卯の花姫物語 5-⑫ 清原主将・実衡陣中に没す

清原一門の主将実衡急病陣中に没す
 義家が始から戦いをする気で来たのではないからとしたとて国司に任ぜられて来て、此の戦が始まった処に来当たった以上は当主の実衡を助けて彼にそむいた若共を追討するのは国司としての任務たるのは当然であるので実衡と共に戦場に臨んで指揮を執った。処がそむいた方でもばらばらになっていてはだめだと考えたので三人の軍勢一つに合体して出羽の国沼の柵の要塞にたてこもって頑強に抵抗したので流石の義家も攻めあぐんで一旦国府へ引き上げて来た。
 こうした様子を見透かした武衡であった時こそ来れりと喜んだ。先年武忠時代から義家とは恋敵として憎んでおったので、実衡よりも一層の憎い義家であるから憎い奴と憎い者との合体だから尚一層の怒りを増したのが手伝ったから、そこへ加えて戦いの状態が少し好転したと見えて取ったので否応なしに叛乱に合体したのである。
 賊軍の方では兵気大いに揚がったと云う状態となった。然し乍ら武衡如き眼でそう見えたとて名将義家が胸中が判るものではないのである。名将程要塞堅固の攻城戦に於いて血気にはやった猛攻をしていたずらに将兵の生命を損せぬ可くに心を配るに油断をしなかったものである。義家の方では全く叶わないから逃げたと見たのは武衡のような奴輩が見当のつけかたのはそうであったが、彼の柵を討ち破るにはもう少し味方の陣容を立て直してから更に向かうのが適当と思いついて一旦引き上げたのを逆くに判断して向こうに就いた武衡が見当違いであったのだ。そうした間にも賊軍の方武衡も加わって相当の大軍になったので沼の柵の城では手狭であると云うので出羽の金沢の棚に拠って防ぐ事とした。今の新庄市の付近である。
 官軍も金沢城を包囲して対 の陣中である内にこちらの主将清原実衡は突然の急病で死んでしまったと云う一大椿事出来に及んだと云う事である。
 実衡が死んだからとて叛賊を討ち平らげないでいられるものではないから義家は少しも手をゆるめずに包囲を厳しく守備を怠らないでおったが、城中の敵の方にも突如として一大損失の椿事が起こったのである。それは又次のような次第である。

2013.01.23:orada:[『卯の花姫物語』 第5巻]