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ことばかけセミナーを受講したかたからお手紙がありました

ゆっくりペースで始めたことばかけセミナー
初回は、三回分位を詰め込みました。
体験が少なかったかもしれません


受講したからからの声を数回に分けて乗せたいと思います。
(ご本人の了解を得ています)


あらためて、受け手よかったなぁ、と実感しています。

一番は、行動の四角形です。
自分の受容線の上なのか、下なのかを意識するようにしています。
すると、なんとストレスにならないのでしょう!
受容線の下の時は、どれくらいしたなのかを自分で確認して、
そしてわたしメッセージを使うようにしています。
まだ上手くいかないこともありますが、
まずわたしのストレスがかなり軽減されています。そのせいか、家族もいつもより和やかな感じがします。


行動の四角形の受容線のどのくらい下なのか
これは、素晴らしい考えかたですね。
わたしにはなかった
なるほど

ありがとうございました。

その2も楽しみに



2019.08.21:おやコミ研究所:[おすすめ情報(講座案内など)]

自分を不自由にしているのは自分

 私たちは、思えば思うほど、その思考に近づいていくという能力を持っています。 
 いいことでも悪いことでも、強い思いは現実になります。
 それがいいことにつながれば問題がないけれど、ネガティブに作用することもあります。
 例えば「否定命令」という言葉があります。
 どういうことかというと「ダメといわれれば言われるほど、やりたくなる」ということ。
 「行くな」と言われたら行きたくなるし、
 「見るな」と言われたら見たくなる。
 同じように「考えるな」と言われたら、そればかりを考えてしまします。
 ・・・・・・ということは、

  あの人のようになりたくないって思うと、あの人のようになる。

 「あんな風にはなりたくない」と思えば思うほど、
 その人を意識して思い出して観察してしまいます。
 その人のイメージをずっと頭の中で描き続けて、
 いつの間にかあんなにイヤだったはずの人に近づいてしまいます。

 それは困るでしょう。

 じゃあ、どうすればいいのでしょうか。

  否定しなければいい。
  許可すればいい。

 つまりこういうことです。

  私は、あの人のようになってもいい。

 そう思うことが大事なんです。
 あなたにとって、いちばん「なりたくない人」「認めたくない人」は誰でしょう。
 会社にいる同僚かもしれません。
 もしくは「あんなにがんばったのに、褒めてくれない母親」かもしれません。
 でも、いちばん認めたくない人は、あなたの中にいるはずです。
 だって、それを絶対に認めたくないから、あなたは今までがんばってきたんですから!

 そんな小さな自分を、認めてあげましょう。大きな◎をつけてあげましょう。

 自分で制限をかけているから、どんどん不自由になるんです。
 だったら、それを開放してしまえばいいのです。


 私は、弱くてていい。
 私は、ダメでいい。
 私は、自信がなくていい。
 私は、かわいくなくていい。
 私は、大事にされなくていい。
 私は、嫌われてもいい。
 私は、仕事ができなくてもいい。
 私は、気がきかなくてもいい。
 私は、男(女・親)らしくなくてもいい。
 私は、愛されてもいい。
 私は、大切にされてもいい。
 私は、認められてもいい。

 「そうなってもいい」と自分に許可を出してあげてください。
 許可が出たときにはじめて「そうなってもいいし、そうならなくてもいい」と、
 自分でどちらかを選ぶことができます。
 ダメな自分も、いい自分も、どちらの自分も肯定できるようになるのです。

2019.08.10:おやコミ研究所:[親業会員情報]

「目の高さ」を変えると、見える世界が変わる


 「低層階にいる人は、高層階に行こう」
  そう言うと、
 「高層階ってお金持ちが住んでいるところ?」
 と聞かれることがありますが、違います。

 一言で言えば、高層階は「@引き算ラブ@」が住んでいる世界です。
 「罪悪感のない世界」です。自己価値が高いとも言います。
 高層階は、眺望抜群!だから俯瞰して物ごとが見られます。
 自分と相手の関係を客観的に見ることができます。

