山形新幹線が開業したのは平成4年(1992年)7月 1日である。赤湯駅が新幹線の停車駅になったことを地元では大変喜んでいたのだが、そのマイナス面も明らかになってくる。平成5年6月23日の山形新聞によれば、熊野大社参拝の臨時列車の乗入が出来なくなり大半がバスでの参拝になった結果、初詣客が4割程度減少し商店街への回遊も減少したという。
さらに平成9年 (1997年)3月22日には、JR米沢駅からの今泉~長井間乗入が廃止となった。当該列車の利用者数は不明であるが、JRとの運行上の連携も難しい状況になっていたようである。米坂線の長井駅経由が実現できていたらどうなっていたのだろうか、と思う。
JRになってからの米坂線は走行車両もホームのサインも変わってしまった。国鉄時代の光景を色濃く残すのは今泉駅の長井線のホームにしかなくなったようである。1番・2番ホームに残る国鉄時代の看板等は、歴史の証人でありフラワー長井線の宝物である。
米坂線の長井駅経由の運動はこちらから
→ 長井線リポート(17) 白川橋梁からの眺め:おらだの会 (samidare.jp)
今泉駅に残る国鉄時代の遺構はこちらから
→ 長井線リポート(18) ザ昭和 in 今泉駅:おらだの会 (samidare.jp)
→ 長井線リポート(19) 面白景色の宝石箱 in 今泉:おらだの会 (samidare.jp)