食料補完計画

歌って不思議だなあ
夜通し降り続いた雨が、明け方に小降りになって来た、茶タロウ君と散歩に出てみると西の山がすぐそこまで白くなっていた、次の休日にはタイヤの交換をした方が良いかも知れない。

雨と言えば「強い浄化力」が有るとか、「雪」はもっと強いらしい、雪の多い冬はちょっと苦手だが「恵みの雨」なのだと思う、雨の歌って何か有ったぞ。

昔から歌っていた「あめあめふれふれ」、5番まで有るとは知りませんでした、雨で濡れるのはいやだけど、こんな時こそ「母さん」に甘えてみられる、改めて読み返してみると「母さん」と「地球」がオーバーラップして感じられる、恵みの雨と大いなる大地に包まれている事を、そして「あめふり」はそんな事を思い出させてくれる。

そして「ぼくなら いいんだ かあさんの おおきな じゃのめに はいってく」、僕は母さんの恵みを受けとりながら、僕が持っている分は持たない誰かに分けてあげる、そんな自然の恵みのあり方も語っている様な歌になってるぞ。

「あめふり」(あめあめふれふれ)

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

『あめふり』は、作詞:北原白秋、作曲:中山晋平による日本の童謡。1925年(大正14)に雑誌『コドモノクニ』11月号で発表された。

歌詞に登場する「じゃのめ」とは、いわゆる「蛇の目傘」の事で、中を白く周辺を黒・紺・赤などで太く輪状に塗って、蛇の目模様を表した紙製の雨傘を指す。江戸時代から広く用いられた。

楽しい雨の歌と言えば「雨に歌えば」が気になる、映画の中で雨に打たれながら楽しそうにダンスを踊っていた、実はまだ歌詞を調べた事が無かったのでこの機会に調べてみようと思う、さてどんな歌なのだろうか。

「Singing In The Rain - Singing In The Rain」

 雨にぬれて
  歌を歌えば
  心の中は
  すっきりするんだ
  黒い雲に
  笑いかければ
  心に太陽
  恋する気分さ
  雲なんかへっちゃら
  どうってことないさ
  雨にぬれても
  笑顔でいられる
  足取り軽く
  道を歩こう
  歌いながら
  雨にぬれて

  雨に踊れば
  ディーア ディーア ディー
  ディーア ディーア ディー
  幸せな気分
  雨に歌い 踊れば

「雨に歌えば」
http://www.youtube.com/watch?v=D1ZYhVpdXbQ


You Tubeの動画を見てみた、水たまりを見つけるとバシャバシャと遊ぶ息子みたいだ、今の自分にはこんな無邪気さが無くなってる、本当は自然(人生?)ってもっともっと楽しいものなんだって言われてるみたいに思ってしまう。反省
2、3日程前から、何故か浮かんで来る歌が、小林旭さんの「昔の名前で出ています」、久しぶりに歌詞を調べてみると何とも不思議な歌詞の気がして来た、奇遇な事に「小林旭」さんの誕生日は「11月3日」である、そして昨日は夜空の月がとっても綺麗だった、調べてみたら競馬でも「スーパームーン」が活躍していた。

「旧暦13夜の月」「昔の名前で出ています」「七変化の多羅尾伴内」何だろうこの繋がり?。


「昔の名前で出ています」

小林 旭 歌
星野哲郎 作詞
叶 弦大 作曲

三人の名前に「日」と「星」と「野(地球)」が入ってるけど「月」が無い?、と思ったら「弦」は「月」の意味かも知れない、「月」の象形文字は「欠けている月、三日月」から?、探したら有りました。

Wikiより
弦月(げんげつ、英語:half moon、half-moon)は、上弦および下弦の月のことである。月相は7と21(角度で言えば90度と270度)、月齢は平均7.38日と21.15日となる。月の表のうち半分が明るく輝いているため、半月(はんげつ)ともいう。
呼び名
弦月の名は、輝いている半円部分を、弓とそれに張った弦になぞらえたもので、弓張(ゆみはり)、弓張月(ゆみはりづき)ともいう。弦月と書いてゆみはりと訓読みすることもある。他に、恒月(こうげつ)、破月(はげつ)、片割月(かたわれづき)などとも。これらは基本的に、月にまつわる他の語と同様、秋の季語である。
なお、幻月は無関係な用語である。

しかし三人とも興味深いお名前です、太陽さんが歌って星と地球が歌詞を作り、お月様が曲を付けています、凄い合作ですね。

「叶 弦大 作曲」「叶 弦大=願いが叶う、月の大きな=月の大きな願いが叶う=女性性の大きな願いが叶う」のでしょうか、」、「昔の名前」で出ている彼女に男性は気が付く事が出来るでしょうか、是非そう有って欲しいものですね。

「小林旭=こばやしあきら=子囃子明=日と月が明らかになって子が祭り囃子」?


「七変化の多羅尾伴内」は「絶えず変化する月の形」繋がりでしょうか、7×4=28日は月の周期で女性を現している、「昔の名前で出ています」がこの映画の主題歌になったのもも「京都、神戸、横浜」と場所や姿を変えているから?見た事無いから分かりませんね。

歌を何度も聞いていると「浜の酒場(浜=陸と海の境目、境界の坂場、ヨモツヒラサカ)で、別れ別れになってしまったイザナギとイザナミの物語」の様な感じがして来る、本当は呼び合っているのに中々出会う事が出来ない、色んな方法でサインを送っている、「昔の名前で出ています」は「愛しいあの人に会うには、言葉本来の意味を取り戻す事が大事、その手がかりは昔の名前(古い神様の名前、働き)の中に有る」みたいなメッセージを感じないだろうか?。

そう言えば、先の記事が「天の岩戸開き」でしたが次のこの記事が「昔の名前で出ています」になってる、岩戸から出て来るのは昔の名前の神様達?、木曽節の基礎(貴祖、起祖、起素)ってこの事だろうか。
To find out the truth of life!

「いつも何度でも/いのちの名前」色んな人が歌っているなあ!何となく重なるこの歌。

「生き続ける事の意味」って「わたしのなかに」みつけるものらしいぞ!

アーティストの人達って、、、。

「僕の中の少年」探すのは「自転車」で、やっぱり自分の足でなんだろうなあ、今年は全く自転車に載っていないぞ、こんな年は初めてじゃないだろうか。反省

「自転車=時転者=時を転がるもの=転生?」やっぱり転生って有るんだろうか、「To find out the truth of life!」は転生を繰り返して自分の中に見つける?。

木曽の御岳山が噴火してニュースになっていますが「御嶽山」何処かで聞いた事が有ったぞ、何だっけ?浮かんで来たのは「木曽のな〜なかのりさん 木曽の御嶽山たらなんじゃらほい ヨイヨイヨイのヨイヨイヨイ」でした、その後山頂には沢山の人が取り残されていると、無事の救出をお祈りいたします。

「木曽節」と言っても私が知っている歌詞は上に上げた部分だけ、何だか気になってネットで調べてみながら歌も聴いてみる事にした、そこで見つけたのが「森昌子」さんが歌っているもの、女性の声で歌詞が聞き取り易かったので散歩しながら何度か聞いているうちに「ナンジャラホイ」が問いかけの様に聞こえて来た、そして「ヨイヨイヨイノヨイヨイヨイ」、???何が良いのか意味不明な歌詞に「ナンジャラホイ」である。

以前、「スカボローフェア」や「アナと雪の女王」の歌の記事を書いたのですが、今回は日本の民謡です、何だか嬉しい気もします、そう言えば今日から始まるNHKの朝ドラは「ウイスキー」を日本で初めて作った方の物語だそうです、「酒精、スピリッツ」ですね何年か寝かして美味しくなる、色々な苦労と時間で美味しくなる様です。

でも、何回も聞いているうちにイメージが浮かんで来る感じがする、ポイントは「ナンジャラホイ」である、あまり堅苦しく考えない方が良いのかも知らないぞ。


「木曽節」には沢山の歌詞が有るらしく、一説では500番あると言う話も有った、「森昌子」さんが歌っているのが聞き易かった事と、全体の意味が一番まとまっている気がした、そして一番のポイントは名前。

「森昌子=もりまさこ=守正子=正しく守る子供=人を正しく守る守護神で子供=ソサノオ=キリスト」こんなぴったりな名前が偶然だろうか、名前って不思議ですね。

森昌子さんが歌っている歌詞です

「木曽節」
木曽のナァー 中乗りさん        
木曽の御嶽山は ナンジャラホイ     
夏でも寒い ヨイヨイヨイ

袷(あわしょ)ナァー 中乗りさん
袷(あわしょ)やりたや ナンジャラホイ
足袋(たびょ)そえて ヨイヨイヨイ

心ナァー 中乗りさん
心細いよ ナンジャラホイ
木曽路の旅は ヨイヨイヨイ

木曽はナァー 中乗りさん
木曽はよいとこ ナンジャラホイ
よいとこづくめ ヨイヨイヨイ

梅はナァー 中乗りさん
梅は匂いよ ナンジャラホイ
桜は色よ ヨイヨイヨイ

男ナァー 中乗りさん
男伊達なら ナンジャラホイ
この木曽川の ヨイヨイヨイ

近頃伺っている方々の記事を参考にしながら、妄想をいっぱいに膨らまして意味を考えてみると、こんな内容になって来る、歌詞の中で「中乗りさん」と有るが「キリスト」だったり「ソサノオ」だったり「人、自分」の事だったりするが同じ事かもしれません。
「中乗りさん=宇宙船地球号の乗客=私達人類」

「木曽節」
「基礎節=基本になる部分、大地、地球の節目、大切な所、時期」
「木曽節=貴祖節=高貴なご先祖様の語り」、「木曽節=帰素節=素に帰る節目」
「木曽節=基礎不死=基本的な部分は死なない=魂しいは不滅」「きそ」って凄い意味が沢山有るぞ。

木曽のナァー 中乗りさん
「貴祖の名は中乗りさん=貴いご先祖様の名前はキリスト(ソサノオ)さん」
木曽の御嶽山は ナンジャラホイ
「貴祖の恩タケさんとは 誰でしょうね=貴いご先祖の恩有るタケさんとは「ヤマトタケ」さんでしょうか?」「おんたけさん=ONタケさん=ヤマトタケさんがスイッチオン」「おんたけさん=音タケさん=ヤマトタケさんのお声」?
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
「夏でも寒い=夏でも寒いは北(来た、氷川神と掛けてる?)ヨイヨイヨイ=氷川の神、ソサノオさんがやって来た、良い事である」

