熊野神社はイザナミの神と深い繋がりが有る、心と体は一つである。

「心身の神癒」第14話
9 神我(キリスト)は肉の中に顕現(あらわ)れた神である、わたしはこの事を再びくり返して云う、そうすればあなたたちの心の中にこの真理が深く入っていく。この真理を認め、悟ることによって巨大(おおい)なる力があなたたちに勃興(おき)る。神我(キリスト)は今の今あなたたちの中に顕現している神なのである。

「おりはた駅」
1959年(昭和34年)6月1日 - 西宮内駅として開業、1988年(昭和63年)10月25日 - 山形鉄道へ移管、おりはた駅に改称。南陽市漆山、近くの織機川(駅名の由来となった)とある。
近くには「夕鶴の里資料館」が有り「漆山地区を流れる織機(おりはた)川のそばに、古くから民話「鶴の恩返し」を開山縁起として伝承している鶴布山珍蔵寺があります。この地区には、鶴巻田や羽付といった鶴の恩返しを思い起こさせる地名が残り、明治時代には製糸の町として栄えました。 地域に口伝えで残されてきた鶴の恩返しをはじめとする多くの民話を、これからも伝えていくために夕鶴の里資料館、語り部の館がつくられました。とのこと。

「ホツマツタエ」には「つるの恩返し」の物語は出て来ないが、元になりそうな逸話は有るのかもしれない、しかし「おりはた、織り機、機織り」は政治や価値観を含めた大切な概念を現している、「漆山=うるしやま=麗しいヤ真=人の真の姿は麗しいのである」。


「梨郷駅」
「りんごうえき=りんごう=りんご=アップル=エデンの園」簡単でご免なさい。


「西大塚駅」
この駅は1914年(大正3年)の11月15日、国鉄長井軽便線の梨郷駅から長井駅までの延伸開通とともに開業、西暦1914年と言えば「第一次世界大戦」、世界初の「世界大戦」の始まった年である、8月23日 - 日本がドイツに宣戦布告をしている、来年が丁度100年目になる。

川西町は作家の「井上ひさし」さんの出身地、大塚と言う地名から何かしら歴史的な史跡が有りそうですが情報不足です。


「今泉駅」
今泉駅(いまいずみえき)は、山形県長井市今泉にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・山形鉄道の駅である。
1914年(大正3年)11月15日 - 鉄道院長井軽便線の梨郷 - 長井間開業と共に開業。
「今泉=意真泉=真の意思が湧き出る」だろうか、ここはJR東日本の米坂線と合流していて、赤湯駅を除けば唯一乗り換えが出来る駅である、面白いことに「米坂線」と「長井線」は十字に見えるが交差している訳では無く、路線図を見ると「織物よりは編み物」になっている。

神癒より
11 あなたたちの中に宿り給う父はあなたたちの意識を通じておんみずからを啓示したまう、なぜならあなたたちの意識が父なる神を表現する手段だからである。“I am”アイアム(吾神なり)という力の大いなる秘密があなたたち自身の意識の中にあることを自覚せよ。“I am”アイアム(吾神なり)なる力の言葉を口にせよ、そうすればあなたたちの意識はその背後にある巨大なる力を実現するであろう。宇宙は分割されるものではなく「全一」なのである。

洋裁と云えば「織物」よりも「編み物」のイメージが有る、「アイアム=愛編む」であり「一神教=一本の紐からで来ている」、それに対して「多神教=二神=織物=下りもの=上から下へ(神)+よこいと(人)」のイメージがある、全てがそうだとは云えないが何か関係は有りそうである、「今泉」とは「異文化が交わり真理が湧き出る所」なのであるらしい、全ては「今湧き出るもの」なのだ。

軽い気持ちで書き始めたが、だんだん長くなってきた、時間のある時に書き足します、意味有りな駅名が続きますね。


「時庭駅」

「南長井駅」

「長井駅」

「あやめ公園駅」

「羽前成田駅」

「白兎駅」

「蚕桑駅」

「鮎貝駅」

「四季の里駅」

「荒砥駅」
荒砥駅(あらとえき)は、山形県西置賜郡白鷹町大字荒砥甲にある山形鉄道フラワー長井線の駅である。
当駅の構内脇にはフラワー長井線の車両基地が隣接しており、YR-880型7両が配置されている。1923年(大正12年)4月22日 - 長井線鮎貝 - 荒砥間開通と共に開業。

