山形鉄道が開業した昭和63年12月、コミュニティ助成事業を導入して駅周辺の環境整備に取り組むことになった。この事業の採択にあたっては長井市の尽力があったのであろうが、駅協力会を中心としたそれまでの活動が評価されたことが十分予測される。助成申請書には次のように書かれている。
「今まで駅というものは、列車に乗り降りするだけの場所という考え方が根強く、鉄道利用者が年々減少している傾向にある現在、駅前はさびれ、過疎化の玄関口とまでいわれていますが、駅は本来人の集まる場所であり、地域活性化の拠点として有効に活用すれば、地域住民のふれあいの場として活気をとりもどすことも可能であり、ひいては地域住民の足としての鉄道の斜陽化防止にも役立つと考えられます。」
「過疎化の玄関口」から「活性化の拠点」へという考え方は、現在でも通用する考え方であると思う。ローカル線の持つ魅力をとおして、新しい形のコミュニティーの場としての位置づけもできるのでないか。先輩方の慧眼には今更ながら敬服する。