広田さんが私たちに残してくれた作品が数点ある。一つは荒砥駅車庫の奥にある廃車となったYRである。広田さんは「写真は切り取るんじゃない、えぐり取るんだ」と教えてくれたことがあった。この写真はまさにえぐり取られた空に、YRが今にも飛び立ちそうに見える。私たちがコロナ禍にあって活動に悩んだ時に眺めた作品である。なぜこの作品に入り込むのだろうか。
2021年11月にパリで開催された広田泉さんの個展に対して書かれた評(La vie du Rail 2022年4月号)が、広田さんのFBに掲載されているので一部を紹介しながら、改めて鉄道写真家・広田泉の作品を観てみたい。あくまでも私的な感想として理解して欲しい。
■1秒の光を捉える
自分の選んだ場所にて延々と時間をかけて影と光の表現方法を探し出す。常に遊び心のある画角と逆光を好む。こうして彼の作品は一般的な細部や質感をしっかり見せるような鉄道写真とは違ったものに仕上がっていく。広田泉は詩的な要素を取り入れるのを忘れない。
■俳句のような写真
広田泉の写真は俳句のようでもある。俳句とは日本独特の短い詩で、即時性とその瞬間を捉えつつもまた長い余韻を残す芸術でもある。著名な日本の歌人といえば17世紀に活動した松尾芭蕉である。俳句には私たちの感性に溢れる普遍の永遠と一呼吸のような瞬時に失われる儚いものが同時に含まれていなければならない芸術である。広田泉の多くの作品にはこの永遠と短詠の二分法が見受けられる。
まさしく上の写真は雲と光と風の一瞬をとらえているように思える。そして「夢は枯野を駆け巡る」ではないが、YRが「夢は諦めない」とでも語っているような詩的な構図になっている。そこには儚いものと永遠なるものが同調し、見る者の心をとらえて離さないではないだろうか。
先の専門誌はさらに「写真家とは普通の人々よりももっともっと強い視線で観察するのが仕事である。自分の中にいつまでも子供のような、外の世界に初めて足を踏み入れた旅人のような目線で世界を見続けねばならない。こうした常にわくわくとした憧れの目線と強い生命力が広田泉の活動源となっている。」と続けている。
「成田駅界隈探検」と名付けられた4枚の作品がある。日常の暮らしの中にある美しさや感動を写真と短文によって表現している。写真家であり旅人である広田さんが、地域に生きる者に対して、日常を見る「視点」を提示しているように思える。人々に夢と希望を与えて去っていくその姿は、『来訪神』のようにも思えるのだ。
成田駅界隈探検の作品はこちらからどうぞ
→ 成田界隈探検 曲がったことが大嫌い:おらだの会 (samidare.jp)
→ 成田界隈探検 「低っ!」:おらだの会 (samidare.jp)
→ 成田界隈探検 いつもの:おらだの会 (samidare.jp)
→ 成田界隈探検 一年を四つに分けるなんて:おらだの会 (samidare.jp)
最後に広田さんのYouTube「本当の応援とは」をご案内して、『広田泉写真展 ~ 昨日の一歩。明日の一歩』のプレイベント『来訪神 広田泉伝』を終了とさせていただきます。お付き合いいただきありがとうございました。
→ 【写真で応援!】本当の応援とは?山形鉄道フラワー長井線 羽前成田駅 - YouTube