卯の花姫物語 ④卯の花姫の誕生

愈々本文 卯花姫の誕生

 豪族生活の状態は既述の様なものであった。そうした安倍の頼時を父として生まれた、貞任が育ち方であった。子守専務の女の子一人を付けて置かれた、貞任より十位い年上の女子供であった。処でそれは子守りと云うても只子守りばかりではない。食事の世話から着せ冠むせ、起き伏し一切がっさい世話をする付き添えの家来であった。夜は抱き寝して育てておったのである。
 処が貞任が十一の年であった。其子守女が妊娠した。生まれた児は玉の様な女の子であった。即ち卯花姫と云う名前が付けられた。
 頂度妹の様な年違いの娘であったと云うことである。そうした例は当時の豪族や貴族の生活にはおうおうにして見られたものであったと云う。更に項を進めて愈々安倍の一族が豪勢に任せて国司を無視した、不敵の振舞に如何なる国司と雖も責任上看過を許す可き筈がないのは勿論であるが、又それと同時に、制するにはそれに対抗する実力を有するを要すと云うのは絶対の条件である。そこに困った事があるのである。
 いったい当時の国司と云うのは今の県知事のことで、大体の場合は京都の文官出の官吏で武官ではなかった。(全国的に諸国の領主が頼朝幕下の将士をもって配置されたのは鎌倉幕府創立以後である)奥州の国司陸奥守藤原登任(ノリト)にも其実力が無かったのである。
 さりとて打捨て置かれる可きではないので、早速隣国出羽の国司出羽介平重成に応援を頼んだ。しかし火急の場合だから俄か仕立ての応募兵を駆り集め、両国司連合の軍勢で向かってみたものの、とても問題にならない対抗であった。
 遂々鬼切部と云う処の一戦に官軍は惨澹たる大敗で、再起が出来ない惨状に陥って終わった。今や両国連合の軍勢を粉砕した安倍家の勢力は、奥羽一帯悉く其勢力範囲におさめて終わった。しかし勝つには勝ったが、こうした場合の勝ち方は勝てば官軍、負けた方が賊軍とはいかない勝ち方であった。両国司連合の官軍を粉砕した安倍家は完全の叛賊となって、日本全国を向こうにまわして対抗する立場を自らこしらえたと云う事になったのである。京へは奥州の豪族安倍頼時謀叛すの注進は、櫛の歯を引く如くにとんで行った。

2012.12.31:orada:[『卯の花姫物語』 第壱巻]

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