HOME > 変な民族学5巻 日本民俗論

日本文化論④黒獅子と赤獅子

  • 日本文化論④黒獅子と赤獅子
 赤獅子と黒獅子に対する私見を述べてみたい。写真は、一般的にイメージされ年賀状のカットなどにも登場する赤獅子です。黒と赤がポイントであると思います。赤獅子は正月等に、繰り出されるものであり、めでたい場面で舞われるものであろうと思います。何故なら、紅白幕は祝いの席で使われるからです。
 それに対して、黒白幕は、葬儀などに使われます。黒白は、ハレの場に対する祁(ケ)の場であり、鎮めるという意味をもったものであると考えています。野川の氾濫に苦しめられた村人は、龍の化身である獅子に、氾濫を鎮めてくれることを願ったのだと思います。皆さんは、どのようにお考えになるでしょうか。

日本文化論③長崎くんちと黒獅子

  • 日本文化論③長崎くんちと黒獅子
 私は、長井の黒獅子の起源・ルーツは、“長崎くんち”と同じ可能性があると考えている。長崎くんちは、龍を数十人の担ぎ手で生きたように踊るものである。(私は実物を見たことはないが)。畏怖すべき存在は、長崎の“龍”であり、道の奥の長井では“黒獅子=龍の化身”と呼んでいる。さらにこの起源は、中国獅子の流れも汲んでいるはずである。
 ある人の説によれば、中東から東アジアに伝来したライオンが中国化したものが獅子であり、日本化したものが狛犬である。雌雄の狛犬が立つ神社の境内で舞うのが、日本・長井の黒獅子なのである。岩手には黄色の虎舞があると聞いている。越後獅子は赤である。次号では、黒獅子と赤獅子について考えてみたい。

日本文化論②なまはげと黒獅子

  • 日本文化論②なまはげと黒獅子
 「ノアの方舟と同じような伝説が、世界各地に散在すると言われている。地球上で同じような伝説があり、伝統芸能があるはずだ。何故なら、それぞれの自然環境とともに生きてきた人々の暮らしの営みから生まれたのが伝統・民俗芸能であるからだ。」と言うのが、私の基本的な学究のスタートである。
 世界的規模の話題の前に、長井の“黒獅子”と“なまはげ”から見てみよう。「成田駅イベント情報」の「成田黒獅子祭り⑱恐怖の黒獅子その3」で述べたように、黒獅子祭りのポイントあるいは今日的な意義は、「怖い存在」と「守ってくれる存在」が身近にあることが重要である、と私は考えている。怖い存在とは、自然の厳しさであり、守ってくれる存在とは“家族や地域”であろう。この黒獅子と同じものが“なまはげ”にもあると私は感じている。
 “なまはげ”は「泣く子はいねが!。悪りい子はいねが!」と言って、家の中まで土足で入って来る。黒獅子よりも怖い存在である。子供が泣きじゃくり、父や祖父母の陰に隠れる。そこで守ってもらうのである。なまはげの装束は、越後の「御神乗太鼓」に似ているのは、日本海を北上して秋田に受け継がれたのではあるまいか、とも考えている。
 賢明な先輩諸氏のご意見を頂ければ幸いである。

 日本文化論①

 先日、長井市の「新春文教のつどい」に参加する機会を得ました。その中で、本年度、長井芸術文化賞を受賞された若柳秀美さんが披露された『長唄 松の緑』という日舞を見ることができました。その時、はっと思うことがありました。それは、「これが日本舞踊の原点ではないか」という思いです。そこでまた、適当に考えた訳です。
 「あれっ『芸』って草冠なんだ」。そして草冠の字を挙げてみたら面白い。草、花、茶、花柳、若柳・・・、日本の伝統芸術の基本が全て草冠なんだ。これは驚きだった。思えば、英語圏でも「カルチャー」の言語が「アグリカルチャー」である。この中には、東西を超えて、歴史を超えて、さらに宗教の違いも超えて、自然と人間の生き方に通じるものがあるんだと感じた。
 そして、芸術文化賞の賞牌をデザインした長沼幸三先生(「長井の心」を残した先人)の言葉にこんな言葉があった。

 賞牌の【中央の顔】は古代日本の女性の顔:山も川も神であり、自然は自分たちを豊かにしてくれる仲間であった。【顔の周囲の二重の輪】は、曲線である。直線の冷たさに対する柔らかさ、猛々しさに対する優しさ、刺々しさに対する和やかさ。同時にこの曲線の美しさは、長井を囲む山々の稜線の美しさでもある。
 長井の芸術文化は、自然と調和融合の中で発展し、その目的を達していただきたい。

 金剛流も能から生まれたものである教えてもらった。こんなことを知ったとき、日本文化の生成と発展の歴史を、一つの物語として表現するような『日本文化の芸術祭』をやってみたいと感じた。長沼幸三先生の言葉は、「俺が一番、私が一番などと言わずに、それぞれの道を究めてほしい」というメッセージではなかろうかと思うのである。
 ま、変な民俗学者としては、「芸とゲイの研究」の方が興味あるのだが・・・。