これまでの成田駅の歴史を整理すると次のように区分できるのではないかと思います。第1期は明治末から大正11年の成田駅開業までの「希望に溢れた時代」、第2期は大正末から昭和22年頃までの「戦争によって左荒線の夢が潰えた時代」、第3期は東京オリンピックが開催された昭和39年頃までの「鉄道全盛時代」です。しかし第3期には既に国鉄改革が叫ばれ、昭和43年には国鉄諮問委員会が長井線を含む廃止対象83路線を公表したのでした。
第4期の昭和40年代から山形鉄道開業の昭和63年までは国鉄時代が終焉し、「線路を自分達で残す決意をした時代」といえるかもしれません。県や市町が昭和43年に長井線存続期成同盟会を設立し存続運動を展開する中で、地元がどのように動いたのか。羽前成田駅協力会の動きを中心に紹介したいと思います。
写真は昭和47年1月の成田駅です。この年、貨物列車を牽引していた蒸気機関車はその役目を終えることになります。96を見送る駅員の姿がその後の困難を予感させるようで印象的です。
【おらだの会】写真提供:小笠原弘氏(昭和47年1月撮影)
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