フラワー長井線の終着駅は「荒砥駅」しかしここに車両基地が有るので「始発駅」でもある、「初めであり終わりでもある」、以前から「左沢線」と繋いで環状線にする話が有ったが未だに実現していない、ここが終点であることに何かしら意味が有る様な気がしてきた。
「荒砥=荒止=荒れを止める」であるが「あらと=現ト=新ト=新戸=現都」でも有る様だ、まるで「荒れた時代の終わりと新しい時代の幕開けが同じ場所から始まる」そんな気がしてくる、すぐ側を流れる川は「最上川」最上級の川である、発車してすぐに鉄橋を渡る、そして帰る直前にも渡る、荒砥駅からの旅立ちは「川を渡って生まれ、川を渡って帰ってくる」まるで「あの世とこの世の写し鏡」の様に見える、どこで読んだのか思い出せないが、「あの世で死んでこの世に生まれ、この世で死んであの世に産まれる」と「死んで=神出=神として生まれ変わる」のだとか、あなたはどう思いますか。



第一次世界大戦の始まった1914年から100年目の今、大きな意識の変化が世界で起きている、地球は人の五感を通して自分自身を見つめ直しているのだろうか、宇宙から見下ろしネットで世界が繋がる今の暮らしは、痛みを伴いながら自分が何者なのか、母なる大地のの自己確認のプロセスの様な気がする今日この頃です、こうして見ると先人達が残してくれた物が何やら語りかけてくる様な気がしませんか、お読み頂き有り難うございます。感謝

全部書けるだろか。

この頃もやもやしていたものが「フラワー長井線」をきっかけに一つの物語として繋がっていく、こんな事も有るのだろうか、買ってきた本、まだ読んではいないけれど(何故か少し書いてから読んでみたい気がする)その中に「そうだ!フラワー長井線を“ローカル鉄道のディズニーランド”みたいにしちゃおう」と言うのが有った、置賜(世界)が理想郷だとしたら夢ではないと思いませんか、もしかしたらもう叶っているのです、きっと。

ここ何年か、2月中旬の冬が一番厳しい時期に東京へ出張している、その時はいつも長井線の始発を使う様にしている、ここ2年は何故か大雪に日に当たってしまい赤湯駅に着く前に途中下車、夕方の帰りの汽車も動いておらずマイクロバスの各駅停車の時も有った、汽車を一日も休まず運行する、利用する側からすれば当たり前の事と思ってしまうものだが見えない所では多くの人達の手によって支えられている事を気付かされる機会になった、有り難いものである。

「フラワー長井線」100周年、もしも置賜が赤ちゃんだったら「最上川」は母なる海と繋がる「へその緒」かも知れない、そして川を使った交易に代わって「フラワー長井線」は日本を通し世界に繋がる「もう一つのへその緒」の役目を果たして来たのだろう、そう思うと「フラワー長井線の100年の歴史」は激動の時代の「時間と空間を繋ぐ架け橋」そのものの様な気がしてくる、「ホツマツタエ」読んでいると、大きなテーマとして「うきはし=浮き橋=結びつけるもの=仲人」の想いが込められている様に思える、先人達が未来の子孫に伝えたい想いを紡ぐ「時間と空間の架け橋」、その想いが重なっているからなのだろうか、「ホツマツタエ」に出会って十数年になるのですが丁度この時期に「フラワー長井線に繋がってくる」?とは思いがけない出来事です「神話」には不思議な力が有るのかも知れませんね、また一つ故郷が身近になった気がします。


追記中
天気予報などで気になっていたのだが、いつの頃からかや山形県に目が出来ている、多分平成の大合併によるものと思われるが後で調べてみたい、口に続いて目まで開いた、今回の地図では白目で垂れ目、涙が出るくらい笑っている様にも見えて何だか愛嬌も感じられる(笑)のである、その理由も知りたい、自治体の名前も書かれていないし、何だかここだけ白いのも不自然だと思いませんか。

仕事が終わったので調べてみたら、白い所は「三川町」である、「みかわ」「観か(光)環」「身嘉わ(地)」色々と面白い解釈が浮かんでくる、この目には涙を流して大笑いし、涙を流して号泣する人の姿が映っているのかもしれない、全知全能の対局にある様にさえ見えるこの世界、知識や数値として現す事の出来ない何かがこの世界には存在している。

う〜ん、よくわっかんない!
昨日、とある酒宴の席で、「山形県の形が人の横顔に似ている」が話題になった、私も以前から偶然にしては出来過ぎだと思いながら何度か取り上げた事が有る。


