第1話の記事に「ガタ汽車」と「緑門」という言葉が出てきたが、この説明をしておきたい。まずは「ガタ汽車」である。これは、長井線を最初に走った列車のことである。本線を走った本格的な列車(ボギー車)と違って、マッチ箱と呼ばれた列車は横揺れが酷かったようである。この時の蒸気機関車は600型といわれるものであり、次の投稿をご覧いただきたい。
⇒ 軽便鉄道あれこれ:山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)
もう一つが鮎貝駅に設置されたという「緑門」である。辞書によると「祝賀の際などに建てる常緑樹の葉で包んだ弓形の門。グリーンアーチ。」とある。ふと思い出したのが上の荒砥駅の開業時の写真である。残念ながら羽前成田駅には緑門は作られなかったようであるが、致芳郷土資料第三集沙石集によれば、「役場前に芸者踊り等の余興もあり大変な賑わいであった」と記されている。
長井駅開業時には壮大なアーチが造られていたようだが、あまりにも大きすぎてそれが緑門なのかは確認できない。「村に鉄道がやって来る」ことへの地元の人々の期待の大きさがわかるようである。長井駅開業時の写真はこちらからどうぞ。
⇒ ながいまちなみ物語 2 長井駅前通り:長井市観光ポータルサイト | 水と緑と花のまち ようこそ、やまがた長井の旅へ (kankou-nagai.jp)
【写真提供:白鷹想い出写真館】