袷(あわしょ)ナァー 中乗りさん
「合いたいな〜キリスト(ソサノオ)さん」「袷、あわせ=裏地の有る和服、裏と表が有る?、それをあわせる」意味深いですね。
袷(あわしょ)やりたや ナンジャラホイ
「合わせてあげたいな〜キリスト(ソサノオ)さんに、どうやって?」
足袋(たびょ)そえて ヨイヨイヨイ
「足袋をそえて=旅を添えて=人生で色々な経験をする事によって、それは良い事だ」

心ナァー 中乗りさん
「心はなあ キリスト(ソサノオ)さん」
心細いよ ナンジャラホイ
「何だか寂しいのは何故だろうね?
木曽路の旅は ヨイヨイヨイ
「基礎、本質、真実、貴い祖先様や自分を探す一人旅とはそう言うものなんだよ」

木曽はナァー 中乗りさん
「基礎、本質、真実とはな、子供達(キリストもソサノオも究極神の子、中乗りさん、そして人も)」
木曽はよいとこ ナンジャラホイ
「基礎(地球、この世)とはとっても良い事(場所、所)なんだよ、どうしてかっって?」
よいとこづくめ ヨイヨイヨイ
「とにかく良い事づくめなんだよ、この世は、ヨイヨイヨイってね」

梅はナァー 中乗りさん
「梅=産め、命として生まれる事とはなあ、子供達」
梅は匂いよ ナンジャラホイ
「産めは荷負いよ=生まれる事とは荷を負う事でもあるんだ、でもどうして?」
桜は色よ ヨイヨイヨイ
「さくら=咲くラ(ラーの神?、咲く裸=裸になる事?)とは色(男と女の関係、二元論?)の事、これも良い事なんじゃ」

男ナァー 中乗りさん
「男とはなあ 子供達」
男伊達なら ナンジャラホイ
「男を立てる、本当にかっこいい男とはなあ、何だと思う?」
この木曽川の ヨイヨイヨイ
「ものの本質(基礎)の変化(川、流れ)を司る、威張らないけど頼りになる本当の神様を知ってる奴なんだよ、ヨイヨイヨイとな。


意訳をまとめると、こんな感じでしょうか。

簡単にしてしまうと

宇宙船地球号におお乗りの皆さん
ヤマトタケさんの言われる貴い先祖様とは誰でしょうか?
ソサノオさんがいらっしゃったそうです 良かったですね。

長い間会いたくて(裏と表、陰陽、善悪、二元論)お待ちになった皆さん
どうしたら会う(バランスをとる、解決する)事が出来るのでしょうか?
それは旅をする様に色々な人生経験を積む事です、良いですね。

皆さんのお心はいかがですか
心細いですか、どうしてでしょう?
真理を探す旅は、時には独ぼっちになったみたいに心細い時が有るものです、それも良い事ですよ。

本質や地球とはね、皆さん
どうして本質や地球が良い所かって?
とにかく良い事ばかりなんですよ。

命を持って生まれて来るとはね、皆さん
一見命と言う重荷を負った様にも感じるものなのですよね?
それに大切な物を引き裂く様な対立を産む色、これも良い経験になるのです。

男の存在って何でしょうね、乗客の皆さん
男性を立てる、本当にかっこいい男とはどういう事だと思いますか?
この「木曽川(氷川神、ソサノオの真の姿?)」の様なものですよ ヨイヨイヨイ。

「日月神示」では、この世の乱れは「色、男女」の乱れが原因と言っていた、そして男性と女性の上下?関係が乱れていると、どちらが強くてどちらが弱いと言った力関係とはちがった上下の関係が有ると言っている、「男を立てて女が付く」太陽と月の様な関係が有ると、「ホツマツタエ」にも載っている「本当の男伊達」は夫婦円満の鍵なのだろう。

何だか「神様から人類(中乗りさん)」へのメッセージみたいになってないだろうか。


「アナと雪の女王、フローズン」の物語には不思議なシンクロが起きていて「真実の愛が凍った心を溶かす」で締めくくっていたが男性不在の感じが強いのが気になった、特に「マレフィセント」は男はしょうもない存在にしか見えなかったぞ。
「御嶽山」を調べていたら、伊那節では「わしが心と御嶽山の胸の氷は 胸の氷はいつとける」と歌われていると書いてあった、「神と人の凍っていた心(男と女、イザナミとイザナギの心?)が解け合うのかも知れない、このタイミングでの「御嶽山」の噴火(内部からの抑える事の出来ないエネルギーで?)はそんなエネルギーを感じさせる出来事でした。

でも、現実には突然の噴火で多くの犠牲者が出ている、地震の被害も大きかった、「荒ぶる神」の姿を通して「現ふる神」の本当の姿を学べと言う事だろうか、でも最後は「ヨイヨイヨイのヨイヨイヨイ」なのである、「日月神示」にも有ったが「悪い事を通して良くなる仕組み」が有るのかも知れない、男と女の関係も同様に、何かと「含み」が有る様で難しいですね。

久しぶりの記事でした、書きながら「ナンジャラホイ」です、変な記事をお読み下さり有り難うございます。

おまけ「正調伊那節」から

○わしが心と 御岳山の 胸の氷は 胸の氷は いつとける
○胸の氷は 朝日でとける 娘島田は  娘島田は 寝てとける


「胸の氷は朝日でとける」朝日=東からの光ですね、「東風ふかば」の句もあります、この歌にも強い想いの梅の花が出てきます。
...もっと詳しく
今朝は、畑の周辺に咲いていた花々を中心にまとめてみた、庭の花々も入れると何種類咲いているだろうか、今年は「花」から気が付くテーマが随分と多い、この時期は、庭先では「ジャーマンアイリス」が咲き誇り、甘い「ニセアカシア」の香りが漂う。

「ジャーマンアイリス(ドイツアヤメ)=蛇(邪)男の虹彩=蛇男の目?」「ドイツアヤメ=独逸殺め」何だかあまり良くないイメージだぞ、ドイツはユダヤ教に翻弄されて来た様な歴史観が有る、その事だろうか。
「ジャーマンアイリス=シャーマンの虹彩=呪術者・巫・巫女・祈祷師の目=異界を見る目=ホルスの目?」こっちかな、「ドイツアヤメ=ト意通吾八目=吾が意思が整い通った人の目=悟った目を持つ人=賢者」これが良いかも。

「ジャーマンアイリスの特徴」Wikiより
本種は、アヤメ属の植物を交雑して作出されたもので野生のものはない。1800年代の初期にドイツ、フランスで品種改良され、その後、アメリカが多数の品種を出している。花期は5 - 6月ごろである。」

「人の手によって作られた改良品」である、アメリカで発展、何だか「キリスト教(ユダヤ教)」に関係が有りそうなイメージだぞ。

「ニセアカシア=偽明かし吾=吾は真理を明かす」だろうか、「ニセアカシヤ=偽明かしヤ=真理を明らかにする人、人の真理を明かす」かもしれないぞ。

「アカシア」Wikiより
「アカシア 」(Acacia) はマメ科ネムノキ亜科[1]アカシア属の総称。アカシャ、アケイシャ。 日本では、「アカシアはちみつ」などのように、ニセアカシアをアカシアまたはアカシヤと呼ぶことが多い。
「インディアンの間では若い男女が愛を告白するのに使ったと言い、花言葉もそれに由来してか「秘密の恋」がある。他には「優雅」「友情」がある。」

これってやっぱり「結婚」に関係がある、それも「秘密の恋」ですね、「時空を越えた秘密の結婚」を「アカシア=証吾=吾は証す=吾は明らかにする」深いなあ。

「ニセアカシア」Wikiより
ニセアカシア (Robinia pseudoacacia) は北米原産のマメ科ハリエンジュ属の落葉高木。和名はハリエンジュ(針槐)。日本には1873年に渡来した。用途は街路樹、公園樹、砂防・土止めに植栽、材は器具用等に用いられる。季語は夏である。
一般的に使われる名称であるニセアカシアは、種小名のpseudoacacia(「偽のアカシア」)を直訳したものである。

「ニセアカシア」は真理を明かすと言っている、アメリカから日本に入って来た文化の事か?「アメリカに隠された謎」が明らかになるのだろうか。

茄子の紫色の花が咲いていた「茄子=なす=成す」でしょうか、「茄子=エッグプランツ=卵の計画が津=暖めていた計画が実行される?」「エッグプランツ=卵の計画2=生まれ変わり=第二章」の始まりだろうか、「むらさき色の花が咲く卵の計画」とは、なんだろうか。

畑に一株だけ有る「ピンクのバラ」の蕾も開きそうです、枝の途中には「あまがえる=吾真帰る=吾、真理に帰る」が乗っていました。

「牡丹の花」「牡丹=ボタン=ボタンの掛け違い=間違い」?「ボタンの放=スイッチを離す?」無理矢理押し込んでいたボタンを放す、解放だろうか「ゼオライト=背負う軽い」と似ている感じがする、荷物が軽くなる?。

そして「アザミ嬢のララバイ」は中島みゆきさんのデビュー曲らしい、こちらも「紫色」の綺麗な花が咲いている「アザミ(痣身)嬢のララバイ=痣の有る嬢の子守唄=傷ついた地球からの癒しのメッセージ」みたいである、今地球は自ら傷つきながらも我が子(人類)を育んでいる、永い間、冤罪と侮蔑の言葉「汚れた大地、肉は罪である」を浴びながら、ただひたすらに待っていたのだろう「ララバイ ひとりで 眠れない夜は ララバイ あたしを たずねておいで」。
「男尊女卑」はいつからどのようにして始まったのだろうか、生命を産み出す大地と女性が「卑しく汚れたもの」とされてしまったのは、この風習は最近まで日本にも残っており世界的には今でも信じられている地域が有る、医学の発達により「月のもの」を不浄とする考え方は珍しくなった様にも思えるが。

私の勝手な想像であるが、過去の長い間、生活の場が野生動物と近かった場合、血の匂いは獣を呼ぶきっかけになる為、集団を守る為に「隔離」した風習が有った様に思われる、出産もまた同様に狙われやすかった可能性がある。

