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若者達へ ⑭再び家族とは・・継母のこと

  • 若者達へ ⑭再び家族とは・・継母のこと
 さてさて、今まで桃太郎伝説や嫁姑戦争、ファミリーヒストリー、座敷童などを題材に“家”や“家族”について、思うことを綴ってきました。これらは基本的に「血が繋がっている」ことを前提としています。それでは、血が繋がっていなければ、家族は存在しないのか、ということを考えてみたいと思います。
 『白雪姫』も継子である。「継母」という言葉からは、先妻の子をいじめる怖い母のイメージが浮かびます。こうした童話は世界共通にあるようです。「村田喜代子さんの世界を遊ぶ」というホームページから、考えてみたいと思います。(許可を得ず掲載することをお許しください。)
【村田喜代子さんの世界を遊ぶ】から
 「白雪姫」(グリム童話の初版では実子だが第2版以降は継子となっている)のように最後は継子に勝たせる話が多い。西洋の凶暴な継母に対抗する継子も相当なもので、「白雪姫」のラストは王子とのハッピーエンドの結婚式で、継母は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて悶死するのである。やわでない狩猟民族の童話は、ときとして虐待された継子が継母以上の残酷な仕返しをするものだ。
 これに較べると、日本の継子いじめの古典「落窪物語」や「住吉物語]では、幸せになった継子が積極的に継母へ復讐するような攻撃性はみられない。神仏の加護を得た娘たちはみずからの手を汚さなくても、天の懲罰によって継母は零落の途をたどるのだ。しかし独占欲の強い後妻にとって、継子は不純物である。こうした継母と生きる子供の人生は悲しいものであろう。

こんな世界は、今の日本にもあるのではなかろうか。現代的には、モンスターペアレンツや虐待ママ、ニグレクトママなどが浮かびます。でも不思議なのが 「ママ」と「継母」のいづれもが、“ママ & Mama”があることが不思議ですね。

若者達へ ⑬卒業式に思うこと

 3月は卒業式のシーズンです。自分の子供が小学校に入学した時、妻と並んだ記念写真には、桜の花が満開でした。あんな小さな子供が、この春、卒業を迎えました。キロロの「未来へ」という歌が流れていました。そんな時、ふと恩師の言葉を思い出しました。
 女性の先生:卒業式の時にどういう訳か、父を思い出すんです。父は、秋の刈り入れが終わった田んぼの畦道に腰をかけて、タバコを吸いながらぽそっと言っていたのです。「春から育ててきた稲がなくなった田んぼを見るのは、本当に寂しい。でもな、行ってしまった米に言うんだ。お前らな、もらわっちぇった家で、『うんまえ米だなあ』って褒めでもらえよな。」
 高校の先生:卒業式の日に、流雪溝を思い出すんだよな。流雪溝の中を、雪がどんどんどんどん流れて行くんだ。卒業していくお前たちと同じように。お前らともっと一緒にいたいのに、お前らは行ってしまうんだよ。寂しいけど、最後にお前たちに伝えたい。『大きくなって帰って来いよ。その日を楽しみにしています。一期一会・出会いは必然』」

