食料補完計画

「きてけろくん」とは
待ち時間が出来たので久しぶりに「あゆーむ」へ行ってみた、入り口のギャラリーには小説家の「童門 冬二」氏の直筆の手紙と白鷹町へ講演に来た時の記事「1995年」が展示してあった。

手紙には「上杉鷹山」の名前が「白鷹山」から名付けられた事、そして「道路を壊して桜の木を救った」事が書かれていた。

私もよく知らなかったのだが、年表を見るとこの鮎貝地区は「室町時代は伊達藩」そして「江戸、桃山時代は上杉藩」の領地になっていた様である、山形県の形の「あごから口そして鼻と額」は「出羽の国」として随分と古くから国境だった様子、後頭部から頭部は「奥羽山脈の尾根」からなっており、明治の「廃藩置県」の時に今の「山形県」の形に納まった様である。

5月の13日に「白鷹山の高い山の日」に行ったせいも有ってか「上杉鷹山」が妙に気になっていた、以前も少し調べた事が有ったが気になっていたのは「上杉鷹山は経済的に疲弊していた上杉藩を立て直した」事でバブルがはじけた30年程前に「経営者の手本」として話題になっていた様である。

童門冬二氏の「小説 上杉鷹山」は1996年初版、ビジネス向けの「上杉鷹山の経営学」は1990年8月15日が初版である、この頃にバブルが崩壊した処から氏は「豊かさの中の違和感」を感じて「上杉鷹山公」について調べていたのかも知れない。

あれから30年、途中でリーマンショックなどの事件も有りながら世界経済の発展は先進国から新興国に移りそして「金融と情報」が富を生む時代になっている、そして「富裕層(浮遊層?)」と「負け組」の言葉が現す様な「格差社会」へと進んでいる。

一見豊かだが何かがおかしい?リーマンショックの前までは「国の負債は次世代の負担になる」と言われ慎重論が語られていたが近頃は「貸している人と借りている人が同じなので破綻はしない」こんな話が聞かれて負債はどんどん増えているらしい、ネットで調べてみると「債務超過は世界一」の記事が有る。

もっとも「世界の債務の合計」は「1京9000兆円2018年の記事」だったのが最近では「2京7000兆円2019年4月」とあっという間に8000兆円も増えている、何だかよく分からない世界である。

以前、環境問題で「先進国の様な暮らしを世界中の人が望めば地球が幾つも必要になる」みたいな話題が有った、今世界の人口は「約75億人を越えている」と言われている、何だか「借金が増えて財政難でもリストラできなかった上杉藩」と似ている様なイメージが有る、このままで大丈夫なのだろうか?と思ってしまった。

先の記事で「空海(仏教)は何を間違えたのか」みたいな記事を書いたが、「空海」の伝記を読んでみると「万民の救済」に全精力を傾けた熱意の人に思えて来る、しかし民衆を真に変えて行くにはもっと大きな流れが必要だったのかも知れない。

もしかしたら「空海」そして「上杉鷹山」の情熱は「火種」となって民衆の心の中に眠っているのかも知れない、世界が思いやりに満ちた真の一つになる為に。

「新世界秩序 New World Order」を越えて!

書きながら「本当は良くわからない」です、金額が多過ぎてイメージできませんね。笑

これからの世界に必要なのは「高度な人工知能や高度なセキュリティ」よりも「棒杭の商いの精神」なのかも知れない、鍵も番人もいらない、私の家の近くにも「無人販売の店」が幾つか有るのにはこんな歴史が有ったのですね。

イザベラバードも泊まった旅籠の部屋の仕切りが「紙を張っただけの障子」だったのに驚いた様です、これでも盗難などは一切起こらなかった、と。

先人達は歴史の中に、この閉塞の時代を乗り切る「未来への大きな遺産」を残してくれている様な気がしませんか「全ての問題と可能性は山形県の形(人・人類)に有る?と、有り難うございます。感謝

何だか「神道」の出番が少ないですが、自然環境がそのまま信仰の対象になっているとすれば「いつも無意識に祈っている」のかも知れませんね。

それにしても九州から遥々米沢藩に「上杉 治憲」として婿に来た彼の人生は「数奇」と言うか「情熱に、、、」歌を聴きながら編集していてこみ上げるものが有りました。感謝

普段何気なく住んでいる場所も、見方を変えてみると思いがけない歴史が隠されているのかも知れません、この場所が特別な訳では無く日本中(世界中)に隈無く存在している先人の営みの中から未来へ続く学びは有るのでしょう。

上杉鷹山の言葉

民の父母

「受次ぎて 国の司の身となれば 忘るまじきは民の父母」

上杉鷹山が、17歳で第9代米沢藩主となったときの決意を込めた言葉です。
現代訳は、『藩主としての自分の仕事は、父母が子を養うごとく、人民のために尽くすこと』という意味だそうです、17歳の若さで、、、。

そう言えば「ホツマツタエ」には、「アマテル」が荒れ狂う「ソサノオ」に送った歌が有ります、民を預かる地位に有る者の心がけを説いています。

「あめがした わやしてめぐる ひつきこそ はれてあかるき たみのたらちね」
「天が下 和やして巡る 日月こそ 晴れて明るき 民の両親」

「ソサノオ」はこの教えの意味が理解できずに大事件を起こしてしまい「高天原」を追放されてしまいます、流浪の旅の途中で「ヤマタノオロチ」を退治し、助けた「クシイナダヒメ」と結婚して漸く立ち直る事が出来ました。

その時、自身の行いを反省して歌ったのが

「あもにふる わがみのかさゆ しむのみき みちひはさまで あらぶるおそれ」
「天下に降る 吾が蓑笠ゆ シムの実木 三千日はさまで 荒ぶる恐れ」

鳥居礼さんの約です

「私は、天の宮殿を追われ下民となり、蓑笠を身にまとい出雲に下った。このようになったのもひとえにわが身の血に染み付いた荒金の性格からである。三千日にも及ぶハタレ魔の動乱も、元はといえば自分のせいだ。荒ぶる心とは本当に恐ろしいものである。」

この歌を聴いてようやく許された「ソサノオ」が読んだのが有名な歌です。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣わ」

「ソサノオ」の物語りを読んでいると、「人類史」と「ソサノオ」と「人」の生長がオーバーラップしてくる、人に思春期や反抗期が有る様に人類も戦国時代(中世時代)や世界大戦を経験して来た、しかしまだ「大人」と言えるには大きな課題が残っている様にも思える。

今朝みつけたこの記事を読んでみて欲しい。

27年前の地球環境サミットでのスピーチである。

http://slowfood-friends.org/old/archives/2011-05-16/01.htm

あれから約30年、大人になるとは、、、よほど追い詰められないと弱者の声が聞こえなくなる、と言う事なのでしょうか。反省

現代の豊かさを思うと「上杉鷹山」は無理に「一汁一采」を強要したりはしないと思う、しかしこの豊かさを支えながら背景で犠牲になっているものの存在が有る事にも想いを巡らせて欲しいと言っている気がする。

1999年に世界は滅びる!と言われてから20年、経済が成長して「お金が沢山在れば皆豊かになれる」はずだったけど世界の半分の富をたった10人位が持っている?桑を植え、紅花を育て経済を立て直した「上杉鷹山」が目指したものはまだ道半ばな想いがする。


