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▼さくら「久保桜」

長井市立伊佐沢小学校校庭の続きの一隅にある。
品種はエドヒガン。根周10.8m、目通りの幹囲8.1m、高さ約16m。幹の部分 は3つに分裂し、根元は空洞になっている。 枝張りは、東へ11.3m、西へ 10.4m、北へ9m、南へ6.5m。

 天保・弘化のころは枝が40アールを覆っていたので4反桜と呼ばれ、花時には米沢藩主が来観し、樹下10アール余りの土地は明治維新まで免税地であったという。
言い伝え(口碑)によると、幕末の頃、乞食が桜の根元のほこら(洞)に宿って炊事をしたところが、朽ちた部分に火が燃えついてやけどをしたので退散した。

 火は朽ちた部分を燃やし、養分の通う皮の部分まで焼いたので、大枝2本、その他の枝が枯れ落ちて、樹形が一変してしまったということである。乞食のたき火の事故の後、土地の人々は残った枝に支柱を立て、柵をめぐらして桜の保護を続けた。
 近年は地元の有志者が保存会を組織し、支柱も60余本にしているが、老化が目立つようになった。

 また、巨木にまつわる伝説として、坂上田村麻呂将軍と土地の長者の娘「お玉」との悲恋物語によって、この桜は「お玉桜」という呼び名が一般に広まっている。 樹齢は1,200年といわれている。
(長井市史 第4巻 210頁より)
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2007.01.29

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