それいけ!おきたま探検隊

置賜探検隊
米沢市 長井市 南陽市 高畠町 川西町 小国町 白鷹町 飯豊町 置賜全域

置賜探検隊/置賜全域
ログイン
メモ メール Q&A  リンク 地図 ウィキ 特集 プラン
山形県長井市で毎年5月、各地区の獅子が10数社が一堂に会し、五穀豊穣、交通安全、家内安全を祈願して市内目抜き通りをねり歩きます。長井の獅子は黒く、目玉が丸く飛び出ており、眉が目玉の後方に位置しています。前後に面長、漆黒の獅子頭は、「蛇頭」と呼ばれるこの地域特有のものです。黒獅子は躍動的で力強い迫力があります。舞にも特色があり、水面を進む蛇の姿にも例えられています。

2007.01.29::[メモ/長井市]
伝承では、室町時代の永禄年間に、上伊佐沢に玉林寺が創建されたとき、その落慶供養に奉納したのが始まりといわる。400年以上の歴史。「花しずめの祭」ともいわれ、桜の花が順調に咲き続けるよう、踊によって鎮めるものである。それは、古くからの桜の花が稲の花の象徴であり、早く散れば不作の知らせと考えられていたからである。また、散る花びらは、病をもたらす悪霊になるとの信仰もあったので、大勢の踊によって、それを踏み鎮めたり、追放しようとする意味のものでもあった。置賜地方の念仏踊は、もとは大切な豊作とむすび、生活に根ざした信仰的な背景を持つ芸能であった。

2007.01.29::[メモ/長井市]
下帯姿の若者たちが、竜寿院に奉納されている長さ3,5mの大ワラジをかつぎ、町内を練り歩く伝統行事。人々からの清めの水を掛けられ歓声が上がる様子は圧巻。(高畠町商工観光課)

2007.01.27:ゆ〜ちん:[メモ/高畠町]
越の国(新潟県)に隣接する置賜地方は、東北でも最も早く大和政権(天皇家)の支配下に入りました。平安時代には藤原摂関家の、鎌倉時代には幕府幹部の大江家の荘園となり、室町時代には伊達家、江戸時代には上杉家の所領となって、メジャーの道を歩んできました。戊辰戦争でも激しく抵抗し、明治政府が最も警戒した地域の一つでしたが、生糸産業は世界水準となり、また上杉鷹山の名声は欧米にまで知られていました。
四季を彩る豊かな自然と重厚な歴史、全国に誇る美味しい食と数多くの多彩な温泉、そして温かな人情に満ちた置賜は、すべての魅力を兼ね備えた、まさに日本人の「ふるさと」です。人造物ではない、日常にとけ込んだ置賜の魅力を、たくさん見つけたいものですね。
ところで、置賜の地名は、川西町の大光院(だいごういん)の裏手にある置賜山が元祖です。置賜盆地で死んだ人の御霊(みたま)は置賜山に集まり、そこから飯豊山に往くと言われていました。では、その読み方は「おきたま」? それとも「おいたま」? いまわかっている一番古い記録は奈良時代のものですが、そこには「   (うきたむ)郡」と記されています。したがって歴史的には「おきたま」のようですが、現在では「おきたま」と呼び慣れている地域と「おいたま」と呼び慣れている地域とがあるようです。


2006.12.20::[メモ/置賜全域]
ひとの横顔そっくりの山形県は、顔の各部がそれぞれの特徴を持っているように、地域ごと、市町村ごとにまったく異なる特徴と魅力を備えています。一方で、南端から北端まで貫く最上川に結ばれ、すべての市町村が温泉を有し、豊かな自然と歴史・文化が満ちあふれた、知的・精神的な「宝もの」いっぱいの県でもあります。全国的に「地方」の抱える課題ももちろん山形県にも多くありますが、そんなことを吹き飛ばすように、地域のみんなは元気です!そしていま、情報(知的財産)化と癒し(精神的充足)の時代を迎え、そんなときこそ山形県に遊びに来てみてはいかがでしょうか。新しい人生を発見するかもしれません!

2006.12.20::[メモ/置賜全域]

おきたま情報ギャラリー
〒992-0012 山形県米沢市金池3丁目1番55号産業会館1F TEL 0238 (23) 3246 FAX 0238 (24) 4659