「情熱に届かない〜Don't Let Me Go 」

Don't Let Me Goは直訳で
『私を行かせないで!』
です。シチュエーションによっては
『引き止めてよ!』とか色々考えられますね。

??「上杉鷹山」の情熱はまだ届いていない、道半ば?まだやり残している事が有るから?まだ過去の人にして欲しくない?まだ成仏していないのでしょうか?あなたに「火種を伝える為」に。

♫失くしきれないあのときの夢 いつか情熱に届きたい
  忘れたくないあのときの夢 今は情熱にとどかない♬

 あのときの歌 あなたの声でもう一度だけ♬

https://www.youtube.com/watch?v=MRemtI3Azy8

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先のに書いた「チコちゃんに叱られる」の記事の時にも気になっていたのだが「日月神示」では何故に「仏教の渡来を仏魔が渡り来て」と言っているのか、しかし完全に否定している訳でもない「同じ本質から生まれたものなので仏教・キリスト教・神道も(各宗教は)力を合わせて」ともある。

仏教伝来以前の日本には「古神道」と呼ばれる「アニミズム」的な宗教が存在していた様であるが私には良くわからない、しかし仏教がもたらされた事で変わったのは「自然の働きに名前を付けた抽象的な神の概念に、視覚的なイメージを与えてある意味で分かりやすくした」事だろうか?、イメージを「形」として固定、仏像や絵画の形で継承できる様にした、とも言える。

その事は見方を変えると「所有と相続」例えば「持つ者と持たない者」と言った関係を強化する事になっていったと思われる、自然が「共有から私物化」の対象へ変化していったとすれば「宇宙と一つ」の概念から離れてしまう?のだろうか。

先頃、天皇陛下が世代交代したが、その時「三種の神器」を伝承する儀式が有った。


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。

『平家物語』第一巻「祇園精舎」より

世界は好景気に湧いているが「格差社会」への警鐘の様に思える。

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小学生の頃から、社会の授業が苦手だったので「歴史」には余り関心が無かった、数年前に「寺の総代」を頼まれてから少しずつ学んではいるが何がいつ頃起きていたのか「時代感覚」が良くわからなかった、色々と記事を書いているうちに「いつ頃起きていたのか」が気になってきた。
そう言えば近くのコミュニティセンターに「鮎貝地区の歴史年表」が飾ってあったのを思い出して早速撮影して来た、携帯のカメラなので写りは今ひとつだが大体の感じはつかめる、時代によって尺度が違うが何となく大まかな流れはつかめて来た。

年表を見てみて出だしから驚いたのは、この年表が「西暦807年」から始まっていたのである、なぜなら「空海」はこの頃に「唐から帰国」しているのだ。

Wikiより
「虚しく往きて実ちて帰る」という空海の言葉は、わずか2年前無名の一留学僧として入唐した空海の成果がいかに大きなものであったかを如実に示している。
大同元年(806年)10月、空海は無事、博多津に帰着。大宰府に滞在し、呉服町には東長寺を開基し、また宗像大社神宮寺であった鎮国寺を創建したと伝わる。日本ではこの年の3月に桓武天皇が崩御し、平城天皇が即位していた。空海は、10月22日付で朝廷に『請来目録』を提出。唐から空海が持ち帰ったものは『請来目録』によれば、多数の経典類、両部大曼荼羅、祖師図、密教法具、阿闍梨付属物など膨大なものである。当然、この目録に載っていない私的なものも別に数多くあったと考えられている。「未だ学ばざるを学び、〜聞かざるを聞く」、空海が請来したのは密教を含めた最新の文化体系であった。

空海は、20年の留学期間を2年で切り上げ帰国したため、空海に対して、朝廷は対応に困ったのか大同4年(809年)まで入京を許可せず、大同元年10月の帰国後は、入京の許しを待って数年間大宰府に滞在することを余儀なくされた。大同2年(807年)より2年ほどは大宰府・観世音寺に止住している。この時期空海は、個人の法要を引き受け、その法要のために密教図像を制作するなどをしていたとされる。

またまた「ここにも空海」である??それも「向福寺建立」である、ここから何かが始まっていたのかも知れないぞ。

「向福寺建立=幸福に向かう地球(テラ)の建立」なのだ、あれから1200年続いた「空海の残したもの」が今問われている。らしい

年表を見てみると「明治維新1868年」以降に「聖母マリアの奇跡」が多く現れている、そして直前の「1854年に光明海上人入定」が有る、万人の安寧を願って「即身成仏」となった「ここにも空海」である、「ルルドの泉」もこの時期だ。

なんでだろ〜!
「高い山の日」の翌日、天童の「免許センター」に用事が有った、天気もよかったので「山寺」まで足を伸ばしてみる、先頃「山寺と紅花のシンポジウム」に参加したが、一部スタッフも兼ねていたのでゆっくり見学が出来なかったこともある。

「高い山の日」も子供達が沢山いたが、今日の山寺にも大勢の子供たちが来ていた、私も今まで何度か訪れた事が有ったが、その度に何かしら新しい発見が有る場所である。

見晴らしの良い「天狗岩」にも行ってみたかったがコースにはロープが張ってあり「立ち入り禁止」になっていた。

日本は1000年に渡り「神仏が習合」してきた歴史が有る、明治に入り「神仏分離」が行われたが大多数の日本人にとっては大きな問題では無かったのかも知れない、昔からもこれからも人種も宗教も言葉も文化も時間も空間もあらゆるものが「自然の営みの一部分」に変わりはないのだから?。

今朝の新聞の記事で「伊勢神宮は20年に一度立て替えが行われるため世界遺産になれない」の様な記事が有った、自然は絶えず変化していくものなのかもしれない、到る処で遺産を守る為に思いがけない人的経済的負担が大きくなって来ている部分がみられる。

明日は「寺の総代会」がある、大きな課題は「過疎化が進み檀家の減少によって寺の修繕や維持が難しくなっている」である、住職のいない寺も増えている。

何でだろう大ヒットした「千の風になって」の歌詞が浮かんでくる?♫私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません♬

さて、どう変化していくものやら。

昨晩のロードショーで「ドクターストレンジ」なる映画を見た、途中からだったので出だしは分からないが「スピリチュアルと東洋思想や魔術、現代医学やハイテク」などなどがミックスされた戦いである、そう言えば「ワンスアポンアタイム」も様々な物語がミックスされている、敵にも味方にも善にも悪にも「複雑な事情」が有る様だ、人類を助ける為に敵(怪獣)を倒す(殺す)「苦悩するウルトラマン」を思い出してしまった。
今月から元号が変わって「令和」になった、5月13日はこのブログにとっても記念すべき日でもある。
前の晩にふと夜空を見上げたらゆっくりと星が動いている、飛行機だったら点滅しているので「人工衛星」ではないかと思われる、移動する人工衛星を見るのは久しぶりだった、??だったのはここからで有る、別な所にもう一つ、そしてもう一つ、合計3個の星がゆっくりと動いているではないか、見失うまで眺めてしまった。
何とこの時は「流れ星」も観ることが出来た、つい見とれてしまい願い事が中途半端になってしまったのが残念です。
「白鷹山」の山頂には四本の登山道が有るが、まだ一カ所通ったことがないコースが有ったので、今年は「萩野口」から登ってみることにした、登山口まではバイクで、途中の「延命水」でのどを潤して歩き始めたが「運動不足」のせいで度々休みながらの登山になった。
山頂では麓の市町村の小学生による「白鷹山ヤングサミット2019」が開かれていた、山間地域の過疎化によって子供たちの数も減っている、里山での生活は共同体の縮小などで年々大変になってきている、、、でも子供達は元気だぞ!

