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悠仁親王おめでとうございます

秋篠の宮家、男子誕生でことのほか国民は安堵と喜びに浸っています。そして、
「悠仁」という名前をどれほど待っていただろうか。心からお喜びいたしたいと思います。
2006.09.12:sasuke:コメント(0):[::日々感じること]

遅くても我が家のハスが咲きました。

  • 遅くても我が家のハスが咲きました。
研修で北海道へ行って留守の間にこんなに綺麗な、そして高貴な香りとともに咲いてくれました。昨年植えたばかりなのでこんなに早いとはびっくりしています。
早速仏壇へ供えたことは当然です。
2006.09.06:sasuke:コメント(0):[▼さすけの徒然日記]

農業青申会・雪印種苗で研修

  • 農業青申会・雪印種苗で研修
2年に1度の農業青申会研修が9月3~5日、札幌方面ということでOBの我々にも参加要請があり快く同行させてもらいました。場所は札幌市厚別区上野幌にある雪印種苗本社でした。敷地内にはバター誕生の記念館や「現金出納簿」の発案者と言うべき旧出納邸もあり歴史の深さを感じました。
研修では、そうした歴史や会社の経緯・会社としての育種に関する内外情勢や研究取組みについて園芸センター長・桃野さんから説明を受けました。随所に北海道開拓の面影を垣間見ることが出来ました。右端が説明をしてくれた桃野さんです。
2006.09.06:sasuke:コメント(0):[▼さすけの仲間たち]

日鍛バルブ役員来訪

  • 日鍛バルブ役員来訪
長井市が進出企業として招致している日鍛バルブ幹部の方々が現地を視察なされるということで地元地区役員の方が誘致に向けた要請を行いました。社長さんからは懇切に会社の現況や前向きに検討中である旨のお話を聞きました。
限られた時間でしたが有意義な忌憚のない話し合いでとてもよかったと思う。願わくば一日も早くこの土地で操業が為されることを祈るものです。
来訪者(日鍛バルブ・奥見浩二社長、矢沢専務、高橋常務、小関参与)
地元・平田地区(菊地敏昭地区長、小笠原副地区長、新野前地区長)
市側(斎藤理喜夫商工観光課長、横山補佐、大沼係長)
2006.07.26:sasuke:コメント(0):[▼私たちの街・長井]

母、昇天す

去る9日、母「さと」が永眠いたしました。大正8年10月生まれ、享年86歳でありました。母は飯豊町中、佐藤家の生まれで昭和14年当渋谷家に嫁いできました。子どもは5人授かったけれど、長女と末弟は幼いときに他界したと聞きました。残された3人の私たち子どもを育てながら家業の農作業で一家の支えとしてがんばってきました。当時は養蚕・稲作と一年中農作業に追われていたと思います。
昭和27年義母を、昭和36年義父を、昭和40年夫を失い49歳で一家の柱として努めてきました。養蚕が衰退し農家も転換を求められ、母は農作業の傍ら機織りの仕事に精を出すようになりました。長井紬の生産であります。しかし、これも斜陽産業になり衰退、年齢も重なり趣味としての文化刺繍で余暇を楽しんでいました。平成11年、突然の軽い「くも膜下出血」で入院、施設生活と療養・リハビリに取り組み、ある程度まで回復したのでしたが一年もすると、本人は自宅での生活を強く求め在宅介護の日々を送ってきました。高齢も重なり近年はベットで生活することになり、週一回のディサービス、毎日の介護サービスに明け暮れてきました。
去る9日の夜11時ころ見回ったとき、異変に気がつき掛かりつけ医師の外田先生に来ていただき診察の結果、死因は「老衰」ということでした。
母は車酔い症がひどく、自動車はもちろん汽車にすら乗れば嘔吐するということで、何の楽しみがあるのかなあと思うこともしばしばでした。しかし、隣組の茶飲み友達とは頻繁に行き来してましたから、それが楽しみだったかもしれません。
母からみれば私たち兄・妹は思うがままのこどもたちではないかもしれませんが、母親の一生懸命生きていくことの誠実な心は見逃さず忘れていません。
これからも母に賜りました多くの皆様のご厚情に感謝申し上げますとともに、遺族としての私たちにも変わらぬご厚誼・ご指導をよろしくお願いいたします。
尚、戴いた戒名は「照月院寿光貞鑑大姉」でした。
2005.12.15:sasuke:コメント(1):[::日々感じること]