自己承認

「自己承認」という大切さ、重要性、そして、

自分の「土台」といった「ところ」で、底辺、根底といった「ところ」とも。

 

 

「そこ」から、「はじまる」といっても過言では「ない」ということをも。

そして、それは、一生続いて「ゆく」ものなのかもしれません(笑)。

「自己承認」という、

濃度や、節度、深慮、広角、志し、といった「ところ」では、進化されて、

進化させて、「いただく」こととも、「いただく」ものとも、思っております。

あらためて、「気づかさせて」「いただいて」おります。

ありがたくおもいます。

 

 

今日は、3月11日、忘れません。

そして、さまざまなことが、さまざまなところで、さまざまと「あり」ました。

そして、その後も、さまざまなところで、さまざまなことが、「あり」ました。

 

 

そのようななかで、わたしは、わたしができる「こと」を毎日、生きさせていただいております。

そして、わたしのできることの、平和や安全にむけて「ゆき」たいと思っております。

そして、さらに、

わたし自身の「内なる」平和も、大きな「鍵」で「ある」ということをも。思っております。

わたしが生きて「いる」あいだ。わたしは、そのように生きて「ゆき」たいと思っております。

これからも。ずっと。

 

 

変わって「ゆく」ものと、変わらない「もの」が、「ある」ということも

そして、人間のなかの厳しさも、自然のなかの厳しさも、教えて「いただき」ますが、

自然のなかの素晴らしさも、人間のなかの素晴らしさも、

おしえて「いただいて」「いる」ように思います。

 

 

2016.03.11:ototoiro:[人生、という旅、道]