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炭次郎見参!

  • 炭次郎見参!

 (ペペンガペンペン) 時はまさに大正11年の師走。無限列車かた炭次郎が降りたったのは、開業したばかりの小さな駅舎。今は鬼と化した愛する人に会いに来たのだという。果たして炭次郎の愛は、優しいあの頃の彼女に戻すことができるのであろうか。(ペペンガペン)

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 知人が持ってきた鬼滅の刃のキャラクターを借りて写真を撮ってみた。こんな遊び方も面白いものだと思う。「貫一・お宮 成田駅編」とか「ウルトラマンかく戦えり in 成田駅」とか。こんな発想しか出てこないのが悲しい。

2022.12.28:orada3:コメント(0):[イベント情報]

(52)ディーゼル列車登場(昭和29年)

  • (52)ディーゼル列車登場(昭和29年)

 成田駅100年物語も令和2年まで進んできたが、現在開催されている『長井線の今・昔』の作品をとおして、この間の物語を補強しておきたい。まずは長井市が誕生した昭和29年11月15日に86型蒸気機関車に代わって登場したディーゼル車である。

 

 これまでの史料では86型の蒸気機関車の退役に感謝するイベントは確認されていない。ディーゼル列車の登場は、長井市制施行という大きな転換期にふさわしい明るい話題であって、86型を見送るような機運に至らなかったのかもしれない。

 

 最後に客車を牽引した86型SLの記事はこちらから

→ 「鬼滅の刃」の検索結果:おらだの会 (samidare.jp)

 

 

【おらだの会】 小口昭遺作展は週末(金・土・日)の午後開場していますが、12日~14日は休館となります。この期間は入場券(硬券)の購入、駅スタンプの押印もできませんのでご了承ください。

2022.08.07:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(30)最後の86型も生きていた

  • (30)最後の86型も生きていた
  • (30)最後の86型も生きていた

 「風と大地と猿の写真展」においでになった方から大変なことを教えてもらった。山形市十日町の第2公園に展示されている機関車は長井線を走った機関車だ、というのである。しかもその写真が「長井線の今・昔」という冊子に出ているという。さっそく駅茶にあったその冊子を見てみると、確かに同じ68691号のプレートが確認できた。

 

 鬼滅の刃の無限列車が86型をモデルにしていて、同型車が山形市内に展示されていることは紹介していたが、まさかその車両が長井線の旅客車を牽引していたとは驚きである。長井線の最後の蒸気機関車59634号が北九州市で保管されていて、さらに最後の旅客車を牽引した68691号が山形市に残っている。なんとも不思議な思いである。

 

 関連記事はこちらからどうぞ

 → 鬼滅のSLは96の前任車:おらだの会 (samidare.jp)

 → (19)旅客列車が気動車に:おらだの会 (samidare.jp)

 

【おらだの会】「長井線の今・昔」は成田駅協力会の事務局長を永く勤められた小口昭さんが平成26年に発行されたもので、モノクロ写真は同書からコピーさせていただいた。また現在の写真は上山市のYさんに提供いただいたものです。

2022.05.03:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

鬼滅のSLは96の前任車

  • 鬼滅のSLは96の前任車

11月15日の地元紙に、山形市にある8600型の機関車が鬼滅の刃の無限列車のモデルであることが紹介されていました。この86型はキュウロクとして馴染み深い96型機関車の前任車として、米坂線を走っていたことが書かれていました。

 

飯豊町の「中ノ目の歴史散歩(平成27年3月発刊)」によれば、米坂東線(今泉~手ノ子間)開業の1931年(昭和6年)8月には、マッチ箱と呼ばれる豆機関車が走り、その後86型SLに変わった。さらに1936年(昭和11年)米坂線全通後は、96型SL機関車に変わったと記述されています。

 

米坂線に登場した豆機関車は600型だったのでしょうか。そして米坂線を走った86型は長井線も走ったのでしょうか。新聞記事のおかげで、歴史ロマンに遊ぶひと時でした。

 

長井線を走った600型機関車の記事はこちら

 ⇒ http://samidare.jp/orada2/note?p=log&lid=467766

2020.11.18:orada3:コメント(0):[イベント情報]
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