「死」もまた血の匂いと「腐敗」を伴う為に、似た様な扱いを受けたのかも知れない「死」の意味が変化しそうな雰囲気が有るがこちらはなかなか手強いみたいですね。


待っていたのは「放蕩息子の帰還」だったりして。


Wikiより
「アザミ嬢のララバイ」(あざみじょうのららばい)は、中島みゆきの1作目のシングル。1975年9月25日にキャニオン・レコードよりリリース。1stアルバム『私の声が聞こえますか』にはアレンジ違いのアルバムバージョンが収録された、中島 みゆき (なかじま みゆき、本名:中島 美雪(読み同じ)、1952年2月23日 - )です。

このアルバム『私の声が聞こえますか』はタイトルからして「私って誰の声」みたいですね、

いつもお世話になっている方のブログに「時空を越える」話を見つけた、そう言えばこの頃気になっていた何かにつながっているみたいだぞ、コメントに重複していてご免なさい。

「時空を越える」なんですね「時空を超える」じゃ無くて、う〜ん似ている様で微妙に違う、超越して突き抜ける訳ではなく越えて行くだけ、なのでしょうか。

私が今まで考えていた「時空」が変化しているみたいです、「時空」と言えば「四次元的な時間と空間」だけだったのが、この頃の「時空」は「次元と(空、無)無限」に拡張?されてきたみたいな感じと言えばいいでしょうかね。

今までの「四次元時空」は新しい「時空概念の一部」、今まで感じていた次元は「複数在る次元の一部分でありなおかつ無限の近似値=不完全な次元認識と制限の在る意識」みたいな、宇宙?の解釈が変わるのでしょうか、異次元はSFじゃ無くなる(無かった)?。

「時空を越える=自空を肥える=自分の中の空虚が何かで満たされる=虚無感(ニヒリズム)からの解放」みたいなものでしょうか「存在の意味、生きる意味で満たされる」。

「時空を越える=自空を声留=自分の中の虚無感は声を留める=(正しい、神の)言葉で虚無感を克服する」なのでしょうか、また言葉の話になってしまいましたね。

「越えると超える」の意味を調べてみると
【越える】
①高い所や難所をとおっていく「山川を〜」
②物の上を過ぎていく「頭を〜」
③順序をとびこす「受け付けの順番を〜」
④時期が過ぎる「〜えて翌年の春」
⑤超過する「百万円を〜」
【超える】
①その基準・範囲・程度以上になる「期限を〜」
②抜け出る。超越する「現代を〜」


「時空を越える」がSF的な「超える」ではなく現実的な「越える」になっている理由を考えてみると、面白い事に気が付きませんか。

何故か「奇跡の無いのが本当の奇跡」に繋がって来る、昨今、スピリチュアル系のネットでは「次元上昇」などの話題が多いのですが、「超える」には「宇宙人や神様みたいな第三者が特殊な技術で助けてくれる、他力本願?」みたいなイメージが有る、それに対して「越える」には「自分の本質(真性、神性)に気が付いて道を切り開いて行く、自力本願?」みたいなイメージが有りませんか。

「私はαでありωである」聖書、「太神は今も太古を産み現在を産み未来を産んでいる」日月神示、同じ様な意味かも知れない。

「エントロピーの法則」の「熱学第二法則」「拡散」、私が小さかった時代の有る時期に「宇宙の熱的平衡による宇宙の死」が話題になっていた「萩尾望都の漫画、百億の昼と千億の夜」は「世界は崩壊へ向かって進んでいる」と、そして「人類の本質は性悪説」へと傾いた。

漸く「エントロピーの法則、宇宙の終わり」のトラウマから解放されるのだろうか、知識が無かったとは言え「数十億年後の地球や遥か宇宙の終わりに翻弄されていた」事になる、落ち着いて考えてみれば「妄想」の何物でも無い気もするのだが「心」とは不思議なものである。(他人をコントロールする為に強調されて教えられたとの説も在る、不安や恐怖を持った人の心はコントロールしやすいらしい)

「時空を越える」はそんな事を思い出させる

「時空を越えるサスペンス=時空を越えて刺すぺ○ス=想いもよらない妊娠方法」、品が無くてすみません、きっと神界での出来事ですね。

(パセリ、セイジ、ローズマリー&タイム)
「パセリ=波競り=波立つ=動=波=イザナミ」「女=陰」
「セイジ=静止=凪ぎ=イザナギ」「セイジ=精子=粒子=イザナギ」「男=陽」
「ローズマリー=バラの結婚=腹の結合=妊娠=受胎=始まり=誤解が解ける」「陰陽の結合」
「and=あんど=安堵=安らぎ、安心」
「タイム=時=刻=時期」、、、いつやるか?今でしょう!「復活祭」

「聖人ラザロ」は「復活」、「復活=原が生き生き舌に水」「復活=高天原に千口の水=腹が潤う=壷が羊水で満たされる」受胎から妊娠そして出産(産め)。

そして「死は始」らしい

「心身の神癒」でキリストはこう語っている
第一話
30「然るに人々は死せる者の蘇りを聞くやこれを嘲笑(あざわら)った。しかし生命体である宇宙にどうして死せるものがありえようか。久遠に生きてい給う神の中にどうして死せるものがありえようか。成る程至る処で変化はおきてはいる、しかしその変化の中には死せるものは何一つ無いのである。悉くの粒子が一つの形態より他の形態へと変幻する生ける粒子なのである。知恵なき者の見るのは死であり、啓明された者の見るのは大生命の働きである。知恵なき者は一つの状態より他の状態への遷り変わりの法則を理解しない、その故にこそ人はみづから死と称する迷妄をみづからの心の中に造り出してしまう。」

「駄洒落」からなので、自分的には感心するがどうも今ひとつ説得力に欠ける、知人に「スカボローフェア」の事を話してみたが、一人は成る程、一人は思い込み、との反応だった、でも書いている。
何だか「中島みゆき」さんの歌が聞きたくなって来た、全てを載せて宇宙を行く、もう説明はいらないと思う。感謝

何も変わらないけど、何かが変わった気もする、今年は何の種を蒔いてみようか、何だか畑が気になるなあ、ここは元々「菜園日誌」だったのです、一年ぶりの畑仕事だぞ、さて何から始めてみようかな、ここからはまた体を動かしながらである、「心言行」が揃うのはいつの事か?一足飛びにはいかない様だ、一歩一歩である、初心に帰ってみよう。
いつもお世話になっている方のブログで、「ツクバヤマ ハレ」の暗号の話がでていた、「筑波山」と言えば耳に残っているのがテレビから聞こえていたデューク・エイセスの「筑波山麓混成合唱団 ガマはガマでも四六のがま〜」である。

Wikiより
筑波山(つくばさん)は、関東地方東部の茨城県つくば市北端にある標高877mの山。西側の男体山(標高871m)と東側の女体山(標高877m)からなる。雅称は紫峰(しほう)。筑波嶺(つくばね)ともいう。

筑波山は「男女(夫婦)の山」女性の方が背が高い「蚤の夫婦」なんですね、母ちゃんがしっかりしていた方が家庭は治まり易い、人類も同じ?、その差「6メートル=六=睦=むつましい」古人は巧みだなあ。

以前、「スイングガールズ」の記事を書いたとき、「ス」の神様はどうして偉いのか考えてみたが「吹奏楽の楽器は、基本的に空気を吐きながら演奏する、だからス(吸う)の神様が最初に働かないと演奏できない」と思った事が有る、この話を知人に話したらこんな返事が返って来た「吸って演奏するハーモニカが有るじゃないか」と、言われてみればそんな楽器が有りました。

「ハーモニカ=波最似光=波と光は最も良く似ている=波と粒子相反する組み合わせが最も似ている=二元論はハーモニーだ=相反する性質が人間の中で一つになっている」のかな「ハーモニー」ってこういう意味だったんですね、「吸ったり吐いたり、息、生き、なんだか反する性質の組み合わせ」で調和していた。

「つくばさんろくこんせいがっしょうだん がまはがまでも しろくのがま」これは長くて大変だぞ。
「つくばさんろく=着く場三六=弥勒の場所に着いた=山の麓(里山か?)の大地は弥勒(救い)」、山(神様)の麓(導き)でミロク(身肋、身をたすける)のかな?、「地球に足が付いた=大地(ガイア)と一体」「みろく=地球=私=渡し=和足し」弥勒の救済って「自己回復能力」ですか。

「こんせいがっしょうだん=混成合唱団=色々な個性が集まってハーモニーを奏でる=無駄な物やいらない人などいない、それぞれの個性がハーモニーには必要だ」、競争社会や格差の意味、差別が無変わる?

「がまはがまでも=ガマはガマでも=ガマがえる=ガマ返る=我魔返る(帰る)=マガ=真光=真偽、光と闇、善悪は本質は同じ」

「しろくのがま=四六の我真=4+6は十(五+五では動きが無いのでバランスを崩してある)で人は我が真理=自分を知れ」なのかな、それとも微妙にバランスが崩れている様に(不完全な様に)見える処に大きな意味が有るのだろうか、「四六の我真=絶妙な不均衡が人の真の姿=不完全に見えるけど人間は完全である」また聖書に戻って来たぞ。


子供を背負っている「筑波山の四六のガマ」君、何だか誇らしい姿、神様と人もこんな感じで「我真帰る=本当の私に帰る」なんてね、何となくつながってしまった。

4月になってからの皆さんのコメントや記事が「シンクロニシティと言うよりはハーモニーのイメージ」みたいになって来た「むらさき=均一でない組み合わせがハーモニーを産む」五角形の花の中心には「黄色、金神」って「じゃがいもの花」でもある。

皆と同じ様な部分と、誰とも比較できない「自分の役割」が一つの体に組み込まれている、それを「匠」に組み合わせて共振させるのがハーモニーなのでしょうか。

「もっと肩の力を抜いて 過去はどこかにしまっておけ ここからはそう遠くないだろう 観たこともない景色」

やっぱり何かが変化している、「花も、じゃがいも、柳までも」毎日観ている同じ景色が違った世界に見えてくる変な感覚です。

ミハエル シューマッハさん、「ミハエル=実生える」「ミカエル=身変える、帰る」回復「シューマッハ=終末破=終末は破壊=終末は回避された」だといいですね。


恵天的解釈の「ツクバヤマ ハレ=付く場ヤ真張れ=大地(地球)と結んだ人は膨らんだ花のつぼみ」でした。

何だか私はいつも同じ所をぐるぐると回っているみたいだ、「大切な処を色々な見方でくり返している」のだろうか、皆さんいつも「ありがとう」ございます、もうすぐサクラの季節ですね。