度々の掲載であるが、山形県の地図にちょっと手を入れてみた。

1、太平洋(東)から差し込む光が金華山を通って多賀城に入る。
2、仙台から山形の神町へ向けて関山峠の国道48号線を通り。
3、南北に走る国道13号線に交わる、13号線は「最上川」では無いか。
4、川を横切った光は、朝日岳を通って西に向けて開けられて口から出る。

書き方を変えてみると

東北、丑寅の方角から差し込む金神のお力が「うつほ」となって高天原を経由、天界サゴクシロの宮にまします「いろは四十八神」の働きで光の様な力に変換されて「関山峠」を通り、山形へ入る、天童(天道、天の道?)市の神町で南北に走る13号線と最上川と交差する、ここで光(ひ)と水(みず)の「ひみず、火みず」の出会いとなりエネルギーが実体化し始める、一部は波動となって朝日岳を超えて大きく開けられた口から西へと放たれる、「唸り、うなり、有成り」である。
また、変換されたエネルギーの一部は最上川の水にとけ込み大地を潤す、下流に流れて日本海へと注ぎいずれは世界の海へ、そして水の循環をもたらし生命を支えている。

神町、山形空港周辺には「天童神社」があり、付近には「成生」や「若木」の地名も観られる、地名って面白いですね。

ちょっと待て、キリストとは「父なる愛の力を実体化させる働き」である、何やら似てはいないか、もしかして「山形県の形はキリストの働きを模した横顔」なのだろうか、山形県、「やまがた゠や(人)ま(真)型、人の本当の姿゠人は神様の生宮、人と神様が一つになる過程」とも思えて来る。

何気なく住んでいる山形県であるが、「ホツマツタエ」や「日月神示」、「聖書」「心身の神癒」を読んでいると随分とユニークな場所に思えてくる、以前は何にも無い過疎の町と思っていた田舎がとっても素晴らしい可能性を秘めた場所に見えてくるではないか、ここがもしそうなら世界(地球)はもっと素晴らしいに違いない。

久しぶりに同級生に合って話したのだが、話は宇宙人に及んだ、観光関係の仕事をしている彼の話を聞いていると、まるで彼は「宇宙から地球に観光に来てみたら地球はとんでもない事になっていた、今ならまだ何とかなりそうなので何とか地球を素晴らしい星に出来ないものだろうか」と思っている宇宙人の様でもある、地球旅行が驚きに満ちている様にするために宇宙での記憶は消されていて成長、経験しながら思い出してくる様になっているのだろうか。

今年の五月病、仕事にはきついが何だか面白い。
いつもお世話になっている方のブログで、東北と横顔が記事になっていました、そう言われると私が住んでいる山形県が思い浮かびます、山形県の形が人の横顔の形をしているのは小さい頃から知っていました。
「日月神示」や「ホツマツタエ」を読むようになったある日、改めて見てみるとその形だけではなく山の名前や地名までもが何やら意味の有る(先人達も無闇に付けた訳では無いと思う、私が知らないだけ)様に思えてからは地元に対する想いも変わって来た様な気がします。

このブログも、そんな思い付きを勝手に膨らませて書いて来たものなのですが「本当に偶然なんだろうか」と思うような事が色々とあるものです、何か謎解きをさせられているみたいであっという間に何年も過ぎてしまいました。

家庭菜園の備忘録として始めたブログが、いつの間にか宗教やスピリチュアルな話題になってしまったり、今振り返ってみると色々な事が有りました。

急な話ですが、今菜園(EDEN)になっている場所を地主さんに返す事になりました、家の近くに新しい場所が用意出来そうな計画も有ります、来年はどのような形で菜園がスタート出来るのかわかりませんが2012年を境にして新天地へ移る様な流れになって来ました、これも不思議なタイミングですね。

まあ私の勝手な見方では有りますが、「東から入って西へ広がる山形県の不思議な横顔」です、昨年の3月11日は津波のエネルギーもここを通ったのでしょうか、偏西風の影響で、黄砂や風などの物理的な質量が西から東へ流れているのに対して、東から西へ向かう言葉や眼光は、意味があっても捕らえ所の無い「働き」です、面白いですね。

人類がその歴史の中で、東の果てに求めたものとは一体何だったのか、神話は新しい世界(自然)の見方を教えてくれるのかも知れません。感謝
東日本大震災、被災した方々の安否と一日も速い復興をお祈り致します。

「うきたむ再考(最高)」と題して「ホツマツタエ」「日月神示」を学びながら自分の住んでいる地域の再確認をしてみる試みを行ってきた、研究者ではない私の知識では思い付きにすぎないのだが今回の地震とこの二つの「書物」の関係は単なる偶然とは思えない処がある。

