okitan note
▼置賜の紹介
越の国(新潟県)に隣接する置賜地方は、東北でも最も早く大和政権(天皇家)の支配下に入りました。平安時代には藤原摂関家の、鎌倉時代には幕府幹部の大江家の荘園となり、室町時代には伊達家、江戸時代には上杉家の所領となって、メジャーの道を歩んできました。戊辰戦争でも激しく抵抗し、明治政府が最も警戒した地域の一つでしたが、生糸産業は世界水準となり、また上杉鷹山の名声は欧米にまで知られていました。
四季を彩る豊かな自然と重厚な歴史、全国に誇る美味しい食と数多くの多彩な温泉、そして温かな人情に満ちた置賜は、すべての魅力を兼ね備えた、まさに日本人の「ふるさと」です。人造物ではない、日常にとけ込んだ置賜の魅力を、たくさん見つけたいものですね。
ところで、置賜の地名は、川西町の大光院(だいごういん)の裏手にある置賜山が元祖です。置賜盆地で死んだ人の御霊(みたま)は置賜山に集まり、そこから飯豊山に往くと言われていました。では、その読み方は「おきたま」? それとも「おいたま」? いまわかっている一番古い記録は奈良時代のものですが、そこには「 (うきたむ)郡」と記されています。したがって歴史的には「おきたま」のようですが、現在では「おきたま」と呼び慣れている地域と「おいたま」と呼び慣れている地域とがあるようです。
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2006.12.20
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