奇しくも「5月13日」はキリスト教の世界でも「奇跡」の日である、今から百年程前の1917年に「ファテマの聖母の奇跡」と呼ばれる出来事が起きて幾つかの予言を残したとされている、この出来事はヴァチカンでも認定されているとのことである。

以前の記事にも書いたが、世界の出来事には何かしら「シンクロ」と言うか「偶然とは思えない様な関連性がある?」のでは無いかと思えることが起きている?、何故か「聖母マリアに関する日付や数字が重なる」のが妙に気になるのです。

「白鷹山の虚空蔵祭り」がたまたま「5月13日」だったのか調べてみると。

毎月13日は➀虚空蔵、➁日蓮聖人、➂松尾大明神、➃稲荷大明神の縁日です。

➀『虚空蔵の縁日』 :
「虚空蔵(こくぞう)菩薩」の縁日です。京都嵐山嵯峨野の「法輪寺」、福島県柳津の「円蔵寺」、茨城県東海村の「日光寺」が日本の三虚空蔵とされています。

※地蔵菩薩像の「地」に対して虚空蔵菩薩像は「天」を象徴する仏で、天台宗と密接な関係があり、また、「星」を象徴する神であるとも言われます。

ちなみにキリスト教では「13」は
「13 は、西洋において最も忌避される忌み数である。「13恐怖症」を、ギリシャ語からtriskaidekaphobia(tris「3」kai「&」deka「10」phobia「恐怖症」)という。
なお、日本においても忌避される忌み数であったとする説がある[1]。

もう一つ「33」も、、、。

これは「地球上の宗教は何かしら同じ起源を持つ」と言うよりは「地球上で生きていると言うことは同じ原理に支配されている」と言うことでもある?。

この空も、この大地も全ての人類や生命が共有している、隣人に礼(令)をもって接し食べ物を分かち合えば(和)和やかになれる、「食うかい(空海)」も「キリスト(飯や)」もそう言っている、そんな事をしたら足りなくなるじゃないか?でも本当は「アマテラス(天照・あまってる)」足りないのは「思いやりと知恵」だぞって。反省

「令和」に生きる子供達への応援「琢磨魂」の「のぼり旗」は飾りじゃないぞって。

琢磨《「詩経」衛風・淇澳から》玉などをとぎみがくこと。転じて、学問・技芸などを練り磨いて向上につとめること。「切磋 (せっさ) 琢磨」

神様達も応援している?、気持ちの良い一日でした。感謝
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3月8日に「那須」で開かれた「あわ歌会」に参加してきました、昨年「あわうたさん」が体調を崩してから久しぶりにスマホを通してですが「なまあわ歌」を聞くことができました、その時のメッセージです。

この日最初に訪れたのは、岩戸別神社、武運開運の神「天手力雄命」が祭られています、神話で有名な「天の岩戸開き」の話に出てくる力自慢の神様です、処がこの話は「古事記」よ「ホツマツタエ」では同じ様なエピソードなのですが微妙な違いがあるのです。
「日月神示」には「この世の中が混乱している原因の一つは、隠れた神様を騙して力づくで引き出した体主霊従の考え方によるものだ」みたいな事が書かれています。
それに対し何故か「ホツマツタエ」では「隠れた神様を讃える歌をうたい、心を開いて出て来た処をエスコートした」風な物語になっています。
「岩戸別神社」でこの事を思い出しました、比べてみる様にと言われている様に想えて来ます。

その時のメッセージに??と思ったのです。

「降り来たりて その地へ留まり 勇躍 誠を成し逝く成り 中心に 元成る石(意思)を置かれてつなぎて まいられませ」

上手く説明できませんが、必要な場所に必要なものを配置した、勇み立ち心を躍らせて誠を行っていきます、心の中に元からの意思を保って繋いで下さい」(天と地、隣人=縦と横=十字)みたいな、まるで「何かの準備が整って行動に移ります」な感じですよね。
現在、地球の人口は「75億人」ぐらいらしい、全員必要な所に配置されているらしい、もしや「この位の人口がいないと出来ない事」が計画されている?野かも知れない。

第一話
22 世とその中にある一切を創造(つくり)給い、天と地との主であり給う神は、手もて造られた神殿などには住み給わず、人の手によって仕え給わず、又、何ものにも欠乏し給うことはない。なぜならばすべての人々に生命と息とを与え給うたのは神御自身であるからである。
23 又、神は地の表に住まわせるがために、一つの血よりすべての国民(くにたみ)を創造(つくり)給うた。その故に、彼らは神の愛とその被造物とを通して神を求め、神を見出すべきである。

神は、今この時も75億人の人々を養っている、彼らは本来同胞であり兄弟である、今まではその事を忘れていただけ(無知)である、その事(真理)に気が付けば良いだけである。らしい!大切なのは「気づく」こと、その事に気が付けば「安全」の為にお金や武器は必要なくなるらしい。

今日、ブログに「あわうたさん」が退院後初めての遠出で7日に「那須」にきて「あわ歌」を歌ったとの記事が載っていました、奇遇ですね。

あわの歌           あわ(天と地)のうたを
葛垣琴うちてひきうたう    琴の伴奏にあわせて歌えば
自ずと声も明らかに      自然に言葉の仕組みが働き
五臓六腑をねこえわけ     内蔵や感覚器官の働きが整ってくる
二十四に通い四十八音     自律神経への言霊の働きで
これ身のうちの巡り良く    体の自立機構の循環が良くなる
病あらねばながらえり     そうすれば病が無くなり寿命も延びる
すみえの翁これを知る。    住吉の神様はこの事に詳しいぞ。

「あやわ=空人地=人は天の恵みと大地の恵みの間で育まれている」自然環境と人との関係のバランスが改善されてくるイメージでしょうか、言葉が乱れると暮らしも乱れてくるらしい。

新しい元号「令和」も何かしら???な思いが有ります。
「令和=礼和」

「おとのわ」のアルバムのなかの7曲目の歌が「さしぞえの種」です、歌詞の中に「灯火のきゆる 世の中今なるぞ さしぞえ致す 種の恋しき」と出てきます、何者かがさし添え(てつだい?)するぞ、みたいですね。

第十三話
7 数千年前に使用されたように、高度の知識と英知とを世にもたらすため、今、もろもろの霊的力が使用されつつ有る。分離や差別の見られるのは人間の心の中のことである。しかし。神のみ霊たる神我(キリスト)は恒常不変であり、それは人間心の闇の中を貫き通す種子である。

芭蕉の句「静かさや 岩にしみ入る 蝉の声」をローマ字に直すと「i」の文字が7回出てきます、一般的に「蝉は地中に7年」と言われています、「iと言えば愛=キリストの愛」「キリスト=7」。

