卯の花姫物語 3-⑩ 家経との別れ 

桂江が遭難を免れて古寺に帰ってきた
 桂江は危うい処であったが、助けてくれた武士は図らずも恋に焦がれて忘るる暇もない家経であったとは、先の恐ろしい思いをしたのと反対に如何に嬉しい思いであったのか、其晩は山辺泊まりの心算りで行った道中も、家経に遭ったばかりで反対に戻って来て宮宿に泊まったのである。久し振りに遭遇して同宿に泊まった彼ら二人が嬉しい思いは尽きせぬ話に一夜千秋で夜が明けたのは、想像にも尚余りあるものであったのだ。
 宮宿を翌朝出立した二人は、其日の内に古寺について主人義家が、国府引き上げに際して最後の文使いの命を受けて参上した事から、併せて途中で桂江が遭難を助けて同道で連れ戻って来た事迄を委細報告したのである。
 姫は家経から委細を聞いたと共に家経が書面を読んで、いつも変わらぬ義家が温情の溢れる心情のこもった手紙を胸に押し当て抱き締めて、嬉しさ恋しさが胸に迫って涙がわき出て、御文みを抱き締めてそのままに、よよとばかりに泣き伏して、しばし頭も上げ得ぬ様であったのだ。
 思いは家来の桂江も同じであった。主人の使命を奉じて行く途中、必死の危難を助けて貰った其人は、図らずしも日頃想い想いに焦がれ焦がれて恋しておった家経であったとは、如何なる深い前世のえにしであったのか。漸く遭うて嬉しい恋しい此殿と又も別れる身の辛さ、家経は一時も早く姫が御文みを受け取って、主君義家に届ける可く、国府に寄らずに鎌倉の主君のまします彼地を差して登らにやならない其身である。やがて京で遭う瀬を楽しんでここ放せとせき立つ殿御おさえて桂江はせめて今一夜、今一夜とおさえにおさえて放さない。遂々五日泊まって家経は、泣いてすがる桂江を振り切って、古寺を去って相州鎌倉を差して登って行った。この時は泣き泣き別れたにしても、前途に望みをかけて又の逢う瀬を楽しんで別れたが、それが遂う遂う長の別れになってしまうとは、後にぞ思い知らされたのであったのだ。
 清原武則が新しい鎮守府将軍に任ぜられたと云うても、源氏の大将父子が居るうちは其配下であるから、一々其指示を受けてやらなければならないから、完全なる奥州両州の覇者と云う訳にはいかなかったが、源氏が引き上げて行った後は当然絶対の権利者となったのである。
2013.01.05:orada:[『卯の花姫物語』 第3巻 ]