「心身の神癒」第十四章
34、人は幾度も幾度も人によって傷つけられ、自分自身の愚行によって十字架につけられて初めて彼は、神の分霊(キリスト)を通してすべてのものが「大いなる一体」であることに開眼する。

私はこれを読んでびっくり、こりゃあ大変な訳だな、でも人類の歴史って?。
今日4月1日はエイプリルフール、嘘と誠が交錯する一日である、「嘘」と言えば気になる歌が有る「宇多田ヒカル USOMITAINA I LOVE YOU]」である、何故かこの歌を聴くと「創世記」をイメージしてしまう不思議な歌である。

冷静な眼差しで、自分は神によって産みの苦しみを伴う様にして最初に産み出され、神の傍らで創世に携わった「わたし」として竜になった様な気持ちでこの世界の「陰陽、二元論」の世界を見直してみる、「感動的に終わるストーリー」とはどんなものなのか、また「始まりは君が言ったI love you」とは、そして「間もなく解き明かされる真実」めくるめく「愛」の物語の始まりです。

彼女は何処からこんな歌詞を探して来たのやら、アルバム「Deep River」このタイトルは「遠藤周作」の作品「深い河」からインスパイアされているらしい、この作品は「シンクロニシティ」をテーマとしているとか、「遠藤周作」と言えばキリスト教に関係が有った様な気がするが、後で調べてみたい、タイトル曲の「Deep River」も機会があったら掘り下げてみたい歌ですね。

他にも三島由紀夫とかも読んでいるらしい、どうも体験している世界が違うみたいだ。笑

少しずつ解説です、妄想の世界をお楽しみ下さい。

旧約聖書の「創世記」の初めは有名な「創造の7日間」が書かれていますが、同じ旧約聖書の中「箴言」にも「創造に関わった意識的存在」について書かれています、その部分を抜粋してみると、「世界の創造は神一人で行われたものではない」事が分かります。

「新世界訳 旧約聖書 箴言」
22 「エホバご自身が,その道の初めとして,昔のその偉業の最初[として]わたしを産み出された。
23 わたしは定めのない時から立てられた。始めから,地よりも前の時代からである。
24 水の深みもなかったときに,わたしは産みの苦しみを伴うかのようにして生み出された。それは水のみなぎる泉もなかったときである。
25 山々が固く定められる前に,もろもろの丘に先立って,わたしは産みの苦しみを伴うかのようにして生み出された。
26 [神]が地も,空地も,産出的な地の塵の塊の最初の部分をもまだ造っておられなかったときに。
27 [神]が天を備えられたとき,わたしはそこにいた。[神]が水の深みの表面の上に円を定められたとき,
28 上方の雲塊を固くされたとき,水の深みの泉を強くされたとき,
29 海のために水がご自分の命令*を越えないようにとの布告を置かれたとき,地の基を定められたとき,
30 そのとき,わたしは優れた働き手として[神]の傍らにあり,[神]が日々特別の親愛の情を抱く者となった。わたしはその前で常に喜び,
31 その地の産出的な土地を喜んだ。そして,わたしが親愛の情を抱く事柄は人の子らに関してであった。
32 「それで今,子らよ,わたしに聴き従え。わたしの道を守る者たちは幸いだ。
33 懲らしめに聴き従って賢くなれ。怠慢であってはならない。
34 日々わたしの戸口で目覚めていることにより,わたしの入口の支柱で見張ることにより,わたしに聴き従っている人は幸いだ。
35 わたしを見いだす者は必ず命を見いだし,エホバから善意を得るからである。
36 しかしわたしを得損なう者は,自分の魂に対して暴虐を行なっているのである。わたしを激しく憎む者はすべて死を愛する者なのである」。

さて、この「私」とは一体誰なのだろうか、文脈からは「最初の一人子」と言えば「キリスト」と言う事になるが、聖書にはどうも二人のキリストが存在する、「最初の一人子であるキリスト意識」と「人間イエス キリスト」である、その他にも「御使い」「精霊」などが出て来るのでちょっとややこしい。

この歌から何が言えるかと言うと「日月神示」に有る「一の大将と二の大将が戦をすると見せかけて」に繋がっていると思う、「以前は一の大将と二の大将とはアメリカとソ連(ロシア)」では無いかと思っていたが「一の大将=神、二の大将=悪魔(サタン)」であり、「戦は見せかけ」なのである、何故わざわざこんな事をする事になったのだろうか。

ヒントは「あいうえお」
「あいうえお」は日本語の母音である「母音=ボイン=おっぱい=男(子供)は大好き」なのである、以前何処かで「あいうえお=愛飢え男」なる漫画を読んだ事が有った様な気がするが「暴れているのは死んで黄泉に下った母が恋しいソサノオ」なのではないだろうか、「ソサノオは天が下、地上を治める」役を任されたが荒ぶる神と成ってしまった、彼は地上に追放され「ヤマタノオロチ」を退治して更生している。
聖書によると、「悪魔ことサタン」は元々は神の御使いの一人であった事が分かる、そして「サタンは神のまね、神の様に注目されたかった、その方法が神に背く事になった」この行動も「子供によく見られる」育ち盛りの特徴の一つに思えるが(特に男の子)男性原理の成長過程の産物なのかも。

終戦の時に「日本人は13歳」と言われたと聞いた事が有る。

「感動的に終わるストーリー」とはどんなものだろうか、これも何故か「あいうえお」に繋がって来る、「あいうえお」からはどの様な想いが伝わってくるのか「あいうえお=あっと思い、い(意、以)に気づき、うっと詰まって、えっと驚き、お〜と感動する」、もしこの世界に独ぼっちで産まれて来たとする、有る時突然に「自分の存在」に「あっ」と気が付く、そしてそれは「い=認識と言う意思であり同時に分離、異なる以」で有るだろう、それから感情が高まって来て「内側から新しい想いが沸き上がって押さえきれなくなる、う(有)」である、その高まりに自分で驚き「えっ」と吾に帰るそれから「お〜」と感動する、よく分からないが「言葉を持つ存在にとって、関係(アイ)による自己の認識とそのプロセスはとても感動的」であるらしい。

スタジオジブリのドキュメンタリーに「夢と狂気の王国」と言うのが有るが宮崎監督は「アニメの神様の奴隷だ」と言っていた「愛」もよく「狂気」と結びつき「愛の奴隷」なんて言葉も有る、「人類の集合意識が積み重ねている経験って一体なんなんだろう、「智や学は捨てて心でとりて」とある、「心の経験値」って謎だなあ、世間では「カルマ」とも言っている様だが今ひとつしっくりこない。

しかし、「言葉で伝えられるの膨大な情報のうちのほんの一部に過ぎない」らしい。

「I=ai=愛=アイ」は実に意味深い言葉だと思う、「アイ=I=1=天の御柱=実在」「愛=相=合い=会い=逢い=藍・・・」、もしかしたらこの世界に最初に現れた「意識」は自分が何者なのか知りたかった、その為に「分離、を思いついた」、「自分を見る事が出来るもう一つの自分の分身」を産み出した、としたら「全てを見通すプロビデンスの目」が見ているのは「世界でありもう一つの自分」の姿かも知れない。

昔SFか何かで読んだ?、雲の合間から見える太陽が目の様になって「散歩している自分の姿を見ている」のである、話で聞く幽体離脱みたいな不思議な感覚だろうか、「いつもお天道様が見ている」が何だか実感できて来たぞ。

と言う事で「始まりはあの日君が言ったI love you」がきっかけ「アイ=引き寄せ一体になる力=父なる神の愛」説明は難しいなあ。

「竜は流と粒、エネルギーの流れ、アメミオヤのウイのヒトイキ」本来は恐ろしい姿ではなく「命を生かすエネルギーや水、空気、物の流れ、変化のメタファー」であり「竜(流)の持つ宝珠は地球」、「地球はエネルギーや様々に流れ変化する流に守られている」そして「地球の生命の集合体が持つ集合意識=宝珠=トのオシテ」なのかも知れない。

「キリスト教は一本柱(一神教)の一」「神道は二本(多神教、日本)柱の二」二つがくみ合わさって「三本柱=トリニティ=マトリックスの鍵」ここに「見えない世界=0」が加われば「123から0123」、「神様を見た事は無いけれど」「神は働きであるが故に目には見えない」、「見えないけれども存在しない訳では無い」、「絶対無は存在しない」「私は有る」、「人類は独ぼっちじゃない」。

「神様なんているのかよ、神様がいたならどうしてこんな世の中をいつまでも放っておくんだ、いたら何とか言ってみろよバカヤロー」、「もっと人生の経験を積んだら教えてあげる、言葉が乱れているうちはなかなか伝えるのが難しいのよ、今はここまでなのわかってね」「心で取りて下されよ」心ね〜一番難しい所を付いてくるよなあ。

今日はエイプリルフールだけど、もしかしたらキリスト教の言ってい「サタン」と「原罪の死」はもしかしたら「嘘」何じゃないかと疑っている、「人は死ぬけど死なない、死の意味が変化してくる」さてどっちが嘘なんだろう。

本当につかみ所の無い錯綜した4月馬鹿な一日でした、萩尾望都の「半神」思い出しました。
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ある方のブログで「イナリとキリストの関係」の記事を見つけた、読んでいて???、何だか何処かで聞いたような話、「ナウシカ」って何者なのだろう。

「その者、蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし。失われし大地との絆を結び、ついに人々を清浄の地に導かん。」宮崎駿監督は何処からこんな一節を見つけてきたのか。

以前に「イナリ=意成り=想いが実現する」じゃないかと書いた事があるが、記事を読んでいくと「イナリ=イネナリ(イナナリ)=稲稔=米が豊に実る」であるらしい、これがキリストと関係が有るとすれば、駄洒落で言っていた「キリスト=救世主=メシヤ=飯や=ご飯をいかが」は有り得る?。

1、秋の実りと言えば「五穀=稲・麦・豆・粟・稗」などの五穀が基本になっている、「イナリ=お稲荷さん=いなり寿司」はこの中の「稲=ご飯・大豆=油揚げ・醤油=麦」と代表的な3種類の材料が使われている、色や形は「穀物を入れる俵や袋」に似ておりいかにも保食神らしい食べ物である。
「キツネの鳴声=コンコン=コーンコーン=トウモロコシ」は現代の五穀の代表的な作物だ、食品だけでなく家畜の飼料や燃料まで幅広く利用されている。

2、「その者、蒼き衣をまとい金色の野に降り立つべし」金色の野と言えば、春の「菜の花畑」に始まって秋の「収穫間際の穀倉地帯」をイメージさせる、「風の谷のナウシカ」のラストシーンにソックリだ。

