おさむ茶マイルーム

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 先日の飲み会で、何十年ぶりだろう、久しぶりにカクテルを飲みました。「ソルティ・ドッグ」というやつですが、ネットで調べたらイギリスのスラングで、甲板員が甲板の上で波しぶきで塩だらけになって働く様子から来て、いつも波しぶきを浴びているところからきていることから由来してるようです。

 ウオツカとグレープフルーツをシェークした飲み物だが、グラスの縁にまぶした塩とのバランスが絶妙の甘みを引き出し爽快感な味わいがしました。
 口当たりがよく後で効いてくるカクテルなので、昔不埒なワルイ男どもが女の子をゲットするために飲ませたと聞きます。えっワタクシの体験談かって?いえいえその前に自分が先にダウンして介抱された覚えはありますが…情けなかったです(笑)。
 セピア色したなつかしい写真が出てきました。
服装や髪型でだいたいの時代が判断つくと聞きますが、アイビーくずれというか7:3の変形ヘアーで、まさに昭和のど真ん中で青春してた頃です。そんな若かりし頃、高度成長時代の象徴だった大阪万博(昭和45年)へ無茶修業に、福岡経由で羽田から出発前の写真です。あの当時、深夜便というのがあってね、友人に見送られ出発と思いきやなんと出発直前に欠航に、台風でもないのに…いまだ欠航の理由が謎です。しょうがなくそのまんまトボトボと引き返すハメに、あれからですワタクシの人生が波乱万丈、ローリングストーン(転げ落ちる石)になったのは…。もう一度声を大にして言おう「オレの人生を返せ〜」
 お金があれば何でも買える?何でもはムリでしょうが、時々若さが買えないかとマジで思うことがあります(笑)。「あの日に帰りたい」なんちゃって、ユーミンじゃないつ〜のてか。
 昭和48年、オイルショックに見舞われた年、高度成長から緩やかなカーブに転ずる時期だったような気がします。流行った歌は、心の旅、神田川、てんとう虫のサンバなど、今聞いても古さゼンゼン感じませんね。ブルースリーが「燃えよドラゴン」でデビューしたのもこの年でした。そんな青春真っ盛り、信州ドライブした時の写真…「♪若かったあのころ 何も怖くなかった ただあなたのやさしさが怖かった」。やさしさが怖い?なんじゃいそれ?


 現在の愛車はベンツですけどね(笑)、ワタクシが初めて車を運転したのがこのスバル360CC。昭和41〜42年頃でしたでしょうか?当時の国民車の一つでしたですね。当時の一般ピープルにはマイカーは高嶺の花、持っていたにしても軽自動車がせいぜいで、このスバルやマツダキャロルがイッパイイッパイでしたでしょう。
 信じられないでしょうけど、フロント側ドアを開けるタイプでした。住めば都じゃないけど(他の車乗ったことがなかったのが幸いして)、結構あちこちドライブして楽しんだものです。
 その後ですね、カローラとサニーの1000CCクラスの大衆化路線がはじまったのは…。数年前、走ってるのを見かけましたが、マニアには羨望の車でしょうね。
私の最も楽しみにしている「思い出のメロディー」が今、NHKで生オンエアされています。NHKの歌番組では、紅白よりこちらの方を良く観ます。懐メロっぽいからでしょうか?
そうなんです、この年になるとなかなか新しい歌は覚えられなくて、つ〜か覚える気力も失せて…、といったほうが正解かも、ですから自ずと昔の歌ばかり懐かしんでいるとです。
 よみがえる裕次郎&テレサテン、岸壁の母、さとうきび畑…心に沁みる歌ばかりでした。そしてこれから後半戦、私の好きな山本コウタロー「岬めぐり」、ジローズの「戦争を知らない子供たち」の歌声が楽しみです。
 そんなころの写真がこれ!モノクロですからかなり昔です。
 青春の出来事って、なつかしくもあり…恥ずかしくもあり…、若さゆえ何でもありしてませんでしたか〜?ホント、今思えば赤面するような迷惑を、白昼堂々と世間に対して多大にかけて参りました。ここに謹んで、関係方面の皆々様に御詫び申し上げます。若気に至りっていいですよね、今そんなことやったら「アホ!」言われますからね。
 前説長くなりましたが、青春グラフィティ第1弾…これはかれこれ35年前そうあの伝説の大阪万博のあった年にビンボー旅行で長崎駅前でのショットです。あのときの出来事?とても書けません、メンゴ。