卯の花姫物語 5-⑪ 戦争の動機

戦争の動機
 すると秀武老人の方では大いに怒って何たる不遜の態度にも程がある、俺も一門の老人である。年寄りに対する礼を知らぬ若輩者と一徹短慮の秀武老人捧げた黄金庭石目がけてたたきつけ門外に出て家来を連れてしやしやと本国出羽に帰って終った。怒ったのは実衞の方でも同様であった。俺が知っておるのだったらともかく、本当に気が付かないでおったのに怒って目出度い祝日にケチを付けるとは故意にしたやり方だ、ただでは済まされないと云う見幕である。戦いの怒った原因はそんな事であったとは清原一門の和が整って平常泰山の国家大勢であったならば、あれしきの小さい事は一門の中から別人が行って両方をなだめて治めるくらいは何でもない程の小事であったのだ。処が清原一門の不和内訌は武衞を始めとして、これを見てこれは面白い事が始まったものである、願わくば火が大きく広がってくれればよいと云う状態になっておった処であったから耐らないのである。以上奥州後三年の大戦乱が起こった。火の種の大たいの説明としてはこんなものであった。
 一旦の怒りで  玉を破って出羽の本城に帰ってはきたものの、いざ戦いをするとしては自分一人の力では兵力が足りない。勝ち目がないから秀武老人も考えた。兼ねて一門の不和内訌の勢力争いの様子を知っておるから味方して貰われそうな不平分子を選んでそうした連中へどんどん応援を頼んでやった。実衞は軍勢を率いて秀武を討たんとしてやって来た陵を狙って叛いたのは家衞と清衡であった。野心のある事には人に劣らぬ武衡は元来の  者であったから状勢の動行をじっとして傍観しておると云う武忠時代からの古つわものである。すると果たして実衡は家衡と清衡に留守を突かれては耐えられないから今度は其方を討たんとして帰って行った。今度は実衡に帰って来られてはと云って家衡と清衡が逃げて行った。実衡はどっちもこっちも逃がして焦ら々になっておった処へ、丁度京から義家が陸奥守に任ぜられて来たのであった。この義家が来たのは始めから追討大将軍で来たのではない。陸奥守に任ぜられて国司として来て到着した。処がこの騒ぎにはからずも出つかわしたのである。
2013.01.23:orada:[『卯の花姫物語』 第5巻]