おさむ茶マイルーム

▼オヤジのつぶやき

 「団塊の世代」の団塊という言葉は私はあまり好きではない。一まとめにされ、商品に例えれば一山いくらで売られるような気がするからだ。でもそうした造語がすでに社会的市民権を得ているのだから仕方がないのか。

 ところで「団塊の世代」は一方で「食い逃げ世代」とか「嫌われ世代」などと世間では悪口を言われ、その一方で「お宝世代」などともてはやされている。
 前者の食い逃げ、嫌われ世代の意味は、年金はじめ医療や介護など、この年代まではある程度は法的に保障され、また60年代後半から70年代始めの学生運動に象徴されるように好き勝手に生き、高度経済成長の時流に乗ってきた連中じゃないか!の意味を多分に含んでいる。

 後者のお宝世代は、はっきり言ってお金、つまり退職金を指しているのである。預金がほしい銀行筋や消費を当て込む大手サービス業は我々を宝の山と扱ってくれているだけである。
 つまり団塊の世代とは「クソミソ」一緒にされる世代なので、これを自覚しないと大きなまちがいを犯すことになるのではないかと、同世代で酒を酌み交わしながら話をしてつくづくと感じた。

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2006.11.17:osamu
[2006.12.24]
[クソミソ]一緒はどの世代も一緒 (匿名)

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