おさむ茶マイルーム

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 先にサミットが行われたロシア・サンクトペテルブルクには、一度だけ行ったことがある。会場となった宮殿ですが、噴水とのコントラストが息を呑む美しさだったのが記憶に残っている。でも昭和57年のブレジネフの時代ですからもうずっと昔の話で、ソ連が崩壊する以前の栄華を誇っていたころで、町の名前もレニングラードと呼ばれておりました。15日間の長旅でしたが、社会主義国の裏表を垣間見た感じがしました。
 特に驚かされたのは、雨降り日に道路に散水車が出動していたこと、決まりごとは必要性よりも優先させるといった考え方には参りましたが、反面国民の人間性はおおらかでした。そして若い女性はやせてきれいでしたが、熟年女性はほとんどがお相撲さん状態に変化しておりました…これってどうよ、みたいにw。
画像は、ちょうど子供たちが夏休みのキャンプ地を訪問した時のものです。


 先日デパ地下でつがる漬をめっけ!3年前弘前ネプタツァーを思い出し、懐かしくなって買ってきました。青森の名産で、数の子・スルメ・刻み昆布の醤油漬です。 似たようなものに北海道の松前漬がありますが、数の子が入っているところがみそかな?お砂糖は使っていないので、おつまみに良し …ご飯に良し…歯ごたえもあってご飯にかけると二杯はいけますね、食感もグッドでした。

 70年代、JR(当時はまだ国鉄だった)の「ディスカバージャパン」という旅行キャンペーンが一大ブームを巻き起こした時期があった。そう小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」がヒットしたころかな。夏休みともなると、日本列島がどこも旅行者でいっぱいになったものである。

そんなキャンペーンに乗せられて、若いころよくビンボー旅行に出かけたものである。この写真は、北陸・京都旅行した時のもので、東尋坊でしたでしょうか、まだGパンを抵抗なくはけた時期でしたw。懐かしい〜、ガイドさんの制服も時代を感じさせます。


 新作映画『千里走単騎(単騎、千里を走る)』は、張芸謀監督と高倉健とのコラボレーションということで、早くも話題を呼んでいます。今年10月の東京国際映画祭のオープニング作品としても公開されましたが、先週土曜日NHKスペシャルで「単騎、千里を走る」のロケ現場で中国雲南省麗江での2ヶ月ロケ滞在の模様を中心とした記録ドキュメントを放映していましたが、6年前に訪れた地なのでなつかしく見入っていました。
 物語の舞台は、現代の中国と日本。高倉健演じるのは、「高田」という男性で、不治の病に侵され余命いくばくもない息子がいます。その息子は民俗学者で、中国の伝統劇・京劇に心惹かれています。「高田」は息子を連れて、中国の奥地・雲南省を訪れるところから物語は始まる…らしいです。

 麗江は、雲南省の省都である昆明から約600キロメートル、中国の山奥のさらに山奥といった感じの山岳地で、玉龍雪山がそびえ、渓谷は険しく、澄んだ水が流れています。雲南、四川、チベットの民族文化が溶け合う三角地域にあり、少数民族ナシ族が今も営みを続けています。その独特な民族文化、町並み、歴史はかつての日本の原風景を見るようで、世界中の人々に 共有される文化財として、ユネスコ世界文化遺産に中国で初めて登録されたことでも知られています。周囲の美しい自然環境や、周辺の山村とうまく調和し、山麓の川流水は各家を巡り、川のほとりでは柳の枝がそよそよとゆれています。路地にはきれいな小石が敷かれ、人々が行き交う道は晴れの日にほこりが立つことも雨の日に泥にまみれることもありません
町を歩くと、まるで孫悟空の世界にタイムスリップしたかのような錯覚を覚え、べンツと馬車が行き交う摩訶不思議な光景に出くわします。中国の観光でも、なかなか足を踏み入れないところです。また2000メートルを越える高地ゆえに、ワタクシなど高山病に似た症状で、ダウンした苦い思い出が残っています。



 1970年の秋に当時の国鉄(現JR)が“ディスカバー・ジャパン”という大々的な観光キャンペーンを行ったのを覚えているだろうか。 当時は高度成長のまっ只中、“美しい日本と私”というコピーを添えて国内にある日本の古い街を再発見しようというキャンペーンで、高度経済成長のもと、豊かな物質文明の中にあって失われつつあった美しい日本を見つめ直そうというものだったようです。
 同時期に「an・an」「non-no」といった若い女性向けの雑誌が創刊し国内旅行情報を特集し始めたことにより“アンノン族ブーム”が生まれ 若い女性たちがこぞって萩・高山・倉敷・金沢など田舎に繰り出していく国内旅行の一大ブームが起こりました。当時若者であったワタクシ も時代に乗り遅れまいと国内旅行にでかけましたが、どこへいっても女性グループの嵐にでくわしたものでした。

 その後国鉄は1978年に「いい日旅立ち」をキーワードに 山口百恵を起用した新たなキャンペーンを打ち出し国内旅行需要はあいかわらず堅調だったようですが、全国のあちこちに莫大な建設費を投入した テーマパークと呼ばれる大掛かりな施設が出現してから、国内旅行は下火になったそうです。 冬スキーのメッカだった山形・蔵王も往時の半分程度とか、常に人気を保っていた観光地ですらこれですから、他は推して知るべしです。
 でもいつか「古きよき日本を見直そう」という“ネオ・ディスカバー・ジャパン”に 戻る日がまた来るのではないでしょうか。


 誰しも、どうしても好きになれないものってありますよね。ワタクシ幾つになっても苦手なのがこれ!TV画面のヘビを見ても、空中浮遊するくらいですから、自慢じゃないがかなりのもんです。返還直後の沖縄旅行で、ガラス越しにハブとニアミス。ヘビにこんなに近く寄ったのは初めて、心臓バクバクが30分ほど止まらなかった記憶残ってます。

 世界三大美術館に数えられるベルグラード(当時・レニングラード)のエルミタージュ美術館を訪れましたが、そのスケールの大きいことと著名な絵画に感動いたしました。ただ、3時間も小走りに観て回ってもまだほんの一部とか…、そのうちに歩き疲れてしまったとです。
 このエルミタージュ美術館ですが、展示物もさることながら建造物も当時の贅を尽くした一級品そのもので見ごたえありました。

最近は出不精なりましたが、若いうちはあちこち旅行出かけたものです。一番長い旅で思い出深いのが25年前のソ連旅行、そうまだロシアがアメリカと並ぶ大国と称されていたころで、ブレジネフが親分の時代でした。新潟からハバロフスクに飛び、そこからモスクワまで横断、実に15日間にも及ぶ長旅で、ただとにかく広い国だったという印象です。
 食べ物は大味でイマイチなじめませんでしたが、クラッシックバレーや美術館、サーカスなど、一流の芸術にふれて意義深い旅でした。当時、どこへ行っても町中がTVのサッカー中継に夢中なっていたのを記憶してますが、今思えばワールドカップだったんですね。
 写真は、ボリショイサーカスを鑑賞したときの1枚です。