あとから、わかってくる「こと」。わかる「こと」。

  • あとから、わかってくる「こと」。わかる「こと」。

いま、わからなくても、

いま、わからなくとも、なんとなく、

あとになって、わかる「こと」も、たくさん「あり」ます。

また、あとから、わかって「くる」「こと」も、たくさん「あり」ます。

 

 

「今」という、「いま」の意味も「あり」ますが、

その「さき」に「ある」意味が、「いま」には、「ある」ことを(笑)、

今日、その話しになりました(笑)。

 

 

「いま」を生きることに、

その「いま」が、「いま」だけの「いま」でも、「ない」ことをも

どこか、奥底で(笑)、知って「いる」ようにも思っております。

 

 

そして、その「いま」が、あとからなって、わかる「こと」、わかって「くる」ことをも

どこか、わかって「いる」ようにも思っております。

自分を信じるということをも、おそわって「いる」ようにも思っております。

その「いま」が、「さき」を、つくる、意味する、「ところ」へも、

どこか、奥底で知って「いる」ようにも思っております。

 

 

日常のなかで、話しのなかも、本からも、

あるいは、いろんなところからも、その「とき」には、きづけない、あるいは、きづかないことも、

きづきの、内容や、深さや、浸透圧(笑)なども、

しだいしだいに、また、絶妙な「その」タイミングで、絶妙な「機」のなかで(笑)、

わかってくる「こと」や、わかる「こと」が、あります。

また、より、深まりを、「みせて」くださる「こと」が、あります。

 

 

そうした部分も、人のうちの「美しさ」の一部とも、成りえて「ゆく」ことともいえるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

2016.02.27:ototoiro:[人生、という旅、道]