長井市史第3巻(昭和年版)には、当時の客車について次のように記述されています。軽便鉄道は・・・機関車も車両も小型のものであった。乗客用の車両は、俗にマッチ箱といわれたもので、乗客用の腰掛けは向かい合わせに横に区切って作られており、その区切りごとにドアがついていたから、発車停車の際は車掌がいちいちドアのカギを外したり掛けたりした。乗降口は、腰掛の数だけあった。本線を走る汽車がボギー貫通式になっているのに、軽鉄はマッチ箱列車と煙突の長い豆機関車であった・・。(第3巻 P566)
マッチ箱と呼ばれていた客車の映像を探しあぐねていましたが、ようやく京都にある加悦sl広場に同じ形式と思われる車両(ハ4995)が保存されていることを知りました。上の写真は、広場を運営している宮津海陸運輸㈱の方から提供いただいたものです。
軽便鉄道の象徴ともいわれる側面乗降式客車(旧式4輪車)は、一名マッチ箱とも蔑称されていたが、長井線にも本線並みのボギー車が運転されることになった。それは昭和5年10月1日のことである。(第3巻 P570)