卯の花姫物語 6-⑤ 義家.VS.武衡

 義家と武衡は公私共に敵同士
 君前を下がった桂江は帰り土産として、君より莫大なる御下賜品の数々を拝領した上に、三人の軍兵を護衛兵として付け下されたのに送られて、吾が家を差して帰途についた。弟の藤原清衡は見送りとして一里程送って来てくれた。そこで別れる時も、「くれぐれも君を大事と忠勤を励むに怠りなき様に。」と云うて、袂を分かち帰って来たと云うことである。
 これは後のことであるが、『後三年役』が終わった。戦後の将士の論行に際して義家が、藤原清衡をもって勲功第一として、奥羽二州の覇権者に任ずる様に朝廷に奉請したのである。
 これは全く英雄・義家が慧眼である。清衡が人物の優れておるのを見逃しておかないのは勿論と共に、あの様な優秀な人物を奥羽両州に据えておけば彼地の平和は大丈夫と見込んだのがああたらしめたのである。されにしても後から降参した人に対しての論行としては、余りにも重きに過ぎる様な思いがするのである。それを思いこれを思うに考えて見た時に、先に君前に於いて弟・清衡に能々訓を与えた上に、君へ願って弟の事を頼んでおいたことの両方を思い合わせて見たならば、義家が胸間の奥底を往来した何ものかの、そこにはそこがある様な考えをさせられるものである。
 半三郎経春も戦いが終わって君が京に帰る時に、主君と母とが約束に基づいて漠大の御賞賜を君より御暇賜って故郷の母が許へと帰ってきた。前述武衡が櫓の上から義家にむかって罵声をあびせかけた事については、義家を怒らせて透い出し討取ってしまう計略であったのも去る事であったが、それにしても先年以来義家とは恋の敵として、胸に秘めおいた怨みがある。それが今度は戦として相対する関係となったから、彼が義家を憎む度合いが一層強烈を極めたのであった。而してあの様な思い切った罵倒となって現れたのである。然しながら義家が方でも、彼を憎む度合いが同様であった。先頃桂江が訪問によってすっかり判った。姫が彼の為に悲恋のままで無惨の最後を遂げた事を知ったと云うに至っては。嗚呼、悲し也
2013.01.27:orada:[『卯の花姫物語』 第6巻]

この記事へのコメントはこちら

※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。