今回載せた画像は、以前記事にした内容を地図にしてみた物である、細かい部分はかけないが大体の感じは掴めると思う。

http://samidare.jp/shibuchin/lavo?p=log&lid=160689

今回タイトルにした「高天原と艮の金神」は共に「東北地方」繋がりが有りがある、あくまでも個人的な思い付きの範疇を出ないので「村おこし物語」みたいなもとして読んで頂きたい。

しかし、みればみる程「山形県」の形は意図的と思える程人の横顔に似ている、県の形を決める時に何が有ったのだろうか。
そして「日高見」東から差し込む光が「国道48号線」を通って「東根市神町」で「国道13号線」と交わっている、一方は最上川を下り酒田から大陸へ向かって「目の光」として発信されている、もう一つは「朝日岳」で声となりこれもまた大陸に向かって発声している、多くの人びとが「極東」に何物かの意識を感じた事と何かしら関係が有るのかもしれない。


「ホツマツタエ」では、日高見の聖地「高天の原」は、一節では宮城県多賀城市周辺に有った可能性が有ると言われている、天界、さごくしろの宮にまします四八の言葉の神々と交流を行い、天界の高天原と日高見の高天原を結ぶ役職が「タカミムスビ」である、イザナミの神はクニトコタチの血筋の五代目タカミムスビの神「トヨウケ」の娘にあたる。
今回の地震で最も被災者の多かった宮城県塩竈市と多賀城市は隣接している。

「日月神示」に出てくる「艮の金神」は、クニトコタチ(ソサノオ)とも言われていて、この地上界を作り治める神であるが、他の神々の勘違いから厳格な方針が反感を買い「艮の方角、東北地方」に一時的に隠居させられている、らしい。
今の世の乱れは、勘違いにより正統な神々を力で抑え込んでしまった価値観によるもので一時的に良く見えてもいずれ立ち行かなくなるらしい。

この様に「ホツマツタエ」と「日月神示」の間は「東北とクニトコタチ」繋がりになっている、以前の記事で「日月神示が神でホツマツタエは妻、二つは夫婦繋がり」と書いた事が有ったが、ここにも似た様な関係が有る。
「ホツマツタエ」は最初の人間「アメノミナカヌシ」からずっと人の歴史として物語が書かれている、クニトコタチも実在した人らしい。
「日月神示」は日本の大地そのものが「クニトコタチ」の肉体とされている、日本人にとって大地(自然)は親であり神と同義でもある。

何をどう勘違いしたのかと言うと、これがとっても重要な事なのだが、これは今風に言うと「自然観」と言うか人と神の関係と言えば良いのだろうか?当たり前と言えば当たり前の様でちょっと違うと言えば違う様な、ある意味善かれと思っていた事が実は、とも言えない事も無い内容だ。
これは、人(生物)が「中間者、無と無限の間のある範囲内でしか存在できない体を持つものとしての宿命」によるものであり感覚的に「絶対値よりも相対的な違いに対して敏感な感覚を持つ傾向がある」事に起因するものとではないだろうか、簡単に言えば「人とは、ある基準を持ちながら比べたがる性質を持っている存在」なのだろう、この事は、生物が自然の環境下で自立して個体を維持する為に必要な機能である。

勘違い其の一、二元論?「物事には清いもの(真、善、美、愛、、など)と濁ったもの(嘘、悪、醜、が有る」
これはある物事の状態を示しているだけであり、本来はどちらが良くてどちらが悪いと言える様なものではないはずなのだ、言い換えれば「中間者としての人にはそう見えてしまう」としか言いようが無いのだろうか。
「日月神示」では「天が下に積もりたものを他の神々が積みを罪と勘違いした」とある、これだけ読んでは何の事か分からないのだが「ホツマツタエ」で「アメノミナカヌシ」がこの世界を生み出した時に「軽く清らかなオ(オは男、陽、精神に対応、夫)の気が上に登り天(あめ)が出来て、重く濁ったメ(メは女、陰、体に対応、妻)の気が積もって地球(くにたま)が出来た」と有る。

