去る9日、母「さと」が永眠いたしました。大正8年10月生まれ、享年86歳でありました。母は飯豊町中、佐藤家の生まれで昭和14年当渋谷家に嫁いできました。子どもは5人授かったけれど、長女と末弟は幼いときに他界したと聞きました。残された3人の私たち子どもを育てながら家業の農作業で一家の支えとしてがんばってきました。当時は養蚕・稲作と一年中農作業に追われていたと思います。
昭和27年義母を、昭和36年義父を、昭和40年夫を失い49歳で一家の柱として努めてきました。養蚕が衰退し農家も転換を求められ、母は農作業の傍ら機織りの仕事に精を出すようになりました。長井紬の生産であります。しかし、これも斜陽産業になり衰退、年齢も重なり趣味としての文化刺繍で余暇を楽しんでいました。平成11年、突然の軽い「くも膜下出血」で入院、施設生活と療養・リハビリに取り組み、ある程度まで回復したのでしたが一年もすると、本人は自宅での生活を強く求め在宅介護の日々を送ってきました。高齢も重なり近年はベットで生活することになり、週一回のディサービス、毎日の介護サービスに明け暮れてきました。
去る9日の夜11時ころ見回ったとき、異変に気がつき掛かりつけ医師の外田先生に来ていただき診察の結果、死因は「老衰」ということでした。
母は車酔い症がひどく、自動車はもちろん汽車にすら乗れば嘔吐するということで、何の楽しみがあるのかなあと思うこともしばしばでした。しかし、隣組の茶飲み友達とは頻繁に行き来してましたから、それが楽しみだったかもしれません。
母からみれば私たち兄・妹は思うがままのこどもたちではないかもしれませんが、母親の一生懸命生きていくことの誠実な心は見逃さず忘れていません。
これからも母に賜りました多くの皆様のご厚情に感謝申し上げますとともに、遺族としての私たちにも変わらぬご厚誼・ご指導をよろしくお願いいたします。
尚、戴いた戒名は「照月院寿光貞鑑大姉」でした。
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