HOME > 変な民族学4巻 若者達へ

若者達へ ⑲体罰とクラブ活動について

 「日本これからプロジェクト」という番組で、高校教師の畑喜美夫さんが紹介された。畑監督は、現役時代は、U-20日本代表に選ばれるなど華々し い経歴だったが膝の怪我で断念し、指導者の道に。U-16日本代表のコーチを勤めた後、当時無名だった公立高校(広島観音高校)の監督に就任。同校を全国有数の強豪校に育てあげ、日本一にした。去年、再び無名校である広島県立安芸南高校に転任した。全体練習は週に3日。試合の出場選手は生徒・選手が決めるなど、生徒の自主性にまかせた独特の指導スタイルで有名な方である。
 今、クラブ活動と体罰の問題が社会問題となり、「教育制度改革」にまで発展しそうな状況である。しかし、その原因の一つに、保護者達の間違った“期待や望み”があるのではないだろうか。親達の“熱意とパワー”に教師達が動かされているという実態がないであろうか。教師達は、親の期待に応えようと、一日も休みのない生活を送っているのだと思う。山形県教委では、「土・日のうち1日はクラブ活動を禁止する。」という方針を出しているが、ほとんど無視されているようである。クラブ活動は教育活動の一環である。親も教師もこの事を認識しなければならないであろう。
 そして、畑監督となでしこジャパンの佐々木則夫監督の顔や言葉が、共通するものを持っていると感じるのは、私だけではないだろう。佐々木監督の言葉に次のものがある。
【人間力を高める言葉=名言ネットより】
 選手は、乗客ですよ。間違っても、選手は馬ではない。監督の仕事とは、選手をムチで叩いて走らせることではなくて、選手が告げた行き先(夢や目標)まで、選手を導くことなんです。その資質は一人一人が持っており、選手の特徴と能力を引き出すことが仕事なんです。万物備我

若者達へ ⑱松尾芭蕉とセミ論争

  • 若者達へ ⑱松尾芭蕉とセミ論争
 今日は4月17日、桜前線もすぐ近くまで来ていますが、4月19日と20日はは何の日かご存知ですか? 題名のとおり、松尾芭蕉の旅立ちの日なのですよ。
【奥の細道・日記】
4月19日 栃木県那須町の温泉神社に那須与一を偲び、殺生石を訪ねる。
 == 野を横に馬牽むけよほととぎす
4月20日 福島県白河市白河の関
 「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ」

 ところで、松尾芭蕉の詠んだ「閑さや岩にしみ入蝉の声」の句で、「蝉論争」があったことをご存知かな。芭蕉が聞いたセミは、何セミであるか、昭和の初期に斎藤茂吉と芭蕉研究家の小宮豊隆との間で激しい論戦が繰り広げられたそうだ。結論的には、小宮氏のニイニイゼミが勝利したのですが、そんなことはどうでもよいのです。
 私が、若い皆さんに伝えたいのは、「セミの一生」についてなんですよ。セミは7年間も土の中で暮らし、外に出たと思ったら全力で鳴き、そして1週間でその生涯を終えるという、凄まじい生きかたをします。君たちの人生も、精一杯生きて欲しいのです。
【変なオジサンからの一句】:人生を 如何に生きるや 蝉しぐれ  頑張って生きてください!


若者達へ ⑰鉄腕アトムと“夢”

