(33)なぜ成田駅はそのまま残ったのか

 山形鉄道㈱が誕生してからは老朽化した駅舎の改築ラッシュが続いた。平成4年(1992年)には鮎貝駅、平成6年(1994年)には蚕桑駅、平成8年(1996年)には時庭駅、平成11年(1999年)には梨郷駅が改築された。なぜ成田駅はそのまま残ったのか。

 

 その理由の一つが成田駅では、フラワー長井線の開業までに屋根の修復、煙突の修復、窓のサッシ戸化などがいち早く行われたことがあると思われる。また他の駅が市や町によって公民館等との併設で改築されたが、成田駅付近にはすでに成田地区福祉センターが昭和50年(1975年)3月に建設されており、こうした手法もとれなかったのであろう。同じく登録有形文化財に認定された西大塚駅については知る由もないが、沿線に100年を超える木造駅舎が2つも残っていることは貴重な財産であり、奇跡とも言えるだろう。

 

 ◇山形鉄道開業前の各駅の状況はこちらから

   → 山形鉄道駅舎今昔物語 | 山形鉄道株式会社 (flower-liner.jp)

 

 ◇西大塚駅との比較はこちらから

   → 駅舎探検(成田VS西大塚):おらだの会 (samidare.jp)

2022.05.21:orada3:[羽前成田駅100年物語]