いなかの白兎(2) 葉山伝説異聞

 驢馬さんの日本昔話『いなのしろうさぎ』がいよいよ始まりました。まずは白兎と白狐、お坊さんの出会いの場面から始まります。漫画昔話の楽しさを損なわない程度に、地元に伝わる言い伝えなどを紹介したいと思います。最初に葉山神社縁起をもとに制作されたという「致芳ふるさとめぐり」の記事をご覧ください。この中に歴史の秘密を紐解く暗号が隠されているのかもしれません。

 

//大昔(約1400年位前)朝日岳は、信仰の山として月読命保食命が祀られていました。ところが、約950年前に安部貞任、宗任と源義家が戦いをはじめ、源氏が安部氏を滅ぼして、朝日岳や葉山にかくれていた人々を追いはらってしまいました。そのため約330年は草深い山となり、道もない荒れ果てた山となったのです。
 ところが、明徳4年(1393年)丹後国(京都の南西)の恵法律師という偉い和尚さんが、羽黒山に詣でるために五十川の四ツ家(現袋稲荷神社付近)まできたときに、紫の雲が森の上にたなびいているのを見て不思議に思い、森の中の池をさがすと、澄んだ水の池に金波がたち、岸には良い匂いの草が生えているので、その池に入ると泥にも染まらず衣もぬれずに一体の仏像が見つかりました。この仏像は、閻浮檀金(えんぶだごん:砂金でできた仏像)の薬師如来でした。この仏像を捧げて、白狐と白兎に導かれて西山に登り、平坦な土地(今の葉山平)と農園(御田代)があったので、そこにお社を建てて祀ったといわれています。(「致芳ふるさとめぐり」より:長井市致芳コミュニティセンター)//


 

 ここで白兎ちゃんは、「白兎」という地名は、高僧を葉山に案内した白兎を崇めてつけられたと語ります。これは私たちが伝え聞いている内容と同じです。このためこの地区ではウサギを食することはもとより、捕獲や飼育もタブー視された時代があったとも聞いています。しかしながら「やまがた地名伝説」では、それとは異なる起源説を紹介しています。その概要は次のようなものです。

 

//永禄9年(1566年)の「鮎貝文書」には、ウサギを尊ぶ話とは逆の話が載っている。当時、周囲の村々を支配した地頭の下に役割分担を果たす多くの「在家」と称する集落があった。その中の「白兎」は、白いウサギを飼育して毛皮を領主に献上する役目の村であったことから白兎の地名が発祥したと記されている。(「やまがた地名伝説」より:山形新聞社 平成15年)//

 

 同書の中で長井市文化財調査会長である竹田市太郎氏(当時)は「これほど史実と伝説が混在した地名も珍しい」との談話を寄せている。ふるさとの昔話が伝えるものは何なのだろうか。妄想の旅(?)が始まった。

2023.06.21:orada3:[  №4 いなかの白兎]