HOME > 変な民族学5巻 日本民俗論

私的・日本伝統文化論①

 私は、今まで日本民族論などと偉そうに下ネタ的事を書いてきちゃいました。でも「日本伝統文化コーディネーター養成スクール」という講座があり、ふとしたことから女学生に交じってタダで受講することができました。

   伝統文化コーディネータ養成スクール ⇒ http://jaa-dentou-geijutsu.com/school.html

 私が、講座の卒業論文(?)に書いたことを、これから少しづつ掲載し、『日本民族論』から『日本伝統文化論』への展開を目指してみたいと思います。第1回目の今日は、受講の動機から語らせていただきます。

<受講の動機>

私は、「松の緑」という日本舞踊を観る機会がありました。その時に、全身に鳥肌が立つ程の衝撃を覚えて以来、芸術とは何かと考えるようになりました。ふと気づいたのが、()術も()道も()道も全て草カンムリであり、舞踊でも()柳、()柳、()間流も全て草カンムリであることでした。このことから、日本の伝統芸能というのは、自然との関わりの中で生まれ、継承されて来たのではないかと思ったのです。こうしたことが契機となり、次の3点を知りたいと思い、本講座に応募しました。

     ①いわゆる「文化・芸能」とは、自然との関わりと生命の伝承の中から生まれたものでないか。

②それが正しいとすれば、自然環境はそれぞれ異なっても、地球上の各地の伝説や伝統芸能は相

通ずるものがあるはずでないか。

     ③文化・芸能が人々の暮らしを豊かに、幸せなものにするためのものであるならば、人口減少社会に

       あって、地方の文化活動が衰退しつつあるが、芸術文化の原点に回帰することによって、地域の

       活性化と人々の幸せにつながる道があるのではないのか

 

【追伸】半分眠りながら聞いた授業だったので間違っていることもあると思いますので、皆さんからアドバイスをいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

 

 

仲順大主の思いと三匹の子豚は・・・

  • 仲順大主の思いと三匹の子豚は・・・

  三男は、父親を誰よりも大切に思ったばかりに、子供を生き埋めにする羽目になりました。言われたとおり、木の下に涙を流しながら穴を掘っていると、「カチーン」とクワの先に何か硬いものが当たった。そこには小さなカメが出てきた。中を見てみると一杯に詰まった金の山。それは、仲順大主が埋めておいた黄金の入ったカメだった。

  戻ってきた三男家族に仲順大主は、「さっきはひどいことを言ってすまなかった。この黄金は一番親思いのお前に譲ろう。」こうして三男家族は、親を思う気持ちを忘れずにいつまでも仲良く幸せに暮らしたということでした。

  親が子を想う気持ち、子が親を想う気持ちこそが家族の絆であり、 世界も日本も、都市も地方も、男も女も、普遍のものなのだと深く共感する今日この頃です。 ましてや、庶民では想像もつかないながら、王位や財産について生命とひきかえに継承していかなければならないという選択を迫られ感じていた仲順王の苦悩はいかばかりでしたでしょうか。

  しかしながら、長男ではなく三男、という部分にも何か意味があるようにも感じられますし、奥深いですね。例えば「ブー・フー・ウー(三匹の子豚)」でも、家族を救ったのは、三番目の弟でしたよね。子供は3人生むべきじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。

参考文献: 『新おきなわ昔ばなし』 

仲順大主と黄金の林の物語とは・・・その1

 仲順大主と黄金の林の物語とは、こんなお話です。学者であった仲順大主は、早くで妻を亡くし、男手ひとつで三人の子供を立派に育てあげ、孫と共に毎日楽しい生活を送っていた。しかし、だんだんと年をとっていくと、自分の財産の行方が気になり始めた。

 「できれば、一番親思いの息子へゆずりたい。」そう思った仲順大主は三人の息子を座敷によび、こんな話をした。「私も年をとり体が弱くなってご飯ものどを通らなくなってきた・・・。そこで、これからは、人の乳を飲んで生きていこうと思う。孫達に飲ませている乳は、今日から私がもらうことにする。そこで、親思いの証として、お前達の子供は捨ててもらいたい。もっとも、乳が飲めなければ子供が育つわけもなかろうが。」

 当然ながら、息子達は大騒ぎです。長男と次男は「何てひどい!学者であろうとも人がそんなお言葉。自分の孫を捨ててまで長生きしたいとは!?」兄弟の二人は、そう言うなり、さっさと出ていってしまった。

 しかし、三男だけは座敷に残り、「父さんと子供どちらも大事ですが、子供はこの先、天から授かることもあるでしょう。しかし、お父さんはこの世にたった一人だけです。お言いつけに従いましょう。」と、目に一杯の涙をためながら言った。仲順大主は、にっこり笑うと「よく分かってくれた。それでは、三本松の木の下に穴を掘って、早速子供を埋めて来なさい。」と三男に言いつけた。

参考文献: 『新おきなわ昔ばなし』 

仲順流り(ちゅんじゅんながり)の歌詞

  • 仲順流り(ちゅんじゅんながり)の歌詞

仲順流り(ちゅんじゅんながり)

(1番) 盆は七夕から 中旬の10日の頃

     ※(囃子)エイサー エイサー ヒヤルガ エイサー スリサーサー スリ
     若者たちが 揃そろって踊おどっているよ

(2番)仲順流れの 教えはいつまでも 黄金の林の 物語もいつまでも

(3番)仲順大主(ちゅんじゅんたいしゅ)は 果報な人だ 三人の子宝に 恵まれて

(4番)子どもの心は 今は知らないが 今日は、なんとめでたい いい日だ

(5番)父親の遺言は 山よりも高く 母親の遺言は海よりも深い

(6番)生まれて 5歳で母を失ない 七歳で 母を思い出し

(7番)国々方々を巡っても 我母に似る人は 一人も居ない

 

※仲順太守の伝説については、改めて紹介をしたいと思いますが、親が子を思う気持ち、子が親を想う気持ちこそが家族の絆であり、 世界も日本も、都市も地方も、男も女も、普遍のものなのだと深く共感する今日この頃です。

 けれど少しだけ寂しいのは、最後は母への感謝の方が強いということですかね。(男は寂しいねぇ 。)

エイサーと念仏踊り

  • エイサーと念仏踊り
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8月3日に行われた「長井水祭り」に、長井市伊佐沢地区と20年の間、交流を続けてきた沖縄県金武町並里地区の青年会の皆さんが、本場の「エイサー」を披露してくれました。

エイサーは沖縄の念仏踊りである。エイサーの王様曲・原曲とも言われる『仲順流れ』は、北中城村仲順に伝わる仲順大主の伝説をもとに先祖供養の歌としてつくられたものです。通常、琉歌は八八七八の音数であるのに対して、不思議なことに、『仲順流れ』は五七調のリズム。エイサーは、本土の仏教僧・袋中上人が念仏踊りを沖縄の音楽にのせて伝えたのが始まりだとされています。琉球舞踊と本土の念仏踊りが合体したの「エイサー」です。さらに、この袋中上人は、福島県いわき市出身の僧です。福島は山形県の隣の県であることに不思議な「縁」を感じませんか?

 次回は、『仲順流れ』の現代語訳を教えます。