小口昭氏が遺した『長井線の今・昔』をとおして、成田駅100年物語をより深く見渡すことをしてきた。今回は昭和56年当時に戻ってみたい。
昭和47年(1972年)の「やまがた散歩」創刊号に、長井線廃止反対を訴えた芳賀秀次郎氏のエッセー「わがうちなる長井線」が発表された。その不安が現実のものとなった時、沿線の住民と行政は団結して精一杯の廃止反対運動を繰り広げた。
昭和56年(1981年)には第1回の長井線祭りが開催され、フォークグループの影法師が「今日もあの娘は長井線」のキャンペーンソングを作り盛り上げた。一方で市民号やビール列車といった企画も打ち出して利用者増を目指した。けれども、結果的には第三セクターとして存続することになるのである。
あれから40年たった今年の7月26日に、国土交通省有識者検討会から「輸送密度1,000人未満に地方鉄道について、その存廃について3年で結論をだす」との提言が出された。国鉄長井線が廃止される時にもこの「輸送密度」という裁断機が落とされたのである。「今日もあの娘は長井線」という明るい音楽の陰には、廃止反対に向けた様々な取り組みがあったことを忘れてはいけないと思う。
芳賀秀次郎氏のエッセーはこちらから
→ 「わがうちなる」の検索結果:山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)
影法師の曲はこちらから
→ 成田駅の宝物(24) 開業記念レコード:おらだの会 (samidare.jp)
【おらだの会】写真は、小口昭遺作展『長井線の今・昔』より。8月12日~14日は駅茶は休館となります。あわせて入場券(硬券)の購入、駅スタンプの押印もできませんのでご了承ください。