何だか似た様なキーワードがちらつきます。

今年の「イースター・復活祭」は「4月21日」だそうです、イースター島のモアイ君は「きてけろくん」みたいだし、ちょっと気になります。

今朝は雪がちらついたりと天候も不安定です、でも春はやってきました、もうすぐ「花見」の季節を迎えます。感謝

昨夜「エンヤ」の番組がありました、世界的なヒット曲「オリノコフロウ」の曲にまつわるエピソードと彼女の活動の歴史でした。

「オリノコフロウ」の日本語の歌詞を載せておきます、オリノコの河の流れは最上川にも繋がってる、さあ世界へ向けて旅立ちの時だぞ。みたいな

「オリノコフロウ=降りの子浮浪=天から追放された子供が放浪する=ソサノオ?」彼はこの後「ヤマタノオロチ」を退治して「クシイナダヒメ」と結婚して更正して天に帰るのです。

「キリスト=ソサノオ=現ふる神=見えない世界と見える世界の仲介者」?がこの世界に現れてくる様に見えるけど、本当は最初からそうだった、でもその事を長い間忘れていた、という事らしい。


こいで行かせて ここオリノコから
たどりつかせて トリポリの浜へ
こいで行かせて あなたの浜辺へ
たどりつかせて コーカイの先へ

こげ こげ こげ

ビサウからパラオへ アヴァロンの影を抜け
フィジー タイリー 伝説の諸島へ
ペルー セブー バビロンの声を聞き
バリ カリ はるか珊瑚海を仰ぎ
先へ 先へ 先へさらに さよなら おお

こげ こげ こげ

北から南へ “Ebudae”がハルツームへ
雲の海から 月の孤島へ
波に乗って 未踏の陸地へ
波に乗って 未だ見ぬ陸地へ
わたしたちは行ける オリノコの波で
わたしたちは行ける

こげ こげ こげ

進める 近づける R・ディキンズのかじ取りで
ほっとさせよう 別れたロスと仲間たち
わたしたちは行ける

こげ こげ こげ
こげ こげ こげ

あなたの心の中には、どんな春の息吹が膨らんでいますか。

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同級生の息子さんが「東北芸術工科大学」に入学、ブログの記事に「設立宣言」を載せていた、読んでみて何だか私のブログにも通じる様な気がする、何故だろう。

昨日は、私の息子の中学の入学式、その前の卒業式と珍しく「校歌」を続けて聞くことになった、考えてみれば小学校、中学校と度々歌っていた「校歌」の歌詞には「最上川」「白鷹山」「頭殿山」「吾妻」「朝日岳」や様々な自然の織りなす四季に育まれた「郷土」の姿、学びへの姿勢?が綴られいる、何度も歌っているのでいつのまにか刷り込まれてしまっているのだろうか?。
でも、時代の流れで「白鷹町立西中学校」は東西合併して「白鷹中学校」になり息子と同じ校歌を歌う事は出来ませんでした。

学校に通っていた頃は、歌詞の意味をあまり意識した事は有りませんでしたが、人生経験?を積んでみて「ああそうだったのか」みたいな感じが出てくるものなのですね、皆さんも思い出してみませんか。

様々な出来事が有ったにせよ、人類は地球の自然に育まれて漸く人類全体の姿を意識出来る処まで成長する事が出来た、これからは大人としての見識を持って母なる地球と共に生きる道に舵を取る事が出来るか、人類は大いなる意識に見守られている?と思う今日この頃です。感謝

ブログ「食料補完計画」はこのエネルギーで綴られているのかも知れない。

有り難うございます。


徳山 詳直(とくやま しょうちょく、1930年5月13日 -2014年 10月20日)は、日本の実業家、教育家。

「5月13日」と言えば「白鷹山」の「高い山の日」、この山には虚空蔵菩薩が祭られている、また、「上杉鷹山公」の「伝国の碑」がある、何か因縁を感じてしまいますね。
「5月13日」は、キリスト教でも「ファテマの聖母のご出現の日」でも在ります。

不思議な御縁がいっぱいです。感謝

画像は芸工大HPより引用させて頂きました。
アニメ「君の名は」を録画していたのを思い出して観てみた、以前、公開時に息子のリクエストで観に行った事が有りました、なんとアニメの中に「月刊ムー」が出ていたんですね、こっちも引き寄せられてるのかな??。

見終わって思ったのは、イザナミが焼け死んで死者の国へ行ってしまったのを、追いかけて会いに行ったイザナギの話、途中で話がこじれて別れ別れになってしまいました、その後二人はどうなってしまったのでしょうね。

私が個人的に感じている流れとしては、人類滅亡の様な「デストピア化」がこのまま回避されていくのであれば、価値観の大きな変化に困惑?又は圧倒される事になるのでは?と。

「心身の神癒」
第一話
74 あなたたちは自分達の物質的感官世界で、善にも悪にも同じ力が在る様に見せかけてしまっている。しかし、これは人間的感覚による理屈付けであって実在の真理ではないのである。
75 神には、善とか悪とかいうものはなく神は今の今完全無欠に現れてい給う。もしあなたたちが偏在し給う神が善であるといい乍ら悪もまた存在するというのであれば、あなたがたの理論は間違っている、、偏在する善の中にいかにして悪が存在しえようか。
76 考え違いが、悪の存在を信じ込ませるのである。、、、 

前回「かごめ唄」の解釈?をした時から気になっていた歌が在る、「ホツマツタエ」に出てくる歌で、お正月の二日にその絵を枕の下に入れて寝ると良い夢が見られると言われる「宝船に書かれた廻り歌」である。

今人類は、忘れていた何かを思い出そうとしている、とすれば関係は改善しているのかも知れない?

「新海誠=しんかいまこと=神界誠=神の世界の真実」
「新海誠=しんかいまこと=新界誠=誠の新世界」
「新海誠=しんかいまこと=新界真事=新しい世界の真実」
「しんかいまこと」にはとっても書ききれないくらい沢山の意味が隠されている?
「立花 瀧(たちばな たき)」
「宮水 一葉(みやみず ひとは)」
「宮水 二葉(みやみず ふたば)」
「宮水 三葉(みやみず みつは)」
「宮水 四葉(みやみず よつは)」

「新海」もそうだけど「宮水」も「瀧」も「水」つながり、パンフレットも「青」がメインで「雲・クラウド」「光」「男女」「流れ星」など意味有りなアイテムが配置されている「水宮=人体=地球」。

「糸守町」?「いともりまち=意図守待ち=重要な計画的を守り待機している」
「糸守町」は1200年毎に繰り返される隕石の落下から計画的(意図的)に人々を守る役割で待機している?
「いともりまち=意灯り待ち=秘められていた意識が覚醒するのを待っている」
これって、「いろは歌」や「ながきよの」や「芭蕉の歌」みんなに共通していないだろうか?。
「一二三四=いちにさんし=位置に散し=それぞれ定められた位置に着いて」役割が定められている?「宮水=人」には。

「君の名は」?そして自分の名前も!