 一方、低層階は「@足し算ラブ@」が住んでいる世界です。
 罪悪感があり、自己価値が低い世界です。

 低層階の住人は、視野が狭く見通しが悪いので卑屈になります。
 「どうせ」という思いに包まれて、
 我慢して、苦労して、努力して、妬んで、いじけています。

 俯瞰して物ごとが見られないので、トラブルも絶えません。

 いつも不安で、イライラして、疑って、素直に愛情を受け取れません。
 問題でないことを問題にしてしまい、
 それを解消したくて頑張り続けてしまいます。

 低層階の住人と高層階の住人の違いは、
 視野が広いか狭いか、
 俯瞰して物ごとが見られるか、見られないかということです。

 つまりこれは、自分か「問題の渦中にいる」かどうか、ということです。

 視野が狭く、俯瞰して物ごとが見られないと、目の前の現実にふりまわされてしまいます。
 俯瞰してみられない人は、
 小さな小さなネズミも大きな猛獣に見えるかも知れません。
 高層階の住人から見ると、点にもならないネズミなのに。

 誤解しないでほしいのは、どちらか一方が「すごい」ということではありません。
 低層階に住んでいる人は低層階の考え方やモノの見方があり、
 高層階に住んでいる人は、高層階の考え方やモノの見方があって、
 どちらの目があってもいいということです。

 低層階の蟻の目と、高層階の鷹の目。


 つまり、低層階と高層階を自由に行き来できるようになればいいわけです。

 @引き算ラブ@は、これをするすると行き来できてしまいます。

 でも、低層階にいる@足し算ラブ@は、@引き算ラブ@が住む高層階がどんな世界かを知りません。
 だから拗ねてみたりバカにしたり、
 「常識がない」「ずるい」「ろくなコトしてない」「うさんくさい」と
 否定して、近寄らないようにします。

 行こうと思ったらエレベーターに乗るだけで簡単に行けるのに、
 かたくなに低層階に居続けるのって、すごくもったいないとおもいませんか?
 拗ねていじけて「高層階は自分らしくない」「居心地が悪い」と言っていても、
 それは自分の素晴らしさをわかっていないだけ。
 あなたには、もっとふさわしい場所があるんですから。

 あなたは、もっと大事にされて、豊かさを受け取ることが出来ます。

 それに気づいて「私だから、これでいい」と思えたら、
 低層階から高層階まで瞬時に移動が出来ます。

 私だから大丈夫

 そう言えたら、それは、あなたが本来持っている、本物の自信です。

 高層階からの眺めは、すごく見晴らしがいい!

 何より、自分自身を生きることが出来るから、毎日がすごく楽しい。

 だから早く行きましょう!


2019.08.10:おやコミ研究所:[親業会員情報]

「@足し算ラブ@」と「@引き算ラブ@」の違いは「ある」かどうか

どうして@足し算ラブ@は、そうまでして認められたいのでしょう。
 それは、「今、その状態じゃない」
「今、そういう自分ではない」と思っているからです。
 「ない」からすべて始まっています。

 愛されていない。
 かわいくない。
 しあわせじゃない。

 あれがない、これがないって「ない」ことばかりに目が向いています。
 だからその状態をどうにか埋めたくて、がんばってしまう。

 それでも望んだ結果が得られないと、
 「認められないのは、私の頑張りが足りないからだ」
 「かわいくないのは、私が頑張っていないからだ」
 と自分のせいにして頑張り続けます。

 頑張りが足りなければ、どうする?
 ・・・・・・もっと、頑張るしかないよね。
 頑張っても、まだ認められなかったらどうする?
 ・・・・・もっともっと、頑張るしかないよね

 「頑張る」には終わりはありません。
 「頑張る」以外の選択肢がないのです。
 「私の頑張りが足りないんだ」と自分のせいにしたり、
 「これだけ頑張っているのに、なんで認めてくれないの!」と
 相手にキレたりして、いつまでも頑張り続けるしかありません。