  • 若者達へ ⑰鉄腕アトムと“夢”
 今の若い人達は、谷崎潤一郎原作の「白日夢」なんて知らないと思うよね。でも、鉄腕アトムは世代を超えて知っていますよね。アトムの誕生日には幾つかの説があるが、一般的には2003年4月7日が定説となっているようです。では、鉄腕アトムと“夢”の関係やこれ如何に・・・。
 鉄腕アトムは、当然ですが手塚治虫の漫画です。手塚プロの事務所は、高田馬場にあり、事務所の入り口にアトムの銅像が立っています。そのアトムの胸に『夢を形に』と刻まれています。アトムは、手塚治虫の夢を形にしたものだったという事でしょう。手塚治虫ファンは、全国に年代を超えてファンがいます。それはなぜか? 鉄腕アトムやジャングル大帝レオなどの作品は、手塚自身の夢を形にしたものです。その夢に感動しているのだろうと思います。
 しかしながら、形にするまでの過程は、煩悶の日々であったろうと思います。“ゆず”の「栄光の架け橋」の歌詞のように、逃げ出そうとした日々を乗り越えて来たのだと思います。若者達よ、楽して生きようとか、今は夢を持って生きるような時代じゃないよ、なんて冷めて生きるのがカッコよいのだ、などと思わないでほしい。努力しても成功しないかもしれない。夢があったとしても形にすることができないかもしれない。だけど、その道を歩み続けることが、“生きる”ということでないだろうか。学校教育で言う“生命輝く”ということでないだろうか。
 高田馬場に行く機会があったら、アトムの銅像をぜひ見てきてください(東京都新宿区高田馬場4-32-11)

若者達へ ⑯夢・ユメ・Dreamを考えるか・・・

  • 若者達へ ⑯夢・ユメ・Dreamを考えるか・・・
 最近はAKBとかが人気でありますが、ワシらの年代では松健サンバが最高な訳です。松健はかの有名な「暴れん坊将軍」であります。さてさて、「暴れん坊将軍」の挿入歌の題名が、『夢灯り』であることをご存知の方は少ないことと思います。(斯く云うワシもこんな歌はあまり記憶にないが)『夢灯り』と聞いて、長井青年会議所があやめ祭りの時に実施している『夢灯り2012 絆』を思い出しました。【写真参照】
 これから“若者と夢”について考えてみたいと思っていますが、とりあえず初回は、“ゆめ・ユメ・夢・Dream・Somnium”に関連するものを集めてみようか。「悪夢」「正夢・逆さ夢」「夢物語」「同床異夢」「夢で逢いましょう」「ドリーム・カムズ・ツル―」「夢分析(フロイト著)」「神霊感応夢判断秘蔵書(安倍晴明著)」「夢十夜(夏目漱石著)」・・・・。 そして私が大好きな「白日夢」ならぬ「白昼夢」ですね。
 

若者達へ ⑮ある継母のこと 

  • 若者達へ ⑮ある継母のこと 
 さて『白雪姫』には程遠い、『白雪ママ』がいる「自由の家」というスナックがある。そのマスター夫婦に『長井訛り』がないので、「どっから来たんだべな?」って思っていました。それで、「何処で一緒になったなや」とか「息子さんは長井にいんなが」などと質問したらば、人生の重みを知る話を聞かせてもらったので、さら~っとお話します。
 長井出身のママさんは、60年前?に東京の会社に就職しました。田舎の高卒の娘は、社長さんや会社の上司からたいそう可愛がられたそうです。そして会社の人達と食事に行くお店の主人が、マスターだったのだそうです。マスターの奥さんは、可愛い二人の娘さんを生んで、しばらくしてから交通事故で亡くなったそうです。ママが二人に食事を作ってあげている中で、一緒になることになったのだそうです。この結婚には、田舎の両親も会社の人達も大反対だったそうですが、ママはそれを押し切って「継母」になったのです。
 「継母となってから、私は365日の食事と209日の弁当を、一日も欠かしませんでした。靴の脱ぎ方が悪い、箸の置き方が悪い、と厳しく躾けました。その二人も今は母親となり、今では、父親以上に私に相談を持ちかけ、私を助けてくれます。孫達が「爺、ババ」といって遊びに来てくれます。これまでの歳月の間には、幾つもの山がありました。でも、その時々に、娘の生みの母親が助けてくれていたような気がするんです。」
 私は、「悲しい家族の風景」があちらこちらに見えている今の社会の中で、全くの他人が繋がることができる家族があるのだと思う。ママさんが血の繋がっていない子供達に、強い愛情を注ぎ続けられたのは何故なのだろう。もしかして、「生命を伝える」「この子が親になったら生まれるであろう子供達の生命を、つなげてやりたい」という「無償の愛」なのか、と思う。それにしても、もっとわからないのが、私以上に“変な”マスターが、何と言ってプロポーズしたものか・・・。(笑)