HOME > 変な民族学5巻 日本民俗論

日本民俗論⑨ 不定根って知ってるか?

 長井にある国の天然記念物・伊佐沢の久保桜は今年もきれいに花を咲かせてく
れました。今は若葉が青々と茂って元気いっぱい!…のようなのですが、そこは樹齢1200年の老木、太い幹も中は空洞になっていて満身創痍なのだそうです。これまでも樹勢を回復するために様々な試みを行ってきた久保桜ですが、4年前からは不定根を発生させ誘導する努力をしています。
 「不定根」は高い枝から発生させ、幹の中を地面に誘導しています。今日はこの治療を行ってもらっている横浜の樹木医(特定非営利活動法人 自然への奉仕者・樹木医協力会)の皆さんの指導のもと、久保桜の幹の周りに落ち葉をまく作業が行われました。作業には久保桜のすぐそばにある長井市立伊佐沢小学校の3年生以上の47名の皆さんと、伊佐沢地区に農村体験の修学旅行に来ている千葉県の市川市立高谷中学校の生徒さんが数名参加しました。
 さてさてここからがクエスチョンです。①不定根は上から出るか、下から出るか ②不定根⇒大根(足)⇒○根 さて、○に入る文字はなんでしょうか?(笑)そんなことはどうでも良いのですが、樹木も人間も、根っこが大事なんですよ。そう思いませんか。そして、地元の小学生の中から、日本一の樹木医が生まれることを期待したいものです。

日本民俗論⑧ トランプに秘められたH

 けん玉が大人のオモチャであることは理解していただけたろうか。子供達のゲームではトランプが有名であるが、トランプだって大人のオモチャであるはずだと思いませんかね。模様を考えてみて欲しい。ダイヤ♢ ハート♡ スペード♠ クラブ♣である。ダイヤとハートは何故、赤い色なのか。スペードとクラブは何故、黒色なのか。答えは単純である、前二者は女性を表現し、後の二者は男性を表現しているのである。ダイヤを日本語では菱形と言い、ハートを桃というではないか。さらに、ハートとクラブは、上下を反対にしてみると、実に美しく平和な形であることに気付くであろう。

日本民俗論⑦ けん玉に秘められたH

  • 日本民俗論⑦ けん玉に秘められたH
 長井市が、競技用けん玉の生産日本一であることをご存知であろうか。知らないであろうなあ。まあよろしい。さて、けん玉を子供のオモチャだと思っているでしょうが、そうではないのである。
 日本にけん玉が紹介されたのは江戸時代といわれ、1830年に喜多村信節が著した『喜遊笑覧(きゆうしょうらん)』に「安永六七年の頃拳玉と云もの出來たり」とあるのが知られており、当初は酒席の遊びであったと考えられる。(一説には、長崎の出島で、ヨーロッパから来た外人が、遊女と遊びながら伝えたとも言われている。)
 本題に入ろうか。ケンとは剣ではなかろうか?玉に何故穴が開いているのか? 玉とは何か?。そして、けん玉の音を、「パッコン、パッコン」と表現するのである。日本けん玉協会の会長である金井会長の色紙には「けん玉の響きは、平和の響き」と起毛されている。全く、「パッコン、パッコン」は「平和の響き」に他ならないと思うのであるが、みなさんはいかがであろうか。なお、初代会長は、「タロジロは生きていた」で有名な藤原一生さんであるが、そのことについては次の機会に話してみたい。
 写真は長井の『山形工房』で制作されたけん玉で遊ぶケニアのご婦人である。そう、長井のけん玉で、世界が平和になるのだ!

日本文化論⑥ 桜と菊

  • 日本文化論⑥ 桜と菊
【写真:「菊と刀」の著者 ルース・ベネディクト】
 日本の芸術文化の基底において、「草冠」が重要な意味を持っている可能性があることを①で述べた。ルース・ベネディクトの『菊と刀』は、日本文化を説明した文化人類学の著作である。『菊と刀』は、ベネディクトの戦時中の調査研究をもとに1946年に出版された。ベネディクトは、急進的な文化相対主義の概念を日本文化に適用し、恩や義理などといった日本文化の『固有の価値』を分析した。
 こんな真面目な 議論を、みなさんは期待してはいないでしょうね。当然です。日本人にとって大事な草木は、多分、“桜と菊”であリましょう。“桜”は特攻隊であり、日本人の潔さを象徴するものである。それに対して“菊”は権力を象徴するものである。問題はここからです。人体の中に、“サクラ”と“キク”をもじった部位があります。それは何処でしょうか? 私はこれ以上のヒントは恥ずかしくて言えませんので、あしからず・・・。

日本文化論⑤英語と日本語の摩訶不思議

 私この頃変なんです、変なことにハマっていて、心と身体が疼くんです。と言ったら、また変なお爺さんの病気が始まったなと思い、春だからしょうがないよなと思うでしょう。ところが、今回は割合と真面目っぽいんだよな。
 『成田駅前変な民俗学者?⑩生命の起源Ⅲ』で、言葉や言語が重要なポイントであることを推論しました。言語や文法、表記は世界中で多様にあると思うが、今回は単純に、日本語と英語から文化論を展開してみたいと思います。
 【愛・恋⇔Love・Like】 日本語では“初恋”があり、“失恋”があり最後に“愛”が生まれる。表音文字文化圏においても同じような動詞変化活用があると思われる。Like(恋)→ Love(愛)→ Live(一緒に住む)→ Life(暮らしがあり生命が誕生する、そして人生) 
 【文化・カルチャー ⇔ Culuture・Agri-culture】英語圏の言葉であるカルチャーの語源がアグリカルチャー(農業)にあること。【家族・農業 ⇔ Family・ Familia・Farmer】日本語の家族や農業と同意語の単語がある。もともとの語源はラテン語のFamilia(マツダファミリアで有名)にあり、一緒に食事をするの意味なんだそうです。そのファミリアからファミリーが生まれ、農場や圃場、そして職業としての“お百姓さん”が生まれている。
 このように見てみると、人間は地球上の何処の国に生まれ、生きていたとしても同じ根っ子や生き方をしているんだと思う。どうでしょうか?