自己を正す

自己を正すということ

あらためて、おもいます。

 

また、正して「ゆく」ということも

あらためて、おもいます。

 

人間は、自分の軸というものをもっていようかと思っております。

それは、自分を守るという、ということでも使用することも「あり」ますが、

また、それは、本来の「軸」あるいは、本来の「動き」

ということを、自身に尋ねる、あるいは感じる「こと」も、「あり」ます。

 

 

成長にも、さまざまな「成長」が、「あろう」かとも思っております。

そして、それを、いちばん知って「いる」のは、「自身」で「あろう」かとも。

その「とき」に

必要な、「成長」

必要な、「こと」

どこか、奥底で、

知って「いる」ように、わかって「いる」ようにも、思っております。

 

そして、わたしは、人間が放つ「揺らぎ」ということ、

あるいは、「揺らぐ」時期

あるいは、「揺らぐ」なか

ということも、わたしは、ある種、必要なこととも

そして、「揺らぐ」なかで、見えて「くる」ものが「あり」ます。

その「揺らぐ」「揺らいでゆく」道中も、必要が「ある」ことも。必要が「ある」ときも。

 

 

その「プロセス」あるいは、「道中」を、あじわう、あるいは、みてゆく、という

その「とき」に、その「時期」に、必要な「こと」でも「ある」ようにも思います。

その最中は、大変ですが。

 

そして、「そこ」を越えた「とき」

あらためて、「道」や「光」が見えて「きたり」することも「ある」ということを

知って「ゆく」ことや、ときが、「あり」ます。

 

生きて「ゆく」なかで、自己を正して「ゆく」道中も、まだまだ(笑)続きそうです。(笑)

参りたいと思います。本来の目的で「ある」生きて「ゆく」道中にむかって。

そして、厳しくも、美しくも「ある」道中にむかって(笑)。

 

今日も、1日、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016.03.13:ototoiro:[人生、という旅、道]