3、「イナリ=お稲荷さん=キツネ=キツネリス」ナウシカの肩に乗っているのは「キツネリス」そしてそれは「その者の肩の鳥」にアレンジされている、「ああ人は昔むかし鳥だったのかも知れないね、こんなにもこんなにも空が恋しい」、そしてナウシカも「鳥の人」と呼ばれている、上手に風(時代の流れ)を読むのである。

4、「キツネ=気津根=元の気が寄せる、黄通音=金神様の声が通る」だろうか、お稲荷さんの狐が咥えているのは「宝珠・巻物・鍵」などの場合が多い、これは「玉(霊)・オシテ・きっかけ」みたいである、まるで「古き(元の元)を訪ねて新しきを知れ」と言っているのでは無いだろうか。

5、ナウシカはが両手を広げて立つ姿は「十字架」である、金色の野に立つ姿は漢字の「土」になる、「アダム=土=人間」である、「人は大地から収穫された食べ物と水、そして空気(息=生き=魂)で生きている地球の一部」なのだ、そして「細胞は」は絶えず更新され大地へ帰って行く、人体を構成する物資は姿を変え一時的に見えなくなるがエネルギー(質量)は保存される、「死」とは「運転手(魂)が自動車(体)を乗り換える様なもの」であり「無知が引き起こす迷妄である」らしい、う〜ん?。

6、「パセリ・セージ・ローズマリー(ローズ・薔薇+マリー・結婚)&タイム」の原型は「Every rose springs merry in't time=どのバラも季節になれば愉しく芽を出す=誰だって年頃に成れば恋が芽生える」であった可能性があると、これは「年頃になるまで待て=時が来れば」でもある。
「年頃に成れば恋が芽生える」から思い出したのが「ホツマツタエ」の序文の歌
「しわかみの 心ほつまと成る時は 花咲く御代の 春や来ぬらん」である、「シワカミ(?) の心が火(神)の妻の様になった時は、この身は春の花が咲く様な心持ちになるのです」だとすればこの二つの歌は良く似ている。

7、「スカボローフェア」の歌われない歌詞の部分には「アダム」が出て来る

「あの涸れた井戸でそれを洗えと伝えてくれ、
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム、
そこは水も湧かなければ雨も降った事もない、
そうしたら彼女は私の恋人。

「そこのイバラでそれを乾かせと伝えてくれ、
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム、
それにはアダムが生まれて以来花が咲いた事がない、」

「アダムが生まれてから咲いた事の無いバラの花で、枯れ井戸で洗った折り目のないシャツを乾かせ」とは一体なんの事だろうか、妄想的モードで考えて見る。

こんなのはどうか「水と雨=知恵」だとすると「涸れた井戸ででシャツを洗え=涸れた井戸(無知・盲目)ではシャツ(問題・罪)は洗えない(解決できない)。
そして「砂漠(無知)のイバラ(辛い経験)でシャツ(人の罪)を乾かせ(罪を晴らせ)」と伝えてくれ。
「イバラ(辛い経験・贖罪?)の蕾はアダム(人・土)が生まれてから未だに咲かない(癒されていない)」とすれば、人の罪とはエヴァが蛇に騙される以前から(土・生物?に)内在する物であり、蛇(元は御使い)サタンが神に反抗するに至った原因、経緯を明らかにする必要がある、人の罪とは「本当は冤罪であって人に罪は無かった」のでは無いのかと、神は人間自身が多くの経験を積んでその自覚が訪れるまで見守っていた「タイム(時間)」が必要だった。
「日月神示」で言っていた「荒ぶる神ソサノオの本当の姿、現ふる神の罪と勘違いされた罪と積(つみ)」がここで繋がってくる、イザナギの神とイザナミの神、二元論がもたらす「分離感=相対=比較=嫉妬=妬み」である、しかしこれは「生身の体を環境から守る働き」でもある、ややこしいのである。

8、お稲荷さんとキリストは時空を越えて繋がっている、学術的な資料の裏付けは出来ないが、私の心は「繋がりが」を感じている「蒼き衣の者とは青人草(民)でもあり人類の集合意識キリストであり現ふる神ソサノオ」でもある、宇宙人の正体も人間自身だとすれば助けるのは自分自身である。笑

お稲荷さんはイナリ=意成り=稔=みのり=身乗り=神懸かり=心と体、見えないものと見えるものの結合=一体化=結婚=マリー=真理=毬=玉=霊・・・・なのだ。

答えになってるかな。

明日はついに退院です、ご心配頂いた皆様、お世話になっ病院スタッフの皆様、貴重な経験をどうも有難うございました。感謝
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今日2月11日は建国記念日である、久し振りに天気も良く6階で見晴しが良いので遠くの山々が見える。

地図を見ながら調べてみると、大きな所では「朝日岳」「月山」「葉山」「蔵王山」「吾妻連峰」「船形山」と言った処だろうか、山岳信仰として山々を神として祭ったのはいつ頃からなのだろうか。

「朝日岳」=大日霊貴命(アマテル)
「月山」=月読命(ツキヨミ)
「吾妻連峰」=大己貴命、日本武尊 =素戔男尊(ソサノオ)
「蔵王山」=大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命等を習合
「船形山」=水上弁財天(女神、ヒルコヒメ?)、船魂神
「葉山」
そして山形市は、北は「天童市神町」、南は「上山市」に挟まれている、何だか「ホツマツタエ」的に凄く濃い場所に居る様な気がして来たぞ。

話は変わって「アンパンマン」
「アンパンマン」はとっても有名なアニメであるが、主題歌は何だかシュールな歌詞だなあと気になっていたわりには丁寧に聞いてみた事が無かった、歌詞の一部である。
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アンパンマンのマーチ
作詞 やなせたかし 
作曲 三木たかし

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ

続く〜

作者の「やなせたかし」氏は、昨年11月13日に94歳で亡くなっている、2月6日の95歳の誕生日に「やなせたかしさんのお別れ会」が開かれました、ネットで調べてみるとアンパンマンが生まれた背景には、十分に食べる事が出来なかった重い戦争体験が有った様です。

「アンパンマン」がお腹が空いて困っている人をみつけると、頭の一部を食べさせてあげていました、「イエス・キリスト」さんはお腹が空いて困っている人には「飯や・メシヤ」と食べ物を分けてあげました、「空海」さんも同じように空腹で困っているひとには「食うかい」と言って食べ物を分け合ったのでしょう、「空海」さんはとってもシャイな人だったのでしょうね、「食うかい」と言うのが恥ずかしくて名前で誤魔化していたのです。
「お前の名前はなんだい、そうか俺は空海だ!」なんてね。

「アンパンマン=暗反満=闇を反転させて満たす=素晴らしい夜明けが始まる」これってなんだか「建国記念日」みたいになってきたぞ。

「やなせたかし=ヤ成せ高志=高い志を持った矢の様な人=志を持った人になれ」本当に名前って不思議ですね。

「日月神示」に有りました「大難は小難に出来るが無くする事は出来ない、悪には悪のお役が有る」と、バイキンマンが勝ってしまっては困るが、いなければ良いと言うものでも無いのだろう、誰かがバイキンマンと言う訳ではないのだろう、一人一人の中にも住んでいる、それを知って上手に言分けて付き合うものらしい。

驚いた事にアンパンマンには、1768体ものキャラクターがあり「最もキャラクターの多いアニメシリーズ」としてギネスに認定されているそうです、多くは一度きりの出番でした、画像は「仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール」から、仙台は「杜の都」バックには大きな木が描かれています、守り繋がりですね。

描かれているのは主な登場キャラクターです
「アンパンマン=暗反満=吾を飲み込みパ(八・波)を飲み込み真を飲み込む」
「バイキンマン=倍金慢=お金を増やしておごり高ぶる者」
「ジャムおじさん=邪(蛇)無おじさん=良心的な人」
「バタコさん=
「ドキンちゃん=
「ショクパンマン=蝕反満=むしばみを反し満たす」
「カレーパンマン=日霊パン満=太陽の霊気でパンパンに満たされる」
「加齢反=若返り?」
「メロンパンナちゃん=
「SLマン=蒸気機関車=火と水の力=火水(ひみつ)の力」
「てんどんマン=
「めいけんチーズ=
「ロールパンナちゃん=

この世界は、色々な個性や役割を持った人達(存在)が組み合わせられて成り立っているのだろう、「アンパンマン」はとっても奥が深い漫画だった。

今朝は早くから電話が有った、急ぎの仕事で出勤したらコンプレッサーが動かないと、それからもう一人電話が有った「きてけろくん」の中身を探している同級生からはビルに備え付けのスピーカーの音ががうるさいので事務所だけでも何とか成らないか?と、
今日は相談の電話が多い、祭日にお仕事ご苦労様です。

今日は、私のお婆ちゃんの命日でも有りました。感謝

そう言えば2月8日に手塚治虫さん原作のアニメ「ブッダ2・終わりなき旅」が公開、テレビを見ていたら特別番組を放送していましたが2月8日は手塚治虫さんの命日だったのですね、沢山の素晴らしい作品を有難うございました。合掌

ユーミンの事を書いていたら、中島みゆきさんの事が気になって来た、年齢の事で恐縮だが現在60歳の還暦を迎えていた、昭和を代表する歌姫の一人であると思っている、今年は2013年、平成二十五年であるが、は昭和で言えば「昭和88年」に当たる年でもあるらしい、二十年に一度の「伊勢神宮の神宮式年遷宮」も重なっている、何やら色々な節目がシンクロしながら重なっている様な感じがしてくる。

中島みゆきさんのデビューアルバム「私の声が聞こえますか」は1976年4月の発売、この年に何が有ったのか調べてみたら同じ4月に「アップルコンピューター」が設立されていた、これにはびっくりである、長年アップルのMacを使っている私としては何やら因縁を感じてしまう。

以前も書いた事が有ったが「中島みゆき=中島御幸」ではないのだろうか、「御幸」と言えば「天皇の行幸」であり「中島みゆき=国の中を天皇が巡られる=この国の(世界の)大切なものを体現し伝える」役目である、ユーミンの所でも書いたが「私の声=地球の意識」で有ろうか、天皇と言えば「アマテル」、中島みゆきさんには「アマテル神」のイメージが漂っている。

