駅舎にはいろんな人が訪れる。列車を待つ間、駅茶でよもやま話をするのが何よりの楽しみである。
荒砥駅付近で生まれた夫人は、朝から夕方まで列車の汽笛を聞いて育ったという。母の実家の宮内に長井線に乗って出かけるのがとても楽しみでウキウキするものだった、と語ってくれた。
また3歳ぐらいの女の子と時々駅で見かける夫人に話を聞くと、女の子は長井線が大好きなのだという。なんと市外に住むひ孫さんを預かっているのだという。
天童駅の近くに住んでいた方は、自宅で介護していた父が亡くなった時のことを語ってくれた。父がいなくなってからは、それまで住んでいた家が「自分の家」であるとは思えない日が長く続いたという。自分にとって列車の音が聞こえる毎日がとても大事なものだと思っていたが、家族のいる風景の重さを改めて知ったという。
コロナ禍で普通の暮らしの有難さや大切さを教えられたものである。けれども命は永遠のものではない。だからこそ、その日常の重みを噛みしめながら生きていきたいものだと思う。駅に遊びに来る子供たちにとって、父母や祖父母、曾祖母の優しい笑顔が、長井線と共に懐かしい思い出として記憶の中に刻まれていくことを願っている。