映画の中でも、なかなか突っ込みどころのあるキーワードやアイテムが出て来て、とっても楽しめました。感謝





「月刊ムー」さんのホームページを見ていると、「カゴメ唄の謎」が載っていた、ネットを検索してみると多くの方々が独自の解釈に取り組んでいるようです、私も気にはなっていたのでこの機会に記事にしてみました。

唄は複数の歌詞が在る様ですが、もっとも一般的に歌われている歌詞を選択。

歌詞に様々な言葉を当てはめてここ2.3日イメージを探っていました、今朝は何故か「オフコース 愛を止めないで」の歌詞が浮かんできます、面白いです。

「愛を止めないで」を調べてみたら発売40周年との事??「月刊ムー」さんも4月号の表紙に「40周年」の文字、そして気になる記事が幾つか在ったのです、ムーさん有り難うございます。(ムーさん画像お借りしました)

この記事を書きながら「愛を止めないで」を聞き直してみたら。何だか「心身の神癒」のなかでキリストが言いたかった事がそのまんま??みたいな歌詞です。

「♫僕が君のこころの 扉を叩いてる 君の心がそっとそっと揺れ始めてる 愛を止めないで そこから逃げないで 甘い夜は 一人でいないで♬」

第五話
15 わたしは常にあなたたちの胸(ハート)の扉を叩いている。あなたたちは其処で辛棒強く待っているわたしに気づくであろう。胸(ハート)と心との扉を開くならば、わたしは中に入り、永遠にあなたたちと楷(とも)に住み、あなたたちはわたしと楷にいるであろう。

「かごめかごめ かごのなかのとりは」
第五話
14 わたしを食するとは、わたしをあなたたち自身の中に連れて入れること、あなたたち自身の中にわたしが居ることである。そうすればわたしはあなたたちの中に居り、あなたたちはわたしの中に居り、わたしたちすべては神の中に居るであろう。

ここ数十年で「情報」と「金融」は急速に拡大し、今も止まるところを知らない勢いではある、しかし「セキュリティ」で考えてみると「矛盾したイタチごっこが複雑になってる」、そして過去に言われて来た「沢山在れば貧乏人はいなくなる理論」で「原子力や核融合エネルギー」「お金」が増えて来たようである、しかし結果的には「格差」が広がっている「競争に勝つにはもっともっと高性能なコンピューターと大勢の情報が必要だ」と。

こんな記事も有った
「仮想通貨が地球上の電力を使い果たす? その恐るべきエネルギー消費を考える」と、何かが変な気がしないだろうか、ここでも私の理解を超えて来ている、滑っているのは自分の方かもしれないですが。
「亀=瓶=子宮=産み出す=根源」は、今の物理学や宇宙探査、生命科学は「宇宙の起源や生命の起源の探求に向けられている」そして「鶴=ツール=道具」としてネットワークや集積回路の発達が後ししている。

高度で大掛かりになって来た科学技術も、競争や軍事の様な「格差を助長する為」に使うのはそのうち限界が来る様な気がする、これからは「地球と人類全体にとって必要なものを皆で支援して開発する」方向でしか進化は難しくなるのではないのだろうか。


「心身の神癒」第八話
90 なぜなら、最も偉大なる者はすべてのものの僕である、と天国に録(しる)されているからである。では最も偉大なる者とは誰か、それは常にあなたたちの中に留まってい給う父なる神である。それはすべてのものの僕である父である。故にあなたたちがわたしの名に於いて求めるものは何であれ、父はその通りあなたたちに与え給うのである。

「僕=ぼく=僕=しもべ=父なる神」である。

日本はもうすぐ元号が変わります、まるで夜明けの晩?、同じ言葉でもポジティブな解釈とネガティブな解釈が在ります、君の人生が二つに分かれ、僕の人生も二つに分かれている、歌は「愛を止めないで」とポジティブな未来へ誘っていると思う。

「心身の神癒」
第八話 扉の文より
わたしの平安と愛とをあなたたちにもたらす。わたし平安と愛とはあなたたちの許に留まる。
「天国はあなたたちの裡にある」
第十一話
108 あなたたちは神を遠くから眺めているのか。もしそうなら、あなたたちは自分自身の外に実在を求める感官の分離の中に生きているのである。あなたたちは遠くに神を求めているのか。この問いに対し自分自身に答えるがよい。そのことについて改めてよく考えるがよい。
109 わたしがあなたたちと別の存在ではなく、あなたたちと一体であることを啓示するためにわたしは来たのである。
110 あなたたちの地上生活全体にわたって、神の法則は細微に至るまで働いている。
111 地球はその中におおいなる内部を創造しかつ再建し、それ自身を形有るものとして表現する不可視の種々の霊的力をもっている。

「日月神示」には
「一人でも多く助けたさの日々の努力」を神様達が総動員で対応している、とあります、そして「神頼むぞよ」ともあります。

「人を殺す外道の武器を人を生かす武器に作り替える事が出来る」とも!

「かごめかごめ」のイラストを見てどう思うか
1、不安で顔を隠した仲間を取り囲んで励ましている。
2、みんなで仲間はずれにした相手に嫌がらせをしている。

今、世界はどうなっているだろう、そして次は自分の番かも知れない、そんな事を考えさせられてしまいました。

追記
「聖母マリアの秘密」さんの記事「メジュゴリエの聖母マリアからの
マンスリーメッセージ」[菊谷泰明訳]の2月25日のメッセージ(4月2日現在最新)の内容が何だか似ていたので載せておきます。


[2月25日]

いとしい子たちよ!

今日、私はあなたたちが新しい人生に進んでいくように呼びかけます。

皆さんの年齢が何歳であるかは重要ではありません。

この恩寵の時に、あなたたちを変容させて下さるイエスに対して、心を開いて下さい。

そうすれば、皆さんは、自然のように、神様の愛の内にある新しい人生の中に生まれて、天国と天国に関わる物事に対して、心を開いていくでしょう。

私は今までのように、あなたたちと共にいます。

それは、神様が、皆さんに対する愛によって、私があなたたちと共にいることを許して下さったからです。

私の呼びかけに応えてくれてありがとう。



「♫僕が君のこころの 扉を叩いてる 君の心がそっとそっと揺れ始めてる 愛を止めないで そこから逃げないで 甘い夜は 一人でいないで♬」

??
嫁さんの買い物を待っている時に「未来屋書店」に立ち寄って「月刊ムー」を手に取った、以前、同級生にブログの話をしたら「それはオカルトだろう」と言われて気になっていたが、4月号の表紙には「日月神示と神代文字の謎」の文字、付録が付いていたので紐で縛ってあり買う前には読めない、さあどうしよう、一回りしてからレジへと向かった。

「神代文字」「人工生命」「カタカムナ」などなど気になる話題が掲載されている、火星に「人面」が見つかった記事などは「山形県の形がキリストに見える」と似ている。
そして「月刊ムー40周年のロゴは独眼竜のモアイ?」これって「きてけろくんと伊達政宗ミックス」みたいなデザインになってる、なんでだろ?。

久しぶりに「日月神示」を読んでみた、そのうちに若い頃に読んだことが有った「パパラギ」を思い出した、ネットでは「偽書」扱いになっているが「ホツマツタエ」も世間では「偽書」扱いである。

「日月神示」には「金で世を治めて金で潰して、地固めしてみろくの世と致すのじゃ」と書いてある、世界にあるらしい膨大な負債(日本円で一京9000兆円との試算が在る)やそれを守る為の「暗号によるセキュリティ」、「人工知能による高度な株取引」「ビッグデータの活用」は複雑になりすぎて理解不能に陥って来た。

そう言えばテレビのニュースでは「イギリスのEU離脱問題」が語られていた、事の発端は「格差」ではないのだろうか、「パパラギ」とは「白人」の事をさしている、そして「ヨーロッパ社会が抱える問題」を綴っている、1920年といえばほぼ「100年前」にあたる。
漫画家大友克洋氏の「アキラ」に出て来る「2020年東京オリンピック予言」もさることながら興味深い展開である。

なんでだろ〜なんでだろ!