彼女の歌に、命をイメージさせる歌が多いのは、実家(父親)が「産婦人科」だった事である事からではないかと思われる、命とはかくも不思議なものである。

デビュー曲となっている「アザミ嬢のララバイ」、「アザミ」の花言葉を調べてみるとどちらかと言えば重いイメージが多いが、ここでは「あざみ=あさみ=朝見=夜明けを見る」、「アザミ嬢のララバイ」は「夜明けを見せる女性(母性、母星、地球)の安らかな子守唄(包まれている)」の様に思えてくる、今まで人は「あざみ=痣見=他人の痣」「浅見=表面だけしか見ない」、地球(この世界)のマイナス面を浅く見て来ただけなのかも知れない。

書きたい事は沢山有るが、歌を聴いてみるのが一番だと思う、赤ん坊が母親を思う様な気持ちで聞いてみれば、彼女(地球の母性)の声(わたしの意味)が聞こえてくるのかも知れない、この頃の記事を見てみると「私の声が聞こえるか」と言われているみたいな事ばかり書いている?ではないのか。

今朝の記事に、ジブリの新作「かぐや姫の物語」の公開が、夏から秋に延期になる様です、どのような作品になるのか楽しみですね。

ユーミンが先の対談の中で、「ひこうき雲」はデビュー曲なのでこのために40年やってきたのかも?と、ユーミンにとっても「ナウシカ」は衝撃的でありその後も何かとジブリ作品にはシンクロニシティが続いていると、「ホツマツタエ」を読んでいるとこれらに共通する様に感じられる幾つかの共通点が浮んでくる、そしてその背後にあるのが「地球=母なる大地と親なるもの=命の根底に流れる共通するもの」の日本的な感じ方ではないのだろうか。

ユーミンの「ひこうき雲」とホツマツタエのヤマトタケが残した辞世の句が何故か良く似ている気がする、何故だろか、そしてそこから続く物語も何故か繋がっている様な。



荒井由実「ひこうき雲」

作詞 荒井由実
作曲 荒井由実

白い坂道が 空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む

著作権の問題が有りそうなので気になる人は調べて下さいね。

ヤマトタケ作「アツタノリ」

いなむとき  キツのシカジと    辞む時   東西の使者と
タラチネに  つかえみてねど    両親に   仕え満てねど
サゴクシロ  カミのヤテより    サゴクシロ カミのヤテより
ミチうけて  うまれたのしむ    道受けて  生まれ楽しむ
かえさにも  いざなひちどる    帰途にも  誘い路辿る
カケハシを  のぼりカスミの    架け橋を  昇り霞の
たのしみの  クモイにまつと    楽しみに  雲居に待つと
ヒトにこたえん           人に答えん


共通するのは
1、人生の道半ばにしてこの世を去る事
2、ゆらゆらとかげろうが霞の様である
3、雲の架け橋を登って行く事
4、空に憧れている事
5、たった一人で旅立つこと
6、人生を悔やんでいない事
7、死を恐れていない事

短い歌の中に幾つもの共通点がある、歌とは不思議なものですね。

「ホツマツタエ」ではその後にこんな物語が続きます。

能褒野(三重県亀山市能褒野神社)でヤマトタケの葬儀がの準備をしていた処、一羽の白い鳥が墓から飛び立った。棺を見てみるとヤマトタケの遺品が残り遺体が無くなっていた、臣たちはあわてて白い鳥を追いかけた、白い鳥は大和の国の琴弾き原(奈良県御所市白鳥陵)に舞い降り、長い尾羽を四本残して飛び去って行った。次に古市(大阪市羽曵き野市白鳥陵)に降り立ち、羽根を四本残して飛び去り雲間に消えてしまった。

後日、ヤマトタケの父オシロワケが、神上がった息子ヤマトタケの不思議な夢を見た、それが「ホツマツタエ」を編纂するきっかけになったのであるそうな。

「わがひかる はらみつにしき あつたかみ もとつしまはに をれるかひかわ」直訳すると
「わが光る 原見つ錦 熱田神 元つ縞依に 織れるか氷川」となるらしいが、私には難しいので鳥居礼さんの訳を借りると
「わたしは光り輝く金銀をちりばめた、原見山の山葉留色綾錦織の服を着て熱田神となった。しかしわたしは、もともと縞模様の民の服を着て下民となった氷川神(ソサノオ)だったのです。いま元の服装に戻ります。 最後にお願いが有ります。宮廷に伝わる「香久御機の文」を編纂して下さい、、、。」ヤマトタケはこの歌を三回読んでから下民の姿になって雲の間に隠れてしまった。

この歌を「ホ妻の心」的に解釈すると、この地上を治める神様、氷川神(ソサノオ)の想いになっているのではないのか?、多分に意訳のし過ぎでは有るかも知れなと思うが。

「今のわたしの体は、錦の色をまとった様々な光り物(夜の照明や様々な色の構造物、けたたましい騒音などの過度の人工物か?)を身に纏っている熱田神(ヤマトタケ)であるが、元々は(前世は)縞模様の下民の衣装(民の事を青草人と呼んでいる、草木染め(藍色や若草色の質素なものが多かったのかも知れない)を着て野に下った(高天原を追放されて地上に降りて更生する事ができた)氷川神(ソサノオ)の生まれ変わりである、奢りを捨てた本当の姿を伝えるために後世に伝える文を織りなしてほしい。」

「ホ妻の心」的姓名鑑定は以前も書いた事が有るが、今回はユーミンとソサノオとヤマトタケの関係に焦点を当てて妄想を膨らましたてみました。

1、あらいゆみ=荒井由実=あらい=荒い
ソサノオは「荒ぶる」神として恐れらていた、気性が「荒い」のだったのである、物語では後に下民(地上人)となり経験を積みながら更正して天上(高天原)へ帰って行く、また地球が今の様な生態系を維持する為には時々地震や雷雨、台風などが欠かせない一面もある、生態系を維持する仕組みは時として人には過酷な神のたたりと映る場合が有ったのだろう、これが罪(積み、天が下に積ったもの大地を司る責任)と勘違いされてしまったらしい。

2、「あらい=洗い=汚れたものを洗い流し浄化する」働きがある、荒ぶる神とは一方では浄化の神でもある、ユーミンの歌にも同じ様な力があると思う。

3、ユーミンの歌には春や桜色が似合う、ソサノオは春、サクラの花の元で生まれている、生まれた時に付けられた名前は「ハナキネ」キネとは男の子に付ける、ソサノオはヤマトタケ(ヤマトタケの生まれた時の名はハナヒコ、兄はあまり体が丈夫ではなかったが弟のソサノオは二十人力と呼ばれた)に生まれ変わり「ホツマツタエ」を伝えて欲しいと云い残した、「あらい=現意=想いが現れる」ちなみにソサノオもヤマトタケも「わか=和歌=若々しさを保つ歌=歌」の名手だった、日本最古と言われる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣わ」はソサノオの作である。

4、荒井由実から松任谷由実へ、駄洒落で申し訳ないのだが「荒い性格から結婚して真っ当や」に変わった、地上に降りたソサノオも、八岐大蛇を退治して助けたイナダヒメと結婚する事で更正している。

5、「まつとうや」=「ま=真=真理」「つ=津=寄せる」「ト=整う」「う=大いなる」「や=人」だとすれば「松任谷=まつとうや=真理が寄せて大いなる整いの人」になる、「荒井」から「松任谷」は随分と大人になっている、そして歌ではいつも何か(誰か)を「待つ=松」っていた、人魚姫の様に。

6、「由実=ゆみ=弓=矢(ヤ、人)に力と方向(目的、目標)を与える」「ツルを弾き鳴らす事で穢れを祓う、宮内庁にはお産の時などに弓を打ち鳴らす鳴弦の儀が伝わっている」「弓の材質は桑の木、桑は蚕の食べ物であり蚕から絹が作られ織物になる、呉服屋と縁ありか」と「ゆみ=湯身=ほんのりと桜色に成る様な優しさ」「ゆみ=喩味=気付きに導く巧みな表現」はずっと変わっていない、そして「ゆみ=有実=生身の体=神の果実=人」湯で身を清めるので清めの意味があるのである。

7、「ユーミン=遊民=さすらい人」下民として地上に追放されたソサノオは「サスラ=流人」となってさまよい歩く旅の途中で八岐大蛇を退治している。

8、ユーミンは八王子の出身、ソサノオは父イザナミと母イザナミの子供でありアマテルとは兄弟である、彼の立場は「王子様」である、そして「八王子」と言えば「クニトコタチの八人の御子=トホカミエヒタメ」のこと、霊的地場?の強い所である。

9、ユーミンの実家は「荒井呉服店」、呉服と言えば和服、和服と言えば織物、織物と言えば縦糸と横糸、縦と横と言えば神と人、神と人と言えば十字架、「ホツマツタエ」では文を編纂することを「織る、又は紋なす」と言っている、各章は紋、政治も織物に見立てている。

10、ユーミンの歌には「秘められたものを解き放たれる、目覚め」のイメージがある「今は夢を見ている仮の姿」なのだろうか、「ホツマツタエ」にこんな廻り歌がある。

ながきよの とをのねふりの   永き世の 遠の眠りの
みなめさめ なみのりふねの   皆目覚め 波乗り船の
をとのよきかな         音の善きかな

波乗り船とは地球のこと、ユーミンは自然と遊ぶイメージがある「サーフ天国スキー天国」然り、コンサートツアーも海あり山ありだ、海も山も水遊び、芦原のなかつくにとは地球のことだとすると守護神はソサノオである、そして目覚め。

う〜ん何だかかなり無理矢理の感は否めないが、何か心当たりが無いものか本人に聞いてみたい様な気もするが、でも叱られたらどうしようか、すぐに削除致します。

忘れていたが「かぐや姫の物語」ほ原作は「竹取り物語」である、「竹=タケ=ヤマトタケ」繋がりだろうか、「大和=ヤマト=ヤ(人)マ(真)ト(整う)=人と真理(神)が整った姿=真の神人」+「タケ=成長が早く真っ直ぐな=武=優れた人物」なのだろうか、「ヤマトタケ=文武両道に優れながら和を尊ぶやさしい人物」である、「古事記、日本書紀」にでてくる日本武尊は父親の景行天皇と何やら確執が有るが、「ホツマツタエ」のオシロワケとヤマトタケはとても良い関係である、また「竹=成長が早い」「竹=ちく=蓄=富を蓄える」、「タケトリ」とは何だろうか、物語の後半で月からの使者に全く歯が立たなかった、「たけとり=武取り=力を削がれる」これは考え過ぎだろう。

鈴木さんが言っていたが「かぐや姫はハイジである」この事は「ホツマツタエ」にも言える「ソサノオは高天原から地上に下り再び帰って行く」「ヒルコヒメは一度捨てられて拾われる」何故か人には「転生=環境を変えて成長する、それも苦労して」が例え無神論者だと言いながらもトラウマのように付きまとっている、そして神と人との間にある何者か、例えば宇宙人の様な存在が人類に智慧を付けたのではないかと。

何だか、かぐや姫の事を書いているうちに「中島みゆき」さんの歌が聞きたくなって来た、もしかしたら何か関わりが有るのだろうか、彼女の歌はかなり神道系な気がするのだが、そう言えば「泣かないでアマテラス」などと言う大胆な歌まで有った、アルバム「EDST ASIA」などはそのまんま日本じゃないのか、調べてみたら「竹の歌」まである、かぐや姫とはきっと何処かで繋がっているぞ。

さて、今日の記事に載せてある画像に共通するのは「蒼き衣」である、以前の記事でも書いた事が有るが「蒼き衣と金色の輝き」は「母なる地球と太陽(月)」のイメージがある様に思える、多分この時代のこの時期に起きている「終末と再生のイメージ」と関係が有る様に思うのはそのせいかもしれない。

「その者、蒼き衣を纏いて金色の野に降りたつべし 。 失われし大地との絆を結び、ついに人々を清浄の地に導かん」、伝説は誠であった!


