卯の花姫物語 4-⑧ 姫と桂江の生き別れ

姫と桂江の生き別れ
之を聞いた桂江は声を上げて泣き乍ら、姫が膝に両手をかけて,頭を姫が膝に埋め,よよとばかりにしゃくり泣いて云う。
 姫君様,今が今迄で彼世迄でも,御供仕らんと思い込んでおりました。其私に慈から落ちて行けとは御情なう御座います。そればっかりは何とぞ何とぞ御免しなされて下さいませ,と云い乍ら泣いてやまなかった。主人が膝に丸っきり頭を埋めて泣きすがる愛臣桂江が頭を撫で乍ら,姫も泣き泣き云う。御身が心は自らもよく判ってはおるが、之には子細あって御身に是非共落ち延びてもらはにゃならない事情があるのだ。心を落ち着け聞いてくれ。今や御身が体内には,最も大切な大事な大事な家経様の御子様が宿っておられます。
 家経様と申しますは今更言を要せぬこと乍ら,八幡殿が御身内に君の御名の下の字を頭に頂いて名乗られた殿が最愛の御家来で御座います。それ程大事な御家来の御子をば,御身が身体と共に暗から暗に死なしては、八幡殿に対しまして自らが申し訳が立ちませぬ。そこの道理を聞き分けて自らをして、無情者の主人にはさせないでくれと涙と共に語ったのである。元より賢い生まれの桂江は、姫が懇切を尽くした説論を聞いて漸く理解し、納得をしたのである。
 桂江,やがては改めて恭や恭やしく平伏した。これまでの仰せを承る上からは,元より凡てを君に捧げた吾が身で御座います。謹んで君命に従い奉りますと云うて承知をしたのである。そうは云うても桂江は御名残り惜う御座いますを云いつづけて、さめざめと泣いておるばかりであったのだ。
 姫は,今や他領へ脱出する望みを絶たれて終わった上は,最早此世に生きておる用なきものと覚悟したのである。やがて姫は一つの包みの品を桂江が前に置いて、これなる品は自らが日頃使っておった二品である。これを吾が亡きあとの形身として思い出した時に,吾身と思って持っていてくれ。我が亡きあとを弔うてくやれよ。更に吾身は慈で死んでも,せめて其地の守り神と化して,八幡殿の御籠愛を賜った女性たるの面目を全うするの覚悟であると云うて、涙と共にしみじみと遺言を語ったのである。
2013.01.09:orada:[『卯の花姫物語』 第4巻 ]