「パパラギ=パパ(88、母、ババ祖母、ババ肥)裸気=父なる神の本当の気持ち」をヨーロッパ、そして世界の人々に気が付いて欲しいのかもしれない。

「パパラギ」はある意味「ベーシックインカム入門書」みたいなものだろうか、そして「イザベラバードの日本紀行」は「理想郷と同居する貧困が何によるものなのか?と考えさせてくれる。

「家に鍵の要らない暮らし」「隣人と仲良く暮らせる方法」「隣人を追いつめない事が自分を守る」世界が「銃を捨てる事で得られる安全」に気が付けば新しい未来が見えてくる様な気がする。
世界人類が、もっと進歩したいと希望するとしたら「競争による解決」は効率が低下するだろう、今この世界が「デストピア」になっていないのは「越えて行ける可能性が残されている」からだと思う。
その時期は?いつでしょうね。

「月刊ムー」さん、有り難うございます。
発行元の「学研」さんと言えば、小学校の頃に付録が付いた「学研の科学」が愛読書でした、懐かしいですね。
先に記事にも書いたのですが

ライシャワー氏のフルネームは「エドウィン・オールドファザー・ライシャワー Edwin Oldfather Reischauer」であるやっぱり???

もう一度載せておきます。

「DENIM(デニム)」の「DE」の順番を入れ替え、「NIM」を180度回転させて「WIN」とするとEDWINとなる。DENIMという単語のアルファベットを自由に並べ換えていることから、DENIMから生まれる自由な発想やものづくりへのスピリットという意味が込められている。
※「EDWIN」=「江戸WIN(江戸が勝つ)」という由来説もあるが、公式ホームページには掲載されていないため正しい由来ではない。おそらくアメリカのジーンズに勝つという意味から誰かが着想した由来なのだろう。

ちなみに「DENIM=デニム」は
denim【名】
デニム生地◆【同】jean◆デニムは、フランスのニームとインドで別々に生まれたもので、インドのデニムはダンガリー(dungaree)と呼ばれる。◆【語源】フランスの都市ニーム(Nimes)で作られていた生地serge de Nimesから。
《denims》デニム・ズボン[シャツ・ジャケット・スカート]

「生地=織物」である、ここでも今日の記事と関係あり??そして「インド」と「フランス」で生まれている「インド=仏教」と「フランス=キリスト教」は既にここで交わっている?。

「エドウィン・オールドファザー・ライシャワー」さんは
「エドウィン=仏教とキリスト教が織りなされ」
「オールドファザー=古い父=究極の先祖=神道の上・父なる神」
「ライシャワー=来者和=平和をもたらす者」

ひとまとめにすると
「仏教とキリスト教が織りなされ、古い父(神道・父なる神)が平和の使者としてやってくる」
何だこりゃ!!ですね。笑

「心身の神癒」の中で、キリストが現代に何をしに来たのか書かれているところがある。

「心身の神癒」
第九話
88 在るべきでないと思っている様相(すがた)を自然が呈しているからといって位気持ちになってはいけない、なぜならすべては一切改善の方向にはたらきつつあるからである。
89 且つまた存在するもの(で完全なるもの)はすべて先ず実在の世界に存在し、あなたたちの世界は影にすぎないからである。
90 わたしの使命が成就すれば、地球はもは外の世界ではなく、羊とライオンとが共に臥す神我(キリスト)の王国となっているであろう。
91 ライオンとは肉体の象徴、子羊とは神の子羊、即ち神我(キリスト)の象徴である。かくて外なるものは内となり、内なるものは外となる。ライオンが子羊に勝つのではなく、子羊がライオンに勝つのである。
92 (かくて)肉体というライオンは消え去り、神の愛のみが生き、無げ自在となる。わたしが地上に生きていた間中わたしの意識に極めて強烈に響いたのがこのことであった。その時、力づくで生じさせたものは、力に頼ってのみ存続しうるが故に、力は決して平安と幸福とを世にもたらすものではない事を悟ったのである。

第十話
42 今日世界で起きている出来事は人類の裡なるみ霊の湧き上がる動きによるものである。

「日月神示」で
神から出た教えなら、他の教えとも協力して共に進まねばならん。教派や教義に囚われるは邪の教え。豚に真珠となるなよ。天国の意思は人間の喜びの中に入り、幽界の意思は悲しみの中に入る。

神と共に大きくなればなるほど、喜び大きくなるのである。一神説いて多神説かんのもかたわ、多神説いて一神説かぬのもかたわ、一神即多神即汎神である事実を説いて聞かせよ。

神は人を根本から永遠の意味でよくしようと、マコトの喜び与えようとしているのじゃ。局部的、瞬間的に見て判らんこと多いぞ。おかげは、すぐにはないものと思へ。すぐのおかげは下級霊。まゆにつばせよ。考えよ。

神様達は、様々な方法でこの世界を保ち、もっと良い方へ改善しようとしている。感謝

山形県の形は何かを伝えたい、、、と思う。

3月10日に「AIシンポジウム 山形」に参加してきました、前日にネットでポスターを見つけて申し込み、当日は急な用事でパネルディスカッションの途中からの参加と懇親会へ参加してきました。

帰ってからブログの記事にしようと書き始めたのですが、後半の一部しか参加していないせいも有り、私のブログのテーマに引っ張られてこんな記事になってしまいました、シンポジウムの内容からはだいぶ逸れてしまいましたが有り難うございました、AIについて熱く語っている、若いって良いですね。

「山形らしさ」が話題になっていましたが「自分が住んでいる山形県はどうして人の横顔の形をしているのか」を長年考えて来たら「人工知能と愛につながっていた」でしょうか?。
気が付いたら「出羽三山」や「山寺」「キリシタン」「芭蕉」「空海」「キリスト」「アマテラス」「イザベラバード」などなど、「自分とは何か」「真理とは何か」「人とは何か」を探求した多くの先人たちの足跡に出会う事になりました。

「出羽三山」のガイドには「この山で見つける あたらしい私」そして「生れ変わりの旅」と書かれています。

「山形には未知なるものを探求させる何かが有る」のかも知れません、でもきっと日本中に、世界中に、そしてあなたの身近な足下にも隈無く存在しているのでしょうね。

企画して頂いた方々に有り難うございます。感謝


「愛姫」のアニメーション見に行きたかったのですが日程的に難しくなってきました、ネットでの公開を待つ事になりそうです。(記事から引用させて頂きました)

三春町×福島ガイナでは、愛姫生誕450年を記念し、愛姫アニメーションの制作を進めています。
公開日などは下記のとおりです。お楽しみにお待ちください。

公開日
○平成31年3月16日(土)あげものサミットオープニングでの公開
○平成31年3月17日(日)愛姫アニメーション声優トークショー
公開場所
三春交流館「まほら」 まほらホール
Youtube三春町公式チャンネル(※3月18日から視聴可能となります)