この事は現代の価値観にも思い当たる事が有る、例えば「精神は尊く肉体は悪である」この考えから「男尊女卑」に繋がっているとしたら歴史的紀元はかなり古いものと言える。


勘違い其の弐、天罰とは?「天災で人が死ぬのは神の怒りなのだ」
「日月神示」では、これが中々厄介なのだが「天災(自然災害)を神の怒りと勘違いした」とある、長い間日本は地震を始めとする自然災害に見舞われて来たと思う、今回の東日本にも過去に津波に合った痕跡が確認されている。
「日月神示」における自然災害は、今風に言えば「生命体としての地球の新陳代謝の一部で、人が時々便所に行く様なもの」と言っている、言い換えれば「人の目から天災に見える自然現象は、長い目で見れば生命の維持に必要な変動であって神に悪意がある訳ではないのである、そこの処は分かって欲しい」と言った感じがする。
基本的には、神は命を生かす為に日夜働いて居り、なるべく大難を小難にしようとしていると、人もそれに習って長い目で見て良くなる様に、天に石を投げて自分に落ちてくる事の無い様に暮らしを整えて欲しいと言っている様だ。


艮の金神(クニトコタチ)が隠居させられた理由はたとえ話で言うとこんな感じである。

ある処に小さな村が有りました、村には立派な村長と村人が住んでいて村は平和な暮らしを営んでいました、処が近頃人口が多くなり今までの生産では十分な暮らしが出来なくなって来ました、そこで村長は今までの暮らしを見直し、多く持っている者は分け合う事、無駄を無くし節約する事、自然を壊さない範囲で生産性を高める事を提案しました。

しかし一部の村人達は反対して村長を辞めさせてしまいました、そして彼らが行った事は今までの村の掟「自然の再生力を超える生産はしない」をやぶり共有地の森を切り開き、必要以上の魚を捕ってしまいました、村は一時的には豊かになり皆以前より贅沢な暮らしができ人口も増えました、しかしいつ頃からか山は荒れ、畑は痩せ、魚も思う様に採れなくなってしまいました、さてこの村の将来はどうなるのでしょうか。

例えば、身近な所ではこんな話に近い気もします。
ここに1億円の貯金が有ったとします、現在の金利は年5%とすると一年の利子は500万円になります、だいたい日本の平均的な年収と言った処でしょうか、ある時近所の人が家を建てました、自分も家を新しくしたいと思って考えました、良いアイデアが思いつきました「一億円も有るんだからこれを使えば良いではないか」と、取りあえず3500万程使って家を建てたのです、さて気が付いてみると500万円有った収入が325万円になりました、新しい家は水洗トイレやオール電化で暮らしやすくなりましたが325万円の収入では生活できません、取りあえず貯金が亡くなるまでは大丈夫ですが後はどうなるのでしょうか。
人類が、自然と共生するには「利息で暮らす、再生産の可能な範囲で生活する」必要があるのかもしれませんね。

まるでイソップ童話の「金の卵を産むガチョウ」みたいな話になって来ました、今回の地震でこれからの暮らしを考えるとこんな童話を思い出しました。






今頃に満開になっている桜を見つけた「冬桜」という品種があるらしい、パラパラと枝に咲いているのは見た事が有るが、木全体に咲いているのは初めてだ、ここにある二本ともあまり大きくはないので最近植えられた物だろう、しかし右の桜は気が付いた時から半月以上咲いている、初雪が降り霜も降りたのにたいしたものだ。

近頃はめっきり寒くなってきた、強い霜が降りた後は霜に弱い植物は一気に凍死してしまう、しかし何度も霜に会いながら成長する野菜も有る、厳しさに耐えて甘みが増して美味しくなる、人と食べ物の関係は実に不思議である。

Oyajiが珍しいものを取ってきた「つちあけび」である、3歳になる息子は「ウィンナー」と言っていたが実に良く似ている、焼酎に漬け込んで強壮剤になるらしい、どんな味がするのか楽しみである。
EDENには時々Oyajiなる人物が出て来るが「母ちゃん」もいる、もちろん管理人の母親の事である、自宅近くの小さな畑で野菜と花を世話している、冬になると数十個の鉢植えを寒さから守り花を咲かせている。
EDENでは主に野菜を栽培しているのでこの時期の花と言えば菜の花くらいでかなり寂しい、しかし家の周りは色とりどりの花が沢山咲いていた、その中から幾つか紹介したい、が名前は知らない、ごめんなさい。母ちゃんいつも有り難う。感謝
この間までつぼみだった水仙がいっせいに咲き始めました、今まで毎年見ていたはずなのに、こんなに色々な種類が有ったのには気が付きませんでした。
ここには近所で見つけた種類だけですが、探せばもっとあるのでしょうね、一重咲き、八重咲き、中央部分の長いもの、短いもの、色の濃淡の組み合わせも考えるとまだまだありますよ。
EDEN〜もうすぐ水仙が咲きそうです!