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置賜探検隊
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長井市立伊佐沢小学校校庭の続きの一隅にある。
品種はエドヒガン。根周10.8m、目通りの幹囲8.1m、高さ約16m。幹の部分 は3つに分裂し、根元は空洞になっている。 枝張りは、東へ11.3m、西へ 10.4m、北へ9m、南へ6.5m。

 天保・弘化のころは枝が40アールを覆っていたので4反桜と呼ばれ、花時には米沢藩主が来観し、樹下10アール余りの土地は明治維新まで免税地であったという。
言い伝え(口碑)によると、幕末の頃、乞食が桜の根元のほこら(洞)に宿って炊事をしたところが、朽ちた部分に火が燃えついてやけどをしたので退散した。

 火は朽ちた部分を燃やし、養分の通う皮の部分まで焼いたので、大枝2本、その他の枝が枯れ落ちて、樹形が一変してしまったということである。乞食のたき火の事故の後、土地の人々は残った枝に支柱を立て、柵をめぐらして桜の保護を続けた。
 近年は地元の有志者が保存会を組織し、支柱も60余本にしているが、老化が目立つようになった。

 また、巨木にまつわる伝説として、坂上田村麻呂将軍と土地の長者の娘「お玉」との悲恋物語によって、この桜は「お玉桜」という呼び名が一般に広まっている。 樹齢は1,200年といわれている。
(長井市史 第4巻 210頁より)

2007.01.29::[メモ/長井市]
白つつじ公園の一角は、戦国時代の土豪・野呂氏の居館の跡といわれ、付近一帯の地は、明治初年に至るまでは公園の西北隅に皇太神社の境内を除いては、一面潅木と雑草が繁茂してあった所を明治17、18年に小出区民が公園化しようと整備、造成を始めた。池を掘り、松などを移植し、「松ヶ池公園」と称した。その後、同30年頃に第1期拡張を試み、仙台市の釈迦堂の桜苗を取り寄せると共に、小出・花作町の旧家七兵衛氏から譲渡された白つつじをlここに移植してから、長井の「つつじ公園」と呼ぶようになった。

2007.01.29::[メモ/長井市]
長井市のあやめ公園は、その数や種類もさることながら、長井古種と呼ばれる、長井市のあやめ公園でしか見られない品種が存在します。長井古種は、古来の花菖蒲とは異なる品種で、江戸系の古種よりもさらに原種に近いといわれます。

2007.01.29::[メモ/長井市]
有志が集まって、冬の暮らしを楽しもうと、雪灯り回廊(スノーランタン)まつりを開催することにしました。バレンタインデーの夜(バレンタイン近くの土曜日)に、ローソクの温かな灯りの中を、恋人同士でロマンチックに、家族でほのぼのと楽しんでみませんか。誰にでもできる、家庭用バケツで作れる簡単な雪灯篭回廊まつりです。家族で自宅・店舗の軒先に・・・またTASに集合してみんなで・・・。まちじゅうみんなで楽しむ企画。柔らかなろうそくの灯りによる小さな雪灯篭・雪ランタンによる雪祭りです。!http://samidare.jp/yukiakari


2007.01.29::[メモ/長井市]
山形県長井市で毎年5月、各地区の獅子が10数社が一堂に会し、五穀豊穣、交通安全、家内安全を祈願して市内目抜き通りをねり歩きます。長井の獅子は黒く、目玉が丸く飛び出ており、眉が目玉の後方に位置しています。前後に面長、漆黒の獅子頭は、「蛇頭」と呼ばれるこの地域特有のものです。黒獅子は躍動的で力強い迫力があります。舞にも特色があり、水面を進む蛇の姿にも例えられています。

2007.01.29::[メモ/長井市]
伝承では、室町時代の永禄年間に、上伊佐沢に玉林寺が創建されたとき、その落慶供養に奉納したのが始まりといわる。400年以上の歴史。「花しずめの祭」ともいわれ、桜の花が順調に咲き続けるよう、踊によって鎮めるものである。それは、古くからの桜の花が稲の花の象徴であり、早く散れば不作の知らせと考えられていたからである。また、散る花びらは、病をもたらす悪霊になるとの信仰もあったので、大勢の踊によって、それを踏み鎮めたり、追放しようとする意味のものでもあった。置賜地方の念仏踊は、もとは大切な豊作とむすび、生活に根ざした信仰的な背景を持つ芸能であった。

2007.01.29::[メモ/長井市]

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