『心身の神癒」でキリストはこんな事を言っている
第十二話
14 心がどんなに縛られているかを知るには、信仰に凝り固まった心の中を見詰めさえすればよい。まこと、これが神我が世に顕現するのを妨げている無知であり、分離と闘争との原因である。
15 まことにその通りである。幼児期においてさえ心はもろもろの制約された信仰を詰め込まれており、その後ずっとその子は神我を窒息させる様な信仰を持ったまま、成人する。(しかし)その魂が自己自身に内在する力に目覚め、これを認知する様になって始めてそれは自由となりうるのである。その時その魂はこれらの制約された信仰や(今まで影響を受けていた)他人の考えをかなぐり捨て、そのけばくより脱し、太初(はじめ)からあった言葉を顕現(あらわ)すようになる。


タイトルのユーミンの「人魚姫の夢」であるが、物語では人間の男性に恋をした人魚姫が永遠の命と引き換えに人間になる物語だったと思う、ジブリ作品の「崖の上のポニョ」、テレビ放送の時に録画しておいたが最後の部分が何故か切れていた、多分ポニョは人間になれてめでたしめでたしだった様な。
で、「人魚姫の夢」は叶うのだろうか、物語には二つの役割がある、一つは「真実を覆い隠す為に語られるもの」もう一つは「真実を伝え明らかにするもの」である、問題をややこしくしているのは「作為的に仕組まれた嘘と、善かれと思いながら勘違いされてしまったものの区別がつき難い」事ではないのだろうか、例えば「この世で起きた出来事は偶然なのか必然なのか」「善と悪」この二つを区別する為の物差しはあるのだろうか。

注意が必要なのは「一方が開けばもう一方が閉じる」「逆もまた真なり」、反対にすれば良いのではなく本当に良いものとは何か、方向が整うとはどう言う事か、が難しい処である。

ユーミンの歌に度々現れるイメージに「回帰」がある、「人魚姫の夢」の中にも「私を目覚めさせるために」があり「78」では「太古の昔に無くした全ての力をここに取り戻す」などを考えると「元々有ったものが隠されている=真理が覆い隠されている=時やきっかけが有れば明らかになる」と彼女の感性は語っている。
もう一つは「優しい腕の中」「だれか優しく肩を抱いてくれたらどこまでも遠く歩いて行けそう」そのきっかけになるのが「時もしくは貴方=神=男性」の出現を未だに待っている、永遠の恋する少女ではないのか、未だに「人魚姫=魚=魚座」に住んでいる。

ホロスコープ的には「2000年間続いた魚座、キリストの時代から、水瓶座に移る」らしい、「今までの魚座と言えば、頭を反対に向けた二匹の魚、相対、逆、個別の時代から、水瓶座=水の様に全体を一つに包み込む分離の無い一体の時代」になるとか、やっとここで彼女は「片思いの恋する乙女から大人」になれるのだろうか。

今年は二十年に一度の「神宮式年遷宮」の年である、「人魚姫」や「かぐや姫」にとって成人とは何だろうか「襲いくる 痛みだけが 生きているということ」とすれば「出産=産みの苦しみ」がもたらすものがあるはずなのだが。


これから何が起きるのだろうか、適切な言い方はわからないが強いていえば「見える物と見えないものの融合が理解出来る」様になるのだろうか
「やさしさに 包まれたら きっと 目に映る全てのことはメッセージ」今まで私達は神様は目に見えないものとして学んで来た、しかしこれからは「この世界は目に見える神様と目に見えない神様に優しく包まれている」ことが実感されてくる機会が多くなるのだろう、実際そうとしか説明の出来ない事が多すぎるのだ。

「神様(精神)を崇めて自然(肉体)を粗末にして来た、もしくは目に見える物しか信じられずに(物質主義)神様(目に見えないもの)を否定して来た時代は双方が行き詰まってしまっている」とすれば、前者には肉体(自然)の大切さを気付かせ、後者には目に見える物だけが全てではなく、見える物は見えないものを足場として存在出来ている事を知ることになるのだろうか。

「心身の神癒」
第三話
あなたたちは自分が久遠に生きるものである事、自分が生命そのものである事、大生命から離れては生きえないこと、を今までに考えたことがあるだろうか、あなたたちの意識は大生命が肉体の中に自己顕現する媒介なのである。肉体も又大生命を離れては生きることはできない。意識は大生命それ自身の中に在あり、裡にあって指図する力である。「わたしは生命である」。

妄想いっぱい膨らましました、ユーミンさんにもジブリさんにも、その他の沢山の出来事にも沢山沢山有り難う、感謝です。

「ピダハン」を読んでみた、アマゾン川の流域の少数民族、彼らの言葉には「数」「左右」「色の名前」がなく「神様」も「創世神話」も無い、しかし彼らは筆者の出会った人達の中で最も幸福そうに思える、と、人は何故存在しているのか、言葉とは、「数(分離)と言葉(統合)が二柱の神様の国二本」に生きている私達、摩訶不思議なものである、激動の時代ですね、御読みくださり有り難うございます。

楽しみにしているポッドキャスト「ジブリ汗まみれ」で新作映画の話とユーミンがゲストで鈴木さんとの対談が新しく配信されていた、今日は日曜日なので起きるのを延ばして布団の中で聞いてみた。

今年封切られる予定の新作のタイトルは、高畑勳監督の『かぐや姫の物語」宮崎駿監督の「風立ちぬ」の同時公開になるとの事、ユーミンはデビュー40周年を記念して「日本の恋とユーミンと」CD+DVD4枚組のBOXをリリース。

聞いていて不思議な共通点に気が付いた、ユーミンのデビュー曲「ひこうきぐも」が「かぜ立ちぬ」で使われる可能性が語られていたが「ひこうき雲」の女の子は空に憧れ空を駆けて行く、どちらの作品も空に関係が有る、対談の中でユーミンが私の唄とジブリ作品との「シンクロ二シティ」について語っていたが、私のブログがスピリチュアルっぽくなってしまったきっかけがユーミンの唄「朝陽の中で微笑んで」だったことも有るのでとても気になるのである。

ユーミンさんと鈴木敏夫さんのトークの中で、今回のBOXのタイトルは「日本の恋とユーミンと」よりは「日本の恋と青春とそしてユーミンと」がいいのではないのかとと言っていた、ユーミンのお陰で皆恋をしなくてはならなくなった、たぶん私もユーミンの恋のマジックにかかっていたのだと思う、「この世に生まれそして死んで行く事は永遠の魂にとっての胸躍る青春の一時なのかも知れない」、と遅い子育てをしながら思う今日この頃であります。

日本的な恋の原点は「ホツマツタエ」と奇妙なシンクロニシティが見られるように感じられる、「かぐや姫の物語り」で語られる「秘められた罪と罰」、「風立ちぬ」の「矛盾を抱えながら生きる意味」も気になる、「恵天」的には「罪と罰の概念が変わる、宇宙人を透して見る自分の真実」と「矛盾は無くする事は出来ないがその影響をなるべく小さくする事が出来る人の可能性」「見えないものと見えるもの」を問う作品ではないかと予想しているのだが。
「かぐや=香しい人=人は誉れ高い、ひめ=秘め=隠している」「人の本質はとても素晴らしいものであるが長い間隠されて来た」、「風立ちぬ=かぜ(運動エネルギー)がたっている(竜=流れる、動く)=現実の動きとなって現れている」「いざいきめやも=積極的に生きることと悔いなく死ぬ事は同じ事ではないのだろうか」、二つは同じものを違った角度からアプローチした一組の作品になっているらしい、今を生きる人の原点を問う物語であると、期待が高まりますね、宇宙人は今とてもタイムリーなテーマですよ、押井守る監督が敗北宣言をした「アバター」には沢山の試が入っていた、もし自分がアバターなだったとしたら心の中に語りかけてくる声(意識)は一体誰なのか、「時代は今、うまく表現できないけれど何か感じる」夏の公開が楽しみですね。

もう一つ、二作品の同時公開について「1+1=3以上、二本で一つなら記録更新」と言っていた様な、これも日本(二本)的である、一本の箸では突き刺す事は出来ても掴む事が出来ない、片方の手では掴む事は出来ても抱く事は出来ない、一人では抱く事は出来ても抱き続ける事が出来ない、二本、二人である事が重要なのである日本とは。

注:
1、カミ、何故か一般的な「神」よりも「カミ=上=根源=究極の御先祖様」と言ったイメージの方が日本的な感じがする、上古において「カミとヒト」の区別が無かった様な感じ?、「究極の両親」的な感じで読んでみると理解し易い気がする、でもどうしてこんなに日本の神様は美人に弱いのだろうか、でも女性は積極的で献身的でもある、どちらかと言えば「ホツマツタエ」は男達よしっかりしろである。
2、第一話
69 キリストはあなたたちの中に在るのであって、外部からのものは何ら役には立ちえない。一つの魂が進化すれば全人類が高揚する。それは全人類がひとつになるためである。


