HOME > 変な民族学4巻 若者達へ

若者達へ ⑨結婚できたら・・

 婚活番組が流れている。運よく田舎の若者が、嫁や婿をもらえたらどうするかという事を、鬼嫁をもらった私が伝授しよう。(笑)
 東京から来た女性の方から聞いた話。「田舎の男性は、嫁を貰ったら家の中で強くならなければならない。嫁VS姑戦争の中で、嫁が頼れるのは旦那しかいないのだから・・・。」。この論法も一理あるが、私の体験から言うとちょっと違う面がある。
 嫁を貰った超幸運な男たちよ、嫁と姑戦争の中ではひ弱になれ!というのが私の(人生を正当化するための?)持論である。戦争の真っ最中に、どちらか一方の味方をしてはならない。そんなことをしたら、ベトナム戦争やイラン・イラク戦争に突入する。嫁の肩を持ったら姑が出ていくし、姑の肩を持ったら嫁が出ていく口実を与えることになる。とりあえず、茶の間ではどちらのいう事も、「そうだな、その通りだな」と言っておく。
 そして、寝室では「ごめんな、うちの婆さんも嫁勤めの頃に婆さんからいじめられたんだよな。」なんてことを適当に言っておく。そしてポイントは、次の朝食は何もなかったように、「おはよう」と言ってご飯を食べ、そそくさと家を出ること。政治も家事も性事も、このスピード感が大事で~す。 幸運を祈る! GООD ラック!! have a nice night!

若者達へ ⑧家庭とは・・

 もう一度“家族”の問題に戻って、“家”や“家族”の意味を考えてみよう。“家”というものを何代にもわたって継続して使う動物は、人間以外はいないであろう。それは、人間が稲などの植物を栽培し、一箇所に定住することを覚えたからであろう。このことは、ヨーロッパの「牧畜民俗」と日本など東洋の「農耕民族」の違いでもあるはずだ。
 田畑を耕し、家族が何代にもわたって同じ家に住み、同じ墓に埋まるのである。そうして家屋には霊が宿り、床の間には家族に福をもたらす座敷童が住みつくのである。これが本当の「生命のつながり」であろう。
 しかし現代は、少子高齢化である。長井で運よく仕事につき、さらに運よく結婚できた二人は、実家に老人夫婦を残して街中のアパートに住むのが一般的のようである。こうした歴史を重ねていった時に、家族とはどのようになっているのであろうか。ちなみに私の次男は、二人娘の長女と結婚するらしい。長男は家に戻って来たが、アパート暮らしをしたいと言っている。そんな私は、一人娘をもらってしまい、実家の家も解体してしまった。

若者達へ ⑦学校で

 前回、「子供の幸せをとおして大人が変わるしかない」という話をしました。子供達が悩むのは、小・中学校の思春期だと思います。とすると、学校の先生方が、いかに可哀そうな子供とその親と向き合うか、ということが問題だと思います。
 ある先生と会った時に、「40年間の人生を経た大人をどうやって教育するのですか。そんな問題のある親は学校やPTAにも来ないでしょう。」と質問したことがあります。そしたら、その方は、「夕方、お家に電話します。そして、今日は○○ちゃんはこんな良いことをしたんですよ。お家で褒めてやってくださいねと。そんな事を繰り返して、学校と親のコミュニケーションと信頼関係を創っていくのです。褒めることが教育の基本ですからね。ただし、先生方に伝えているのは、もしもこんな努力が無駄だと知ったら、親を切りなさい!と教えています。何故なら、教師の仕事は子供守ることだからです。」
 過酷な教育現場の中に、こんな先生もいることは、うれしくなります。皆さんはどう感じますか。

若者達へ ⑥保健室で 

 「保健室で」というタイトルを見て、多くの人は思うだろう。「変な民俗学者のことだから、コスプレが出てくるだろうな・・・。」残念でした。今日は3・11だから真面目にやるんだ。ましてや「若者達へ」だからね。
 “保健室登校”というのがありますよね。保健室には、優しくて素敵な養教の先生がいるんです。そんな女性の先生が語った言葉が、重く心に残っています。「保健室に登校する生徒は、親の人生を背負っているんです。15歳ぐらいの一番不安定な時期の子供達が、重いカバンの中に背負って来るのは、親の人生なんです。例えば夫婦喧嘩に明け暮れる親、子供に辛くあたる母親自身の悲しい人生を背負って来るんです。」
 「大人が変われば子供が変わる」という看板が掲げられています。けれど私には、まともな社会を創るには、「子供をとおして大人が変わる」しか道はないのではないか、とも感じています。ただしこの理論は、すべての親が「自分の子供は幸せにしたい。」と願っていることが前提なんですが、これも今の社会では難しくなっているような気がします。本当に悲しくなって来ます。
 

若者達へ ⑤家族の絆3・11

 今日は3月11日である。2年前の惨劇が一日中テレビに流れた。テレビのインタビューに対して、「家族が一緒の家に住めないこと」「友達と一緒に学校で遊べないこと」「仕事がないこと」が辛いと答えている。
 優しいおじいさん、おばあさんがいる家。友達と一緒に遊べる学校。お父さんやお母さんが一生懸命働く仕事場や会社、働くことに意味を知る場所。これは故郷そのものでないだろうか。
 地方の景気が低迷を続けている中でも、家族と共に暮らせることの有難さを感じて欲しい。生命のつながり、家族団らんの夕餉の素晴らしさを改めて考えさせられた。