 言い換えれば「今、その状態じゃない」自分を、ずっと責めているとも言えます。


 では、@引き算ラブ@はどう考えているのでしょうか。

 私は、認められている。
 私は、愛されている。
 私は、かわいい。
 私は、しあわせだ。

 「もう、すでにある」「すでに私は持っている」が
 前提になっています。だから足していく必要がないのです。
 もう愛されているのですから、頑張る必要がありません。

 @引き算ラブ@は「女王様キャラ」といいましたが、
 女王様って特別の女のことではありません。
 特別に美人でも、頭がいいわけでも、仕事が出来るわけでもありません。
 @足し算ラブ@よりなにかすごく優れているわけではないのです。

 唯一違うのが、「ない」ではなく「ある」を前提にしているということ。
 これはもう自分で決めればいいことです。
 「ある」ことにするのです。
 「かわいいって思ってほしいな」
 「みんなから認めてほしいな」と
 他人任せにするのではなく、
 「私ってかわいいの!」と自分で決まればいいということ。
 そう信じればいいのです
2019.08.10:おやコミ研究所:[親業会員情報]

引き算するのが怖いのはなぜ?

 どうして@足し算ラブ@は、なかなか引き算できないのでしょうか。

 なにもしなくてもいいんだから、すごく簡単そうですよね
 なにもしなくても、認められる。
 しなければしないほど、勝手に周りがちやほやしてくるというのに。

 なぜ出来ないかというと、@足し算ラブ@は、引き算していくのが怖いからです。
 すごく怖いんです。
 だって、これまでの人生で、ずっと、
 「あれをしたら、愛される」
 「これをしたら認めてもらえる」と
 思って生きてきたのですから。

 今までずっと「○○をしたら、愛される」というように、
 条件付きの 人生を歩いてきたから、
 その条件を失ってしまうのは、すごく勇気が必要です。

 条件付きだから、周りの人に愛されている。
 条件がなくなれば、周りの人に嫌われる。
 ・・・・だって私だから・・・。
 心の奥では、そう思っているのです。
 だから、@足し算ラブ@は、いつも欠乏感でいっぱいです。


 料理が出来ないから、愛されない。
 手順を忘れてしまったから、認められない。
 言い方がきついから、話しかけてもらえない。
 
 認めれない理由なら、いくらでも出てきます。
 だから、
 料理が出来るようにならなけらば、
 手順は完璧に覚えなけらば、
 いいコミュニケーションをしなけらば、
 ガンバらなけらば・・・・って、
 あれもこれも出来る私をめざすことになってしまいます。
 足し算をせずにはいられなくなるんですね。

 しかしこれには際限がありません。
 だって、料理ができるようになったのに、まだ認められていない!って思ったら・・・・?
「料理だけじゃダメなんだ。じゃあ、掃除も洗濯も完璧にしなきゃ!」と
 もっともっと頑張るからです。
 
 聞いているだけで疲れてきますよね。
 それでも、@足し算ラブ@は、いつまでもどこまでも、あれもこれもと頑張ります。
 なんにもしない@引き算ラブ@と真逆です。

 これまで足し算で生きてきた人が引き算するのは、
 タケノコの皮を無理矢理一枚ずつ剥ぎ取って行くような物です。
 あれもこれも先回りして足して、分厚い皮を被って、張りぼて状態で、
 それでももっとどんどん足して、どうにか生きてきたのに、
 それをはがしていくのはしんどいこと。
 恥ずかしいことです。

 でも、剥がしていったら最後には、”本当の私”が顔を出します。
 その姿は、絶対に人には見られたくない 、自分も見たくない姿かもしれません。

 でもそんな分厚い皮は、剥ぎ取った方が楽だとは思いませんか?
2019.08.10:おやコミ研究所:[親業会員情報]