ふだんのなかから

ふだんのなかから、

さまざまなことが、見えて「くる」ことが、「あり」ます。

 

ふだんのなかから、

見えて「くる」こと、わかって「くる」ことが、「あり」ます。

そして、ふだんの「なか」から、

時間「とき」のつかいかたからも、自分をみてとれてくることが、「あり」ます。

 

 

「調節」をしてゆきながら、自分の「状態」をも、まわりもみえて「くる」ことが

「あり」ます。

 

 

自分の内側との話から、あるいは、内側から、真の部分にふと、しだいしだいに触れ、

防御をして「いた」ことの自分をも

見えてくることが「あり」ます。

ある種、自分を保つ「ため」の、ある側面でも「ある」わけですが、

気づいたら、

ほんとうの

自分と、あるいは、目のまえと、そらさず(笑)、ごまかさず(笑)

たちむかう、むきあう「こと」をも、もしかしたら、ほんとうの(笑)真の自分の、ちかみちで

あったりするのかもしれません。

そのメカニズムに自分の内側で、きづいたら、きづきはじめたら、

やはり、きづいたが100年目(笑)の精神で(笑)

自己を立てて「ゆく」ことが、

生きていくなかで、ある種、自身への「ゆたかさ」の1つでも「ある」ようにも思っております。

 

 

 

 

 

 

 

2016.02.24:ototoiro:[人生という旅、道]