以前も書いた事が有るのですが「ホツマツタエ」の冒頭には恋の歌が有ります

シワカミの こころホツマと    四八神の   心火妻と
なるときは はなさくみよの    成るときは  花咲く御代の  
はるやきぬらん          春やきぬらん

かなりの意訳です
「言葉の神様から生まれた人の心が、神様の妻の様になった時、この体は花が咲く様な想いで一杯に成るのです」

注:シワカミ=始環の神=循環の初め?又は始波=波の初め?どちらにしても根源的な意味があるらしい、私は「四ハ神」言葉の根源的な四十八神ではないかと思うが、初めに言葉ありきにも通じる、「しわ」には沢山のイメージが込められている、ホツマツタエでは、人も言葉の組み合わせで出来ていると考えられているので「シワカミ=人」でも大きな間違いではないかも知れない。

「ホ=火=日=神、ツマ=妻=月、日の光を受けて光るのが月=夫婦」「はる=春=張る」
「ホ(神)ツマ(妻)の心」って何なんだ、普通神様と言えば「苦しいときの神頼み」とか「厳格で厳しい」イメージが有るが「ホツマツタエ」の神様はちょっと違う、ユーミンの歌で言えば「朝日の中で微笑んで」とか「優しさに包まれたなら」「あなただけのもの」「恋のスーパーパラシューター」「きっと言える」「空と海の輝きに向けて」etc etcの恋心ともう一人の歌姫「中島みゆき」さん、彼女の歌からは表と裏のコントラストを沢山学ぶ事が出来る、そして「小田和正」さんからも、「宇多田光」さんもいた、その他にも多くの人の歌が解け合っている、神様に恋をしてみよう、花咲く御代のはち切れそうな想いは何と言っても自然と遊ぶ(ソサノオに恋する)ユーミンが一番良く似合う。

三月三日と言えば「桃の節句」、さくらの花も薄紅色、どうしてこの色が心地いいのか考えてみた「桃色=桃=百=も=最=沢山=藻=茂=母」、イメージとしては「大きなものに包まれる様な安らぎの色=母の様な」では無いだろうか、桃色は「父の白と母の赤が混じり合った親(子供を包む)の色」として記憶されていると思う、そして「桃尻=おっぱいとお尻は母性の象徴であり、固い殻に包まれた大きな種は妊婦のイメージ」が有るので桃太郎のお話が出来たのではないだろうか。

桃色は「大人の女性、そして優しい両親をイメージさせる色」、でしょうか、三月三日の「ひな祭り」は婚礼を模した行事であるらしい、「ひな=一〜七=人(一〜十)になる前」に「母性」について学ぶ機会が有った方が善いと先人達も考えたのだろう、それも「はる=張る=春=恋心が膨らみ花開く季節」である、春よ恋は大人への誘いなのでしょうか。

桃と言えば、夫のイザナギが、死んだ妻のイザナミに会う為に葬られた墓所に行ったが、話がこじれてイザナミは怒ってしまった、醜い醜女8人に追いかけられたイザナギは桃の実を醜女に投げつけると醜女達は逃げ去ってしまった、この事からもわかる様に桃には邪を払う(桃色の桃の実は命の実なので、黄泉の国の者達は苦手なのだと思う)効果が有る様だ。

ユーミンの歌は、人の恋心を上手に使って「人が持つ神様への思慕の想いを誘っている」のでしょう、その先には「とつぎによる永遠の実現」が有ります、「こい=濃い=関係が深くなる、そして人の心の種(ト=整う)を子孫に伝える嫁ぎ」、暮らしが今より野性的で大変だった時代は「命を繋ぐ」事に対してずっと真摯だったと思われます、乳児の死亡率も高く今の様な十分な治療も受けられない「自己責任」の意味もずっと重いものだったと。
「ホツマツタエ」の世界の中では、より確実に命を伝える仕組みとして「仲人による婚姻」の仕組みが有り、それを支える様に各種の役割が与えられている様に思われます、「仲人」と言うと時代劇の「政略結婚」的なイメージで「自由が無い」と思われて来ましたが「ホツマツタエ」の中では「それぞれの想いを尊重しながらより善い方向へ導く工夫」が満載されています、神様なんて古くさいと言わずに神様に恋をしてみましょう。

「日本の恋とユーミンと」時代は今、恋する乙女(魚座=一人)から親(両親、水瓶座=包み込み守り育てる)へと成長しようとしている、もしこの時期「アセンション」が起きているとすれば「子から親への意識の変化、守られる立場から守る立場へ」では無いのだろうかと。

日本の神話には何故か「星、星座」のイメージが弱い、西洋では「星=星座=神様」であり人は神様に翻弄されている(弱者)の様な?イメージが有りますが、「ホツマツタエ」では「星=子供=子孫」と考えられていた様です、「日=父=ア、月=母=ワ=地、星=子=ヤ=人」ちなみに「崖の上のポニヨ」でポニョのお母さんが「私達は泡(あわ=あ、父とわ=母、から生まれたと言っている」(地球の水は月から滴ったとホツマでは言っているので、月=地なのだろうか)面白い事ですね、良い意味で自分のいる所が宇宙の中心です。

西洋では「人は星(神)に翻弄される」のですが、日本では「親(神)が星(子、人)を育んでいる」とすれば「日本の神様には親としての責任が有る」が「子供を育み育てる事が悦びである」とも感じられる「日本的なものとは、神と人との関係が親子である」なのでしょう。

仏教では「出家による家族の断絶」がありキリスト教には「創造主と造られたものとしての断絶」があるのかと、私が「ホツマツタエ」を面白いと思ったきっかけは「在家であり親子関係である」様に感じたからでした、しかし学んで行くうちに根底には同じ様な共通した何かが有る様に思えて来ます、対立するのは相手も自分もよくわからないから、この事は私もまだまだ道半ばであります、「日月神示」にあった「元は良いのだが引き継ぎが良く無い」、つまり真理は一つで有るが解釈が様々で間違えて伝わってしまい易い」と言うことのようだが。

何故かこの頃はあまり宗教が気にならなくなって来た様な気がする、人の体に色々な部分が有り協調して一人の人間を形作っている様に、それぞれの宗教もそれぞれの役割が在って存在して来た様にも思える、それぞれが生まれ育った気候や風土によって同じ一つの地球の上で有りながらも生活で気をつけるべき事は微妙に違っていたのだろう、情報化社会の中で、居ながらにして世界の様々な暮らしを知ることが出来る時代が訪れたのも偶然ではない様な気がするが、世界は確実に何かを共有している、多くの人がそう考える様になってきた、グローバルでありボーダーレスであるとはそう言う事らしい。

ハリウッド映画に変化が起きていると言っていた「人が人殺す映画が作り難くなった」のだそうである、世界大戦を経験する前は、人種が違えば人間ではないのかも知れないと思われていた(教えられて来た)が、戦いが終わってみると相手も自分達と同じ様な人間である事に気が付いたのである、それからだろう、その後戦地に赴いた兵士達にPTSDなる心の病が起きる様になったのは、こんな事を言っては何であるが、「世界は大戦と言う大きな代償を払って人類の見方を変えた」のだろうか。

ヤマトタケの父、オシロワケが夢から覚めてこう言いました。

カミのツゲ  ワレはいやしき    カミの告げ  我は賤しき
ヒカワカミ  モトにカエると    氷川神    元に帰ると
メグミこる  マヨヒをさとす    恵み凝る   迷いを諭す
シメシなり  ムカシいわくは    示しなり   昔曰くは
ヒトはカミ  カミはヒトなり    人は神    神は人なり
ナもほまれ  ミチたつノリの    名も誉れ   道立つ法の
カミはヒト  ヒトすなほにて    神は人    人正直にて
ホツマゆく  まことカミなり    ホツマ行く  誠神なり

ホ妻の心的意訳

神(上)様からのお告げが有った
私は今、祟り神と恐れられている氷川神(ソサノオ)である
しかし、本来の姿は命を育み恵みをもたらす存在である
この文「ホツマツタエ」は人の迷いを諭す示しである
古の言葉に有るのは
人は神によって人になり、神は人によって神となる
人としての道(役割)を守れば、その名は誉れ高いものである
神と人の関係が整えば(神が夫、人が妻となり)
人が本来の自分に正直なって 神様の妻として正しく生きることが出来る
それが本当の神人(夫婦、男と女、白と赤)の姿なのである

素直に生きる人は神と同じ、混ぜ合わせれば桃の色(もも=最茂=最も豊に茂る)、そう言えばユーミンはピンク色の服を着ている、さすがですね。

「日本の恋とユーミンと」40周年おめでとう、で有ります。

ユーミンの恋とホツマツタエのシンクロ、本当にこんな事があるのでしょうか、次の「人魚姫の夢が叶うとき」もあわせて御一考ください、まるで都市伝説みたいになってしまいました、「オシテ」研究家の池田満さんには完全に無視されそうな解釈です、う〜んご迷惑でなければ良いのですが。
昨日は朝から冷え込んだ、いつもの様にチャ太郎君と朝の散歩に出かけてみると、なんと西山に雪が降っていた、もう直ぐ冬将軍の足音が聞こえてくる、朝起きるのが辛くなり始めた今日この頃である。
近頃は何故か若い頃に聴いた曲を聞く機会が多い、今日も仕事をしながらユーミンの曲を聴いていた、そう言えばある時期を境にアルバムを買っていないのを思い出して近頃はどんな曲がリリースされているのかをネットで調べてみた。

ヴィキで調べてみると私が持っているアルバムは、1973年の「ひこうき雲」から1992年の「TEARS AND REASONS」までの24アルバムが全て揃っていたがそれ以降発売された12枚のアルバムは一枚も買っていないではないか、何が有ったのだろうか。

そして始めてユーミンのオフィシャルサイトを覗いてみた、何と今日「7月5日」はユーミンのファースとシングル「返事はいらない」の発売日、ユーミンデビューの日、何と言う偶然?である。

このブログで「スピリチュアルっぽい事」を書くきっかけになったのもユーミンの「朝日の中で微笑んで」だった、ちなみに「返事はいらない」のB面(死語?)の「空と海の輝きにむけて」は書いている本人も良くわからないままに書いたと言っていた様に思うが、何かが有る〜!

確かにこの頃の歌には「誰に向かって歌っているのだろうか」と思ってしまう様な歌が多い気もする、色々なイメージが湧いてくるのは何故だろう。

ユーミン様、いつまでもお元気で。感謝

オフィシャルサイトの画像、お借りしました m( . . )m

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