若者達へ ⑫ファミリーストーリーに注目

 今、NHKの夜に流れる番組に「ファミリーストーリー」がある。この番組は、有名なタレントやアスリートのルーツを探る番組である。市川亀次郎が登場した番組をみた。初代の猿之助は、市川亀次郎の曽祖父にあたるらしいのだが、その妻が女傑であり吉原か浅草辺りの芸者衆を育てた人であった。亀次郎の体を流れている芸人の血は、そこから始まっているというものである。(記憶に不確かなものがあるが)
 次に見たのがスケーターでオリンピックに出場した小塚崇彦さんの物語でした。彼のお爺さん(光彦)は、中国満州で育ち、その地でスケートを教えていた。そこに素敵な地元の女性がいた。ライバルであった友と3人でオリンピックに出場することを夢見ていた。しかし時代は世界大戦の時代へと向かっていた。光彦氏本人もカメラマンとして軍の特殊任務に就くようになる。そして友人は招集され、激戦地の南方へ―「オリンピックをあきらめてはいけない。夢は子や孫に伝えてゆくことが出来る。」との言葉を残し戦死したという。
 光彦が戦後戻った故郷は焦土と化していた。しばらくは生活のため日々を過ごさねばならなかった。そんな中、待望の男子を授かる。崇彦選手の父、嗣彦氏である。嗣彦氏の誕生が眠っていたスケートへの情熱に火が付いたのだろうか、戦後のまだ施設の整わない時代、スケートをするといえば冬場に天然結氷する湖沼に赴かなければならない。そして地元愛知でメンバーを募りスケート連盟の設立に携わる。有力企業などを巡り資金提供を得て、1953年、屋内リンクを備えた名古屋スポーツセンターが完成。戦後8年目のことである。
 時は移り孫・崇彦くんがスケートを習い始めたころ、カメラを片手に欠かさずリンクに通っていた。本人はもう、スケートはできない歳になっていたはずですが、自分が若いころ感動し情熱を傾けたものを、孫に伝えずにはいられなかったのでしょう。息子に続いて孫・崇彦くんもオリンピックへの出場を果たす姿を、2009年、バンクーバーオリンピックで見ることができたのです。そんな時、突然光彦氏のもとへ満州で一緒にスケートをした、という女性からの電話が。もちろん光彦氏にスケートへの情熱を植え付けた当の本人・・・。TVで活躍する崇彦くんの姿を見て、もしやとご親戚かと思い連絡をとったとのこと。電話は数十年の時間を超え互いに「会いたい」と思いを伝え合うのだが、ついにご本人同士の再会はかなわなかった。
 最後に崇彦くんの言葉が流れる。「おじいちゃんが昔スケートを始めたころに習ってきて、ずっと大事にしてきたこと。それが受け継がれてきて、今のボクがあるんだな、と思うとすごく長い、大切にしなければいけない歴史ていうものを感じる。まわりの人からずっと‘サラブレッド’って言われて、馬じゃねえし、と思ったりしてたけど、そういう単純な意味でなく、受け継いできたものを後世にも伝えてゆく・・・小塚家でなければ伝えられないこともあると思うんですよ」
 さて、今の時代に悩む若者達よ、このストーリーを静かに考えてみて欲しい。『真説・桃太郎物語』で書いたように、吉備団子を作ってくれたのは、お爺さんとお婆さんなんだ。君の体の中には、優しいお爺さんとお婆さんの温かい血が流れているのだということを。

若者達へ ⑪酒席に思う

 私の部下職員と飲む時に、酒席も時代が変わったなと感じることが多い。昔は宴席というと、新入社員は先輩方に「○○です、よろしくお願いします」と言いながら、酒をついで回ったものです。でも今は、瓶ビールでなくて生ビール、日本酒でなくて焼酎梅割りなどなど。これでは会話も生まれないと思いませんか?
 【シンポジオン・シンポジウム ⇔ 饗宴】シンポジウムの原語であるシンポジオンは、ギリシャ哲学者達が、酒を飲みながら議論するとの意味である。現代のシンポジウムのように、酒も飲まないで講演を聞くといったものではないのです。【酒・バッカス ⇔ 発酵・醸造】酒席も個別化が進んでいるようだが、酒を飲む時は、瓶ビールで、「差しつ差されつ」飲むことを考えてみて欲しい、と思うのだがどうだろうか。
いま、教育現場で問題なのは、コミュニケーション能力がなくっていることなのである。成人式を終えた大人であれば、酒の力を借りて会話をすることの重要性を考えてみて欲しいのである。

若者達へ ⑩再び家族とは・・・

 私この頃変なんです、変なことにハマっていて、心と身体が疼くんです。と言ったら、また変なお爺さんの病気が始まったなと思い、春だからしょうがないよなと思うでしょう。ところが、今回は割合と真面目っぽいんだよな。
 『羽前成田駅前変な民俗学者?⑩生命の起源Ⅲ』で、言葉や言語が重要なポイントであることを推論しました。言語や文法、表記は世界中で多様にあると思うが、今回は単純に、日本語と英語から文化論を展開してみたいと思います。
 【愛・恋 ⇔Love・Like】 日本語では初恋があり、失恋があり最後に愛が生まれる。表音文字文化圏においても同じような変化活用があると思われる。Like→(恋)→ Love(愛)→ Live(一緒に住む)→ Life(暮らしがあり生命が誕生する、そして人生) 
 【文化・カルチャー ⇔ Culuture・Agri-culture】英語圏の言葉であるカルチャーの語源がアグリカルチャー(農業)にあること。【家族・農業 ⇔ Family・ Familia・Farmer】日本語の家族や農業と同意語の単語がある。もともとの語源はラテン語のFamilia(マツダファミリアで有名)にあり、一緒に食事をするの意味なんだそうです。そのファミリアからファミリーが生まれ、農場や圃場、お百姓が生まれている。
 このように見てみると、人間は何処の国に生まれ、生きていたとしても同じ根っ子や生き方をしているんだと思う。どうでしょうか?