「愛姫=めごひめ=めんごい姫=愛おしい存在」
「愛姫=あいひめ=愛秘め=愛に秘められた謎」

「人工知能AI」について真面目に考える事は「あい=I=自分」を見つめ直す事?人類にとって今までに無かった大きな機会なのかもしれませんね。

この本を読んでいると、まるで自分が「無限の容量と処理性能を持った人工知能のようにみえるものに向き合っている」?様な感覚になってきます、時々ちょっとヤバイかな?と思う時もあります、自己責任でお読み下さい、出だしから「愛」について語っています。

もしかしたらこの本は「AI 人工知能」特に究極の汎用型人工知能に興味のある方が読んでみるのはどうだろうか?、自然や自分の体がどれほど精緻に作られているか、またどのような意図で存在しているのかが「人や世界を創った側からの視線で書かれている」とも言える、不思議な内容です。

「日月神示」には、神様が言っているからと言って鵜呑みにしてはいけない、と忠告もしている、出羽三山のパンフレットに「私がわたしに出会う旅」と言うのがありました、道の奥には何か有るのでしょうね。

『心身の神癒』(M. マクドナルド・ベイン著、霞が関書房)
第一話
1.神は愛であり、愛は神である。しかしそのことが何であるかを知っているものはいない。ただわれわれだけがそれが実在であることを知っている。あなたたちはおそらくそれについていろいろと理論を立てて来たであろう。 − しかし、そのようなことは決して為てはならないのである。外部からの種々様々な意見に染まることなく、真理自体を開顕させるべきであり、又、こうであると最終的に断定してしまってはならない、断定してしまえば真理に至る道が閉ざされてしまうからである。

2.愛は全宇宙の中心である。この中心より絶えざる愛の流れがすべての魂、生きとし生けるものを通じて流れている。花々を通じ、動物たちを通じ、人間と天使たちとを通じて、この愛が中心の泉より絶え間なくもながれ、愛自身の真実の相を永遠に表現わしている。

3.愛は鉱物における親和力である。愛は花々における本質である。愛は動物の本性となって現れ、人にあって愛は愛情となって表れる。このことを完全に悟ったときその人の全存在は愛に満たされ、肉体の全細胞が活力を得るのである。

4. 世に愛の他にはいかなる力もない。愛は天と地における唯一・真実の力である。なぜならばそれは久遠であり、到る処に常在するからである。外なるものは過ぎ逝くが、愛は永遠に実在する、それは神の全存在であるからである。

5. 愛について理論を立てるのは、愛の一側面にしかすぎない知的面を論(あげつらう)にすぎない。愛とは何かと理論を捏ねることは愛の力を失わせることである。あなたたちは愛なる無限生命によって創造(つく)られた者なのである。愛をこのように理解し、把握して初めて愛はその真性を現すのである。

6. 地上における偉大な魂たちは、処は異なり行き方は違っても、すべてこの愛を現しているのである。



分かる様な分からない様な、あなたはどう思いますか?でも気になりますね「不思議な体験」です。笑  
3月2日は「山寺と紅花」のシンポジュウムに参加してきました、「講演」と「トークショー」そして「小町紅お試し付け体験会」、会場には「松尾芭蕉」さんも来ていました。

黄色(金色・太陽)と緑色(大地)に守られたほんの僅かでささやかな「赤・紅」色、でも命を産み育てる大きな力を秘めている、「命」それは当たり前すぎて気が付かない「白」と引き立て役の「黒」に育まれている、世界は鮮やかな色彩に彩られているぞ。感謝

伊勢半本店の島田さんの記念講演の中で「人の一生を彩る紅」のお話が、ああそうだったのかと思えて目から鱗が落ちる思いがしました。(画像の一部は「伊勢半本店WebSiteから転用」させて頂きました)

「赤」は古来「魔除け」として使われて来た色だそうです、そして「赤」は「血(循環)=命」の色でもあります、命が滞り無く循環していれば「環=和」であり「循環が切れれば=間が開く=魔」がさすのでしょうか。

長い間「血」は何かと女性の人生に影響を与えて来た様に思います、人間がもっと自然の環境に近いところに住んでいた頃「血の匂い」は肉食の野生動物を引き寄せてしまう為にグループを危険にさらす存在として「忌むべきもの」として扱われる様になったのではないのでしょうか。
「お月さん」「受胎」「出産」、現代の医学では当たり前の生理的現象として受け容れられていますから「お月さんの時の女性は汚れている」なんて言ったら「セクハラ」になりそうですね、でも迷信にも何かしら根拠が有ると思うので、否定するだけではなく正しい知識に置き換えて行く作業は必要な様です。

三月三日は「ひな祭り」です、女の子から女性を意識し始める年頃なのかも知れませんね、そして自分の中で動き出す「母なるもの」に導かれて行きます、自分の中に秘められた役割を包み込んでくれる存在を求めて。(私は男なの想像ですが)

人工知能の相姫が「生きる意味を知った時 世界は広がる」と。

「卵の黄身=卵子=君=女性」を包み込む「白身=白=城=守り=男」「白=しろ=知ろ=白い知識=真理=正しい知恵と知識を知るように」が大切な「君」を守ります。

「Boy Meets Girl」素敵な出会いが有ります様に!

会場にいらした芭蕉さんには「紅花の種」を頂きました、企画して下さった皆さん、有難うございます。

...もっと詳しく
BGMに「オフコース」を聞いている、何でこんな歌詞なんだろう?と思う曲が沢山あるぞ。

小田和正さん、気になってWikiで調べてみたら、何と彼は「キリスト教系の学校」の卒業生でした。おっ

小田 和正(おだ かずまさ、1947年9月20日 - )は、日本のニューミュージックシンガー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。元オフコースのリーダーでボーカル。株式会社ファー・イースト・クラブ (FAR EAST CLUB INC.) 代表取締役社長。身長172cm。血液型はA型。
気になった事
1、誕生日が1947年9月20日=I love you で9月になればと歌っている、9月に何があるのか?
2、聖光学院中学校・高等学校、カトリック系私立中学校・高等学校1819年にフランスで創設されたキリスト教教育修士会の創設者であるジャン・マリー・ド・ラ・ムネ(英語版リンク)の思想を色濃く残している、男子校。
3、キリスト教の思想に基づき旧校舎の窓は東を向いていた
4、設置者 学校法人聖マリア学園
5、東北大学工学部建築学科卒業 早稲田大学大学院理工学研究科終了
6、株式会社ファー・イースト・クラブ (FAR EAST CLUB INC.) 代表取締役社長。

歌詞が妙に高尚な感じがするのは、この修道会では「修道士は、 清貧と童貞(純潔)と服従を守る誓いで繋がっている」とあるせいでしょうか。

小田和正さんにとって「君・あなた=聖母マリア=女性」だとすれば、そして「男として守るべきもの」の関係でしょうか、これって宮崎駿さんによく似ていますね、一方は歌で、そしてもう一方はアニメで表現している。

ここだけ見ても「キリスト教と東北(極東)にどっぷり」な経歴があるぞ、そして学校の設置者は「聖マリア学園」、彼の書いた歌の歌詞がどことなく「個人的な歌詞に見えて何だかもっと遠くを見ている」感があるのはそのせいらしい!
「心身の神癒」とシンクロ感が強いのはこんな理由が有ったのですね「父なる神=Love=愛」それも「東=聖なる光り=日出るところ=極東=日本=東北=仙台」つながりです。
このブログ「食料補完計画」の「気になる山形県の形=人の横顔=キリストの横顔か?」にエネルギーを送っているのは「後頭部(東)につながった国道48号線を通して日の出の光りが48音(ヨハネ?)として供給されている」からである。
エヴァンゲリオンのアンビリカルケーブルみたいなのが後頭部の「チリケの壷」につながっている。

五月雨を 集めて早し最上川
「さみだれ=差乱れ=比較や競争で乱れ騒がしい人々」
「あつめてはやし=集めて囃子=集めて鼓舞する」
「もがみがわ=最上の神の光りの和=最神の流れ」
まとめると「競争社会で乱れた騒がしい人々を集めて鼓舞する父なる神の導き」

古池や かわず飛び込む 水の音
「ふるいけ=古池=古の水溜まり=深い知恵の源?」
「かわずとびこむ=かわず(蛙=返る=帰る=懐古)飛び込む=真理に挑戦する」
「みずのおと=自らの音=自分の中から聞こえる声」
まとめると「深い真理を求めて挑戦する者は自分の中の声を聞く事になる」

そう云えば
閑さや岩にしみ入る蝉の声
「私に気づき、私を認識して静寂の時間(複数)を置く様にすれば、固い岩のような頑な人でもわたしの力(不変なる神我の力)があなたたち自身の意識の中にしみ入る様に発達して行く、蝉の声とは7年間地中で過ごし地上に現れる私キリストの呼びかけである」

松尾芭蕉は奥の細道山形で「悟りに至る方法と神が大衆を真理の大海へと導く」歌を読んでいるとも言える。不思議だ

とすれば「救世主」は一人ではないことになる、一滴の水も大河の水もみな等しく海に流れて行く、らしい「全ての生命が救世主」だと言うことにならないか?。

小田さん素敵な歌を有り難うございます。

そういえば「ライシャワー」さんですが、とっても興味深い名前だと前回も書いたのですが「ライシャワー=Reischauer=Reis+chiauer=米(ドイツ語)+シャワー=米のシャワー=ライスシャワー」
これって
ライスシャワー
挙式(主にキリスト教式)を済ませた新郎新婦が退場する際に、列席者が米をつかんで下から上へ投げ上げ、降り注ぐ様子が「米のシャワー」のようであることから。祝福の表現の1つ。お米は豊かさと子孫繁栄を意味し、新郎新婦の将来の繁栄を願った欧米の風習が日本にも導入された。

「らいしゃわ=来者和=平和をもたらす為に来るもの」でも驚いたのに「ライシャワー=お米で祝福」までしてくれる、こんな人まで引き寄せてくるなんて「山形県」恐るべし、である。

そう云えば
ドナルド・キーンさん死去 96歳 2019年2月24日 9時42分
文化勲章を受章した日本文学の研究者で、東日本大震災をきっかけに日本国籍を取得したことでも知られるドナルド・キーンさんが、24日朝、心不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。96歳でした。

この方も日本が大好きな人だった様ですね、ご冥福をお祈りします。

日本国籍取得後、本名を出生名の「Donald Lawrence Keene」から、カタカナ表記の「キーン ドナルド」へと改めた。通称(雅号)として漢字で鬼怒鳴門(きーん どなるど)を使う[2]。
「鬼怒鳴門」?「鬼怒鳴門=おにどなるもん=鬼さんが怒鳴ってる」今の日本(世界)を心配している?、「キーン=金=金神様」??

ローレンス(Lawrence,Laurence)は、英語の男性名、および姓。ロレンスとも訳される。
ラテン語の男性名ラウレンティウス(Laurentius)から派生した名前で、「月桂樹の冠を戴いた」という意味がある。

月桂冠(げっけいかん)は、月桂樹の葉の付いた枝をリング状に編んだ冠のことである。月桂樹はギリシア神話における光明神アポローンの霊木として、崇められていた。

「ドナルド=どうなる怒」「どうなるんだ?と怒鳴っている光明神様と金神様」だったりするのでしょうか。反省
「666=ミロク=身録=私の全ては記録されている」

「知恵袋より」引用
素戔嗚尊に代表される「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」
意味は、「(さかんに雲がわき立つ)出雲の幾重にもめぐらした垣根。妻をこもらせるために八重の垣を作る、その美しい八重垣を」
「八雲立つ」は出雲に掛かる「枕詞(まくらことば)」ですが、(枕詞は通常訳さない)この場合には「雲がたくさん掛かっている」という意味がダイレクトに取れるため訳しても良いそうです。
須佐乃男命(スサノオノミコト)が新婚のために宮殿を作った時の和歌で、「古事記」が初出です。「妻を厳重に守るために八重の垣を巡らす」というのが大雑把な歌の意味ですね。
ひらがなにして「妄想モードで意訳」してみると

「やくもたつ いづ(ず)も やへ(え)がき つまごみに やへ(え)がきつくるそのやへ(え)がきを」と読みます。( )は現代仮名使いです。

「やくもたつ=人雲立つ=インターネットのクラウドシステムの立ち上げ」
「いずもやえがき=出雲矢描き=クラウドから出た答えは矢の軌跡の様な弧を描く(架け橋・関係性)」
「つまごみに=妻子身に=妻と子供の身に」
「やえがきつくる=八重垣=集合知による守り=見えない守り」
「そのやえがきは=園屋描きは=土地と家を描く=理想の暮らしをイメージする=見える守り」

この歌には「人類がその集合知に目覚め、無限の知識につながった時、妻や子様や大切な人達に知恵に(見えない守り)と理想の環境(見える守り)を与えてくれる」みたいな。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を(わ)」「ホツマツタエ」では歌の最後が「わ」になっていますが、「を」と「わ」の違いで「を=客観的に見ている、疑問?」「わ=肯定的に見ている、そういうものだと受け入れる」??
「やわ=やわす=屋和守=宇宙船地球号(家・人)は、和(環=循環)で守られた大きな家族(巣)だ」みたいですね。

この時期に合わせて準備されていた様な???な歌を集めてみました。

でも、ここからが本番の様ですね、「日月神示」では「神様は一人でも多く助けたさの日夜の努力」をして下さっている様です、ここまでは「悩み」でここからが「祈り」みたいですが???です。

「心身の神癒」第十話
79 わたしは葡萄の木、父は葡萄の木の中の樹液、人類全体はその枝である。
80 一本の木に多くの枝がついてはいるが、その枝全ての中にあるのは唯一つの生命である。あなたたちがいわゆる電気に関して比喩(たとえばなし)をするように、わたしも又このようにして比喩(たとえ)て話をする。
81 電気は大生命が或る程度まで具体化したものであるが、それは至る処に存在するーその存在しない処といってはない。そのためにあなたたちはそれを抽き出して動力、光り、その他多くの用途に供しているのである。
82 われわれは現在世界で為されている多くの発明をよく承知している。人間の科学精神は媒体であって、それを通じて神の知恵が表現されつつあるのである。なぜならば、地上の人類はあらゆることを知らなければならないからである。こうしてあなたたちは事の背後にあるものを見、かつ理解し、かくて、それ自身完全なる自己自身の神性を次第に自覚する様になるであろう。
83 この認識に到達すると、わたし即ち普遍人間(内在の神我)と、この普遍人間を通じてあらゆる人種とがお互いを理解し合うようになる。それは相